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世代間連鎖・エネルギー視点から考える子育て

 

 

目次

1.世代間連鎖について

2.「3歳児神話」私なりの思い

3.しつけ?おしつけ?

4.しまったと思ったこと

5.「まともな子どもって?」

6.幼い子どもに必要なこと

7.公園にて

8.いんたーばる・・・

9.いじめっ子といじめられっ子

10.赤信号の話

11.叩かれることに慣れている子

12.子どもの犯罪を作るのは大人

13.親の意識(保育園編)

14.枠

15.子どもを信じ抜く

16.親の意識(保育園編)2

17.親の問題と自分の問題の境界線

 

 

1.世代間連鎖について

 

みなさんは「世代間連鎖」という言葉をご存じですか?

 例えば、親に虐待されてきた子供が成長して、また自分の子供を虐待する。そしてその子も成長して親になったとき、やはり自分の子供を虐待してしまう。自分でそうしたいわけではないのに、何かに取り憑かれたかのように、虐待が止まらなかったりする。あんな親にはなりたくなかったはずなのに、いつの間にか親と同じことをしている・・・。など、特に、負の遺産が代々受け継がれていくことなどを指します。専門家ではないので、はっきりした定義はここでは避けますが、近年クローズアップされてきた言葉で、その仕組みを理解する人が少しずつ増えてきたものの、なかなか連鎖を止めることができないのが事実です。

  特に、本当に問題に取り組むべき人たちこそ、なかなか各種相談機関に現れることがありませんし、家族の問題は他人が入りにくいことにより、悲劇は繰り返されております。

 とにかく、家族の中で、何とかしたい、という人から勉強を始めるしか道はありません。何より、自分に起こってきたことをきちんと把握できるようになれば、必ず道は拓けてきます。

 

2.「3歳児神話」私なりの思い

 

故 時実利彦医学博士 の「脳と保育」という本の中に


 

 「生まれて半年もたたない赤ん坊をそばへおいて、はなばなしい夫婦げんかをしているかたがよくあります。赤ん坊に何がわかるかと、いとも軽い気持ちでやっておられるのでしょう。赤ん坊には、パパが無理をいっているとか、ママに理があるとかいったようなことはわかりませんが、おとなになるとああいうぐあいにするものだという配線ができてしまうのです。母親が赤ん坊の前で、ちょっとつまみぐいをしますと、おとなになるとつまみぐいをしなければならないのだなという配線がちゃんとできるのです。・・・生まれてから3歳ごろまでの間は、子供の脳細胞は示された配線図どおりに、なにひとつ文句をいわないで、からみあっていくのです。・・・この年齢の赤ん坊をしつけるのには、口でがみがみいうのではなく、りっぱな人間としての態度を示してやればよいのです。・・・結局、赤ん坊をしつけることは、母親や父親、あるいは兄や姉が自分をしつけることにほかなりません。」(雷鳥社 時実利彦著 『脳と保育』より抜粋)

 いかがでしょう。私は個人的な理由から、家族について12年以上勉強してきました。現在も、世代間連鎖、倫理、また、エネルギー的視点というところから家族の勉強を続けています。すべてに共通しているのは、子供は、親の生き方に大きく左右されているということです。
 3歳児神話を、母親がただ側にいて3歳までにしっかりしつけることと思っている親御さん、いらっしゃるのではないでしょうか。

 確かに、戦前と戦後の価値観の違い。特に戦後、30年という世界においても他に類を見ないほどのスピードで経済成長を遂げた日本では、人々の意識があまりに早く切り替わりすぎたため、世代間の交代もうまくいきませんでした。環境、時代背景、経済状態、価値観の違いなど、年齢の離れた世代が、同じレベルで論じることは不可能な状態になっているのに、それに気がついていない私たち日本人は、喧々囂々(けんけんごうごう)と、相手を非難し合っています。
 つまり、言いたかったのは、時代は変わり、環境も代わり、質素だった日本の時代の子育て論は、そのまま現代に当てはめるのに無理な部分があるのは確かです。でも、芯の部分、人間の成長にとって必要なものは、時代が変わったからといって、変わるものではないと思いませんか。

 3歳までに与えられたもの(与えられなかったもの含む)によって、その後の人間形成が決まってくるのは確かなようです。しっかり抱きしめ、言葉でも愛情を伝え、条件をつけずに(これをしたから良い子だとか、ダメな子とかいわずに)受け入れてあげることが必要なります。
 子供は、10歳くらいまでは、さながら多重人格のごとく在り、それが、3歳までに、自分は親に絶対的に愛されていて、人からも大切にされて当たり前の人間だ。という安心感ができあがっていると、徐々に一つの人格としてまとまっていくのだそうです。
 昔から「つ(ひとつ、ふたつ・・・)」がつく年齢までは親の保護下にあり、「つ」が取れたら責任を持たせていくという考え方があります。実際、10歳位を境に、今までお使いにくっついてきた子供が「行かない」と言い始めるそうです。この年齢になっても、親から離れていかないようだったら、一つの危険信号かも知れません。 

 

 

3.しつけ?おしつけ?

 

 よく聞く言葉ですね。

 子育てセミナーで教わったことをお伝えします。

しつけ=親がずっとしつづけること
おしつけ=親がしてもいないのにこどもにさせようとすること
 
  つまり、挨拶・お礼(ありがとう)・謝罪(素直にあやまる)、整理整頓、ルールを守る(時間を守る、約束を守る、信号を守るなど)、すべて親が手本となって常にしていればいいということです。ポイントは、子供の前だけでなく、子供が見ていないところでも必ずする。ということです。

 (以下は、個人の見解)ここがある意味エネルギー的な視点です。「魔が入る」といいます。大きな法則からはずれたとき、天は見逃しません。その時自分は何でもなくても、弱いところにしわ寄せがきます。親が赤信号を無視した頃と時を同じくして子供が怪我をしたとか、不倫の最中に家族が倒れたとか、エネルギーのツケは、大事な家族に及びます。こういった大きなエネルギーの仕組みがわかってくると、なぜ、子供がおかしくなったとき、時には宗教で救われたり、心を変えた途端に問題が解決したりということが起こってくるのか納得できるようになります。

 3歳くらいの子には、まだ善悪という考えはないそうです。恐らく、これをしたら親が怖い顔をした、とか、笑った、といったレベルで判断しているのでしょうから、例えば、このくらいの子どもに「ごめんなさいといいなさい」などというのは(私も以前はやってしまいましたが)まずいわけです。ただただ、親は、自分が悪いと思ったときに、相手に素直に謝ることを続けていれば、子供は自然と、悪いときには謝るようになっていきます。また、謝らないと言うことは、何か自分は悪くないという言い分があるということです。よく聞いてみて、そうなんだ、といったんは受け入れてあげましょう。
 

 

 

4.しまったと思ったこと

 

 当時5歳の長女は最近とてもおしゃれになってきました。特にビーズの指輪が大好きです。私も昔を思い出し、花模様のビーズ編みで指輪を作ってあげました。長女は喜んで、全部指にはめて保育園に行きます。また、自分の宝物を嬉しそうに、(一応隠し)持っていきます。もちろん原則として、そういうものは保育園に持って行ってはいけません。いくらダメだといっても持って行くので、まずいなぁとは思っていました。

 ある日のこと、保育園に送っていったとき、長女は何か持ってきたものを見せびらかしていました。先生が、「○○ちゃんは宝物がいっぱいでねぇ」といいました。私はとっさに、「すみません、もってきちゃだめだって言ってるんですが、どうしても隠して持ってきてしまって・・・」ふと振り返ると、長女はべそをかいて、口をへの字に結んでいます。

 

  しまった!やってしまった!・・・・・私は、自分の見栄を選んでいました。「私は持ってくるなっていったのに、この子が勝手に持ってきて・・・」

 私はその時、自分が悪者になりたくなかったのです。私はただ、「済みません。これから気をつけます」とだけ言っておけばよかったのでした。
 すぐに気がついたので、私は長女の目を見て言いました。「これは、○○ちゃんの大事な宝物なんだよね。みんなに見てもらいたかったんだよね。」
長女はうなずいていました。「そうだよね。これ、素敵だもんね。でも、みんな欲しくなっちゃうから、これからは持ってくるのをやめようね」にこにこ笑っている長女をしっかり抱きしめ、お別れの儀式をして保育園をあとにしました。



 

5.「まともな子どもって?」

 

 なんでしょう。長女は言葉に遅れがあります。小学校にはいるときもいろいろありました。(今でもいろいろありますが〜)でも、長女は人に興味を持ち、未熟ながらも集団の中で人と仲良くやっていくための努力をしています。

 先日学校外行事ではありますが、学校ごとに参加できる行事に親子で参加してきました。お弁当の時間になり、私たちは親子3人で食べていましたが、すぐとなりに2〜3年生らしい男の子が一人でおにぎりを食べていました。本当にすぐ隣にいたので、「それ梅干し?おいしい?」と二言三言話しかけたのですが、無反応でした。まるで私など存在しないような態度です。

 

 しばらくして「2年生?3年生?」と聞いてみましたが、やはり無反応。知らない人には答えないのかなぁ。でも、同じ学校の生徒のお母さんであることぐらいはわかるだろうになぁ。どこか何か遅れがあるのかしら?など考えながら見ていると、少し離れたところに友達が通ったらしく、「おーい。○○」と呼びかけていました。

 

 その後聞いた話です。知り合いのお孫さんが、音楽家何かの発表会に行ったそうです。隣に座っていた4歳くらいの男の子は、3時間の間、微動だにせず、携帯電話のゲームに興じていたそうです。前のケースも含め、こういうのが、「ゲーム脳」といわれる症状なのかも知れません。

 長女が小学校に入学前、校長先生に会いに行ったとき、「この学校には、授業中に教室を歩き回るような子は一人もいません」とおっしゃいました。入学式でも「我が校には、登校拒否をしている生徒は一人もいません」とおっしゃいました。

 確かに、最近は以前騒がれたように授業中歩き回る子は減ったのかも知れません。でも、それは、問題がすり替わっただけの話ではないのでしょうか。世代間連鎖のセミナーで勉強をしていると、これから先、多くの子供たちが恐ろしいほどの問題を抱えていることに気づかされます。それは、何が一番恐ろしいかって、問題の本質が、すぐには見えないことがあります。これから5年後、10年後、20年後に結果として出てくることが恐ろしいのです。

 まさかそんなことって、子育て中の親御さんや先生方は思うでしょう。でも、もうすでに胎児期〜幼少期の育児の歪みによって、30代以降で突然閉じこもったり、鬱になってしまうケースは、珍しくないことはみなさんご存じのことと思います。今後さらに、自立できない子ども(大人)、寝たきりの老人は増えていくことでしょう。
 是非、このホームページにも載せている、参考図書、おすすめ図書はお読みになってみて下さい。

 

6.幼い子どもに必要なこと

 

 専業主婦の母の元で育った私は、3歳前の子供を母親から離すなんてとんでもないと思って育ってきましたが、諸事情により、子供たちを1歳から保育園に預けることになりました。今から考えてみると、親からしっかりと愛情を受け取っていなかった私にとっては、良い保育園に預かって頂けたことは、親にとっても子どもにとっても幸せだったかも知れません。
 でも、その間、私自身も、子どもをしっかりと抱きしめられる母になろうと必死で自分の課題と取り組みました。幸いなことに、良い方向に行けるような縁に恵まれて、かなりスピーディーにいいところまで来られたと思っております。

 周りを見ていると、非常に教育熱心に、子どもが本当に小さい頃から「たくさん体験をさせてあげたい」「いいといわれることは何でもやってあげたい」と、あちこち熱心に顔を出すお母さんがいらっしゃいます。その上、いろいろと役を買って出て、子どもそっちのけで飛び回っている方もいらっしゃいます。

 私も一つ社会教育団体に所属して、心の持ち方の勉強はしていますし、必要な話だと思えば聞きにもいきます。お陰様で、家族の問題も何とか切り抜けてきました。ただ、ひとつ、陥りやすい罠があります。「わかった気になる」ということです。

 いろいろと勉強をしてきて私なりにわかったことは、まず大きな成功をするためには、日常の身の回りのことを常に淡々とこなし続けることが必要だということです。つまり、主婦ならば、家のこと、夫のこと、子どものことを放ったらかしにして外のことばかりをしていると、砂の城のように土台が崩れていくのです。妻だけが全部を背負えということではないですよ。その話はまた別の機会にします。

 例えば、小さな子どもにとって、無理して海外旅行など、遠くに旅行に行けることがどれほど必要でしょうか。それはむしろ大人にとっての、楽しみではないでしょうか。それよりも、母親がいつでも、話しかけたら「はい。なぁに」と向かい合って相手をしてあげたり、「大好き大好き」と抱きしめてあげたりすることの方が、よほど子どもにとっては幸せなのではないでしょうか。つまり、日常の小さなコミュニケーションの積み重ねが、親子の信頼関係を作り、しっかりとした絆を作るんだと思います。

 

 母親は子供たちがはき出すゴミを際限なく入れてあげられるゴミ箱である必要があると思います。毎日毎日、今日1日あったイヤなことを全部はき出させて(無理矢理しゃべらせてはいけませんが)、きれいにしてから眠りにつかせ、ぐっすり眠らせて、元気に目覚めさせ、また新しい1日を精一杯元気に過ごす。この単純な繰り返しを、エネルギーを滞らせることなく過ごさせてあげることが母親としての一番の仕事だと思うのです。

 

 私も子供たちが寝るときはできるだけ、頭をなでて、「今日も一日よくがんばったね。本当にいい子だねぇ。○○ちゃんはママの宝物だよ。ママは、あなたがいてくれるだけで幸せだよ。ママの子に生まれてきてくれてありがとう」と語りかけるようにしています。眠ってしまっていても、こう語りかけると、すうっと深呼吸をして体がゆるむようです。
 深層心理に働きかけるというか、刷り込みが大切かなぁと思うのですが、いかがなものでしょうか。

 

7.公園にて

 

 1週間ほど前、二人の子供たちを連れて近くの公園に行きました。水が流れる公園で、二人は下着一枚になって大はしゃぎでした。そこには、4〜5歳くらいから小学校高学年くらいの子ども達が7,8人、連れだって来ていました。私の実家のすぐ近くに母子寮があり、その前にある公園には、似たような感じの子供たちが集団で遊んでいることがあります。家族のようでもあり、ちょっと歪んだような力関係が見られることがあります。

 

 共通してみられるのは、表情の乏しさです。個々のご家庭に戻ればそんなことはないのかも知れないので、もしかしたら親御さんは気がつかれないこともあるとは思いますが、集団のエネルギーというものがあるのです。「寂しい、甘えたい」、という、冷たいような、うつろなようなエネルギーに思えます。

 

 6歳の長女は、その中の同い年くらいの男の子に興味を持ち、水をかけたりと、ちょっかいを出していました。その子は長女に、怒ってしつこく水をかけてきました。応援の子も来たので、どうしようかと思いましたが、すぐ近くにいて少し様子を見ることにしました(さすがに複数の子に囲まれて水をかけられるようなら止めようと思いましたが、それはありませんでした)。

 

 頭からずぶぬれになった長女は、泣きながら私のところに来ましたが、ふいてやると、また流れに入って遊んでおり、やはりまだ男の子と遊びたそうに追いかけたり追いかけられたり、何度も水をかけられ、泣きながらももうイヤだとは言いませんでした。男の子は、ちらちらと私の顔色を伺っていましたが、怒られる様子もないと安心したのか、大泣きした長女を仲間に入れてくれたようでした。ひとつの、力関係を作る洗礼みたいなものなのでしょう。


 

 その後、その子たちは公園内の別の場所で、ある遊具をずっと占領していたのですが、その遊具を使いたかった長女は、私に、譲ってくれるように頼んでくれと言いました。どうしようかと思ったのですが、「誰もお母さんが来てないから、お母さんが行ったらおかしいから、自分で頼んでごらん」といいました。不満そうな顔をしていましたが、その後一番年上そうなお姉さんに交渉に行き、ちょっとした偶然も重なって何とかその遊具で遊ぶことが出来ました。また、その後長女はその子たちがボール遊びをしていた中に無理矢理(?)入れてもらって遊んでいました。

 

 我が儘に育てすぎたかと思っている長女で(ブランコ乗せて、と強引に乗るが、代わって、といわれてもなかなか代わらないなど、現在少しずつ譲ることを学んでいる途中)、よく大声で泣く泣き虫ですが、自分の要求を通すためには、臆さず挑戦していくという強さには、我が子ながら素晴らしいと感心させられます。
 本当に、親は、木の上に立って見るというその字のごとく、はらはらどきどきしながら遠くから見守るだけですね。

 それにしても私たち親子の姿をじっと見ていたあの子供たちの飢えたような目。そして子供たちのあり方が今でも目の前に蘇ります。あの子たちの力関係は、健全には見えませんでした。年上の子が上とか、力が強そうな子が上とか、そういう序列ではなさそうでした。たぶん、あの子たちの親たちの序列なのだと思います。
そのことは、事項に記します。

 

 

8.いんたーばる・・・

 

 斎藤学先生には、たしか1989年に初めてお会いました。その後先生の著書を読み、あまりにも家族の問題を的確に捉えられていることに衝撃を受けました。数年後には、先生の連続講演会にも何度か参加させて頂きました。一番興味を持ったのは、家族の「負の遺産は代々受け継がれ、連鎖する」ということでした。その後は斎藤先生のところで活躍されていたカウンセラーに家族ぐるみでお世話になったりと、私の中で「世代間連鎖」を抜ける戦い(?)の日々が続いてきました。あらかた自分の中の問題が解決した数年前、別の方面で「世代間連鎖」を専門に扱う勉強会に入れて頂くことになりました。

 この分野は、最近クローズアップされてきましたが、専門に扱える人間が本当に少ないのです。大変奥が深く、時に、いわゆる見えない世界、簡単に言えば、親、祖父母、その先代など、少なくとも3代前までの出来事が大きく関係し、厳密に言えば、そのずっと前の世代まで累々と受け継がれて来ている精神的な遺産が関係するからです。その膨大な量の内容に対し、研究者が少ないので、ある程度の知識を身につけた人間が、見切り発車的に扱っている場合が多いと言わざるを得ません。当然中途半端な介入が多くなり、そういう場合は却って問題を複雑化させたりします。

 

 また、逆に、相談をする側にも問題があります。せっかく良い専門家に巡り会えても、例えば、子どもが急におかしくなった。悪い友達のせいだ、学校が悪い、今までずっといい子だったのに、この子のこの問題さえ良くなれば・・・ととんちんかんな方向に目のいっている親に、根本的な問題は他にありますと説明しても、理解できないばかりか、あの先生はおかしいと言い出しかねないからです。親が人の言うことを受け容れないのに、子どもが親の言うことなんて受け容れるはずがありません。子どもは、ただただ親の心のあり方、何かの歪みを再現しているだけなのですから・・・
 
 見えない世界のことをいうと、そんなばかなこと、と思われますか?考えてみて下さい。みなさん、目に見える物質的遺産が代々目減りしたり増えたりと形を変えても受け継がれていくのはわかりますよね。生まれる前から長い間影響を受けてきた親の考え方が、また、今表面には出ていないけれど、遺伝子に組み込まれている、何代も前のご先祖の精神が受け継がれるということは当然ではないですか?それは代を経るごとに少しずつ付加されたり削除されたり脚色されたりはするでしょうが、よほど誰かがそれを変えていくための努力をしない限り、精神的にも本質的なことは受け継がれていくという見方は自然ではないでしょうか。

 

 

9.いじめっ子といじめられっ子

 

 今まで勉強してきた中に、よく言われる、いじめっ子といじめられっ子は同じである。ということがありました。

 本来子どもは、親に全面的に受け容れられていれば、愛情のエネルギーをもらって、外で戦う力を得ます。人間は集団の中で生きていく動物ですから、その自分の周りの「集団」に入り、自分の地位を心地よいものに位置づけるには、それなりの「戦い」が必要になります。異質なものを排除しようとする元々の人間の集団のなかでは、小さなものから大きなものまで、いじめ、いじめられが繰り返されます。一つの集団に属するためには、そこのルールを守らなければなりません。普段の生活でも、集合住宅はもちろん、地域の決まりなどをまもらないと、仲間にいれてもらえないですよね。

 子供の世界でも、毎日毎日、幼稚園や学校などの外の集団でこの試練を受けています。辛いことがあっても、家が居心地良く、そこでエネルギーの充填ができれば、子どもは次の日に外に行ってまた戦うことができます。ところが、「虐待」(身体的なものはもちろん、言葉の暴力「ばか」「できそこない」「頭悪いね」「そんなことをしているとお父さんみたいになっちゃうよ」等々・・・家でがみがみ言われる。無視される。年齢相応でないことを要求されたりしつけられ過ぎている。「今忙しいから後で」と話を聞いてもらえずに毎日を過ごしている子どもたちなども)されてきた子供たちは、家でも自分を守るのにエネルギーを使い果たしてしまい、外で戦うエネルギーがありません。子どもの世界は純粋にパワーゲームです。

 

 こういう子供たちは、実に巧妙に、自分と同じようにエネルギーの少ない相手を見つけ出します。そして、少ないエネルギーを奪い合い、残りのエネルギーの多い方がいじめっ子になり、少ない方がいじめられっ子になります。さらに、この関係が作られるのには、3人必要だそうです。いじめっ子の親分には補助をする子分が必要になるわけですね。そして、いじめの構造として、ここに、ギャラリー、つまり観客が必要になります。同級生、学校の先生、他周辺の人々です。不思議なことに、観客は、心理的にいじめっ子に加担するようになっているのだそうです。また、場所や団体の人員構成が変わると、いじめっ子といじめられっ子が逆転することもあります。

 この辺のことが、実際の事件をもとにしてわかりやすく書かれている書物に、さなぎの家―同級生いじめ殺害事件 小学館文庫 西山 明 (著), 田中 周紀 (著)  または さなぎの家 いじめのパワーゲーム 西山 明 (著), 田中 周紀 (著) 単行本 (1994/04) 株式会社共同通信社 がありますので、ご興味のある方は是非お読み下さい。一気に読めます。

 「世代間連鎖」に関しては非常に奥深く、私が把握してきたことだけでも相当な情報量があり、なかなかすべてお伝えすることは出来ませんが、質問、疑問、ご意見など、掲示板に書き込んで頂ければ幸いです。

 

 

 

10.赤信号の話

 

   前に、誰も見ていなくても赤信号を守ることがポイントだと書きました。
これは結構難しいことです。誰も見ていないのに何故守る?
 私はペーパードライバーなのでわかりませんが、車を運転する方々は、誰もいないところでは信号はやはり守られないのでしょうか?自転車や、歩行者はあまり守らないですよね。

 正直に言えば、私も人と一緒だと、赤でも渡ってしまったり、歩行者信号がチカチカしているときに渡ってしまうこともあります。
 ただ、ずっと実践していて気がついたのは、エネルギーの周り方、第1感、についてです。
 決められたルールを守る。または自分で決めたことをし続ける。人間だからどこかに妥協点があります。人がいないからいいだろう、これくらいならいいだろうと、けじめのないことが習慣付いてくると、すべてのことに鈍くなってきて、結局ずるずるした生活態度になってきます。そうなると、アンテナが働きません。第1感、つまり直感が働かないということです。直感が働かない人は、間違ったものを選択しやすくなります。


 

 赤信号を常に意識していると、何か「まずいな」という時に素早くキャッチすることができるようになります。つまり、自分に天が出してくれている警告(赤信号)に気が付けるわけです。
 そして、状況に左右されず、妥協せずに決めたことを淡々と行っていると(悪いことじゃだめですよ)、いつの間にやら周りが動くようになっていることに気づきます。こういうことは、成功のセミナーなどでも共通することですよね。

 

 

 

11.叩かれることに慣れている子

 

 

  先日4歳になる息子と一緒に近くのショッピングセンターに行きました。少しだけ、生き物がいるコーナーがあるのですが、そこでのことです。息子はカニと亀とヤドカリに夢中になっていました。近くに3歳くらいの女の子が来て、ヤドカリにさわっていたのを見て、息子は「触ったらいけないんだよ」と注意しました。女の子は何も言わず、側にいたお母さん(たぶん)も何も言いませんでした。しばらくしてクワガタ用の土を手にしたお母さんは、少し離れたところから、「おい!おい!」と女の子を大きな声で呼び、無視している女の子の腕を思い切りぴしゃりと2度叩きました。まだ若いお母さんの、その態度にもびっくりしましたが、どう見ても相当痛いだろうと思われる叩かれた子も、無表情でした。

 

 うちの子供たち(普通に育っていればどの子でも)だったら、あの何分の一くらいの力で叩いたって、泣くか怒るかするところです。一瞬、継母なのかと思いましたが、その後、女の子が他の小動物を指さして話しかけると、お母さんは普通に応対していました。あれではさぞ子どもは混乱することでしょう。

 それにしても、子どもに名前はあるはずなのに、母親が子どもを呼ぶのに、「おい!」はあんまりではないでしょうか。
 この女の子にとって、「自分」とは、「叩かれて当たり前、見下されて当たり前」な存在です。このまま成長していって、自分が「大切な存在」だと思えるようになると思えますか?この子は、このまま行けば、自分がダメな存在であることを証明しようとして育ちます。つまり、ダメな子として育っていきます。


 

 「お前はバカな子だね」といって育てれば、子どもはバカである証明をしながら育ちます。バカだバカだと言って育てれば、バカな大人になるのです。いい子に育てたいと思うのなら、子どもに向かって「バカ」とは言わないことです。

 



 

12.子どもの犯罪を作るのは大人

2004年9月27日(月)

 

 先週、4歳の息子と公園に行きました。6年生くらいの子供たちが5〜6人男女混合で遊びに来ていました。そのうちの男の子3人くらいがエアガンを持っていたのです。最初は壁に向かって撃っていたのですが、一人の体格のいい子が鳩に向かって撃ち始めました。私はジャングルジムの上にいたのですが、下に降りた息子が、鳩を追いかけはじめました。男の子は息子にも銃口を向けました。


 

 すぐ注意すべきだったのかも知れません。他の女の子が、「あぶないから鳩から離れてね」と言いました。昔だって、悪ガキはパチンコで鳩くらい撃ったでしょう。その考えが浮かんだとき、即座に注意できなかったのです。

 様子を見ていたら、一人の仲間を標的に、撃ってみようと言い始めました。標的にされそうになった子は、「いやだ、やめて」と言ったのですが、3人で銃口を向けました。

 

 これはまずいと思って止めに入りました。「人に向けちゃ行けないよ」「はい、わかりました、すみません」と横を向くリーダー格の男の子。他の子を見渡してもうつろな表情で、反応はありません。「君自身の尊厳も傷つくんだよ」「僕頭悪くてわかりません。尊厳てなんですかぁ」と繰り返す。「人を傷つけたら、君自身はもっと傷つくんだよ。」目を合わせようとはしない。


その後、顔見知りの大人か、通りすがりかわからないが、「あんたら、そんなことやってんじゃないよ!」と言い捨てていきました。

 あの子たち、特にリーダー格のあの子は、恐らく、大人から、受容されるような言葉をかけてもらったことがないのでしょう。一様にうつろな目をした子供たち。自分が守られてもいいと信じられない子供たち。子供たちを追いつめて、犯罪へと駆り立てていくのは、受容しない大人達です。そして、大人を信用しない子供たちはたとえ、何とかしたいと思う大人に対しても、容易に心を開くことはしないのです。

 

 

 

13.親の意識(保育園編)

2004年9月27日(月)

 

  今朝、息子を保育園に連れて行ったときのことです。3歳くらいの子のお母さんが、よくあるように、「早くしなさい」とせき立てていました。「早く会社に行かないと、お母さん怒られちゃうじゃない!」
3歳の子に大人がこれを言う?どんな事情があるにしろ、親は子どもの総責任者で、あくまでも親の都合で子どもを預けているのではないでしょうか。

 お金払っているんだから当然ですか?人間の場合、子どもは本来親が育てるものではないですか?「子どもを育てるために働かなくちゃならないのよ」ですか?本当に子どものためにと思っているのなら、こんなセリフは出ないのでは?
幼いときに、母親と幸せな時間を十分共有できなかった子どもは、成人してからも、人から一番大事な時間を奪おうとするそうです。例えば、病弱、非行、閉じこもり、家庭内暴力など。つまり、親が自分のために大事な時間を全部注いでくれるようなことをするわけです。

乳幼児という、一番母親の手が必要で、一番非合理で、一番重要な時代を他人に任せたそのツケは、必ずどこかで払うようになっています。誰もが非行化するという意味ではないですが、安易な気持ちで預けているなら、10年後くらいに相当な覚悟が必要になるかも知れません。


 子どもが大きくなったときに、あなたは1ヶ月○円の子どもだったのよって言えますか?

 

 

14.枠

2004年10月2日(土)

 

 エネルギーの先生からはいつも、枠を外しなさい。といわれます。そこのセミナーでも、それを毎回徹底的にやります。
 親からがちがちの枠にはめられてきた私としては、大変難しいことです。その上、もう40ウン年も生きているので、随分外してきたつもりなのですが、なかなかそううまくはいきません。

 枠ってなんでしょう。


私の枠。

・親の言うとおりにしていなければ幸せになってはいけない。

・自分を休ませてはいけない。

・苦労しなければ幸せになれない。

・楽な道と茨の道があったら、茨の道を行かなければいけない。

・ダメな子でなければいけない。

・(親のいう通りの人生でなければ)人生がうまくいってはいけない。

・親には従順でなければ行けない。

・(障害のある)妹を幸せにしなければいけない。

・末妹の幸せが最優先。

・いつでも罰を受けていなければいけない。

・バカでなければならない。

・自分を大切にしてはいけない。

 etc.etc....


 枠、枠、枠・・・

自分なりに、これでいいんだろうと思うというと、先生は、「うーん、それも枠だね」といいます。はぁ。結構難しい。うっかりすると、「枠なし」という枠にはまりそう・・・

ま、いっか。

 

 毎日そこに気をつけていると、なんとなく気づきが多くなります。ゆるやかならせん階段を上っていて、気がついたら、あら、結構上までこられたじゃん。なんていうのでいいんだと思っています。

 

 

15.子どもを信じ抜く

2004年10月6日(水)

 

 先週の土曜日に、所属している民間社会教育団体の子育てセミナーに参加してきました。今回の講師は男性で、子どもが7人、孫8人という、子育て経験も豊富な方でした。
ここの子育てセミナーは、ノウハウではない、奥深い話が聞けるので、私は好きです。
 テーマは「受験の心構え」でしたが、今回の先生は、中でも少し毛色の変わった先生なので、どんな話をして下さるか興味津々でした。


家の子供たちはまだ小さいですが、行く道です。お話しを聞いていて、ああ、思春期問題は、赤ちゃんのころから関係あるんだなぁと再認識しながら聞いていましたが、びっくりしたのは、先生が、「家の子供たち7人のうち、警察の呼び出しがこなかったのは、2人だった。」とおっしゃったことでした。

 素晴らしいと思ったのは、その対応です。決して責めることをせず、かつ、自分でしたことの責任を考えさせる。そして皆、今はそれぞれきちんと自分の生活をされているとのこと。また、中卒、高校中退の子どももいらっしゃるという。。それでも、兄弟の皆が、大卒だから偉いとか、中卒だから劣等感を持っているとかいう、意識がまったくないともおっしゃいました。

 夫婦の絆、そして、子どもを信じ抜く姿勢。参加人数が少なかったのが本当に残念でした。
私はまず、食卓の姿勢を見直すことにしました。毎度のことですが、親が心を変えただけで、子どもの態度が変わりました。不思議なものですが、本当に、親が変われば子どもは変わるものです。

 

 

16.親の意識(保育園編)2 

2004年11月4日(木)

 

 保育園に4歳になる息子の送り迎えで行くと、必ずといっていいくらい、怒っている親御さんがいます。急いでいていらいらしているのはわかるのですが、非常に大人げない。

 可愛い顔したお母さんが、頭ごなしに子どもを怒鳴りつけたり、頭をひっぱたいたり。
 あーあ、あれじゃ、将来力関係が逆転したとき子どもから暴力ふるわれるだろうなぁ。と思うのですが、情けないことに、公然と注意することもできないでいます。
 
 今日はわりと暖かかい日でした。迎えに行くと、一人のお母さんが、自転車の後ろに乗っている子どもに向かって、「何で上着脱ぐのよ。風邪引いちゃうわよ。ダメじゃない」と怒ったように言っていました。

 

こどもは「だって暑いんだもん」と答えました。「暑いの。そう、じゃ、裸になれば。」と吐き捨てるように言いました。


「親子」の会話ではありません。まるで子ども同士のやりとりです。もしくは親の八つ当たり。

 こうして子どもは尊厳を親にはぎ取られていきます。子どもが思春期くらいになって問題を表面に出しても、自分が原因だと気がつく親はほとんどいません。親は、「子どものために」という大義名分を掲げて虐待をしてきているので、自分が子どもを「虐待していた」事実にはまったく気がつかないからです。

 

 

 

17.親の問題と自分の問題の境界線

 2005年3月1日(火)

 

土曜日に、2月の世代間連鎖のセミナーがありました。
昨年末からずっと母との問題に取り組み、かなりの気づきがあったのですが、この日は大きな収穫がありました。

 このセミナーでは、交流分析の手法も取り入れています。人は6〜7歳までに人生の脚本を書き終えます。たとえば、「人は裏切るもの」「どうせ私なんか大切にされない」というように。


その中で、「相手が詫びようと、謝ろうと、何があっても許さないと決めたときがある。」場合の話が出ました。理由なく決めたことなので、決めた自分に気づくまで抜けることができない。ということでした。

 その時心に浮かんだのは、父の、

 

「俺は、一度俺を裏切った奴がどんなに後から詫びてこようと、自分が悪かったと謝ろうと、絶対に許さない。それは、謝ったからと言って許されるものではないのだ」という言葉です。「私は、これこそが、人としての道理なのだ、父が正しいのだ」と、理由なくずっと信じてきました。そして、何をしても父から許されない自分の情けなさを思い、なんて自分は悪いことをしてしまったのか。私はいつでも間違っている存在なのだと信じてきたのです。

でも、違ったのです。父に何があったのか知りません。なぜそう決めたのか知りません。ただ、父は、「自分に逆らった奴は絶対に許さない」と決めていたのです。相手が正しかろうと、自分が間違っていようと、そんなことは関係ないのです。単に、父が、「自分に逆らった奴は何があっても許さない」と決めていただけのことなのです。


私が良い子だろうと、悪い子だろうと、成功しようと、失敗しようと、一度反抗した私を父は許しませんでした。それは単に、父が、そういう風に決めていただけのことなのです。

私が悪いわけではありませんでした。私には関係ないことだったのです。私は私を信じて良い。父の幸せと私の幸せは違うのです。

 私は、父が描いた「自分に逆らった娘が幸せになれるはずがない」という父のストーリー通りに、どんなに努力しても不幸せなままでいないと「父が間違っている」と証明してしまい、父に悪いような、親不孝のような気がしていました。

 

 そんな期待は裏切って良いのです。そんなストーリーは。

 

 私は幸せになっていい。

 今までにも増して、確信できた一日でした。「根拠なく自分が悪い」と思っていた重さから解放されるって、なんて気持ちの良いことなのでしょう。

 

 

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