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じゅねさんの子育てマニュアル52.本当の「親力」とは?
昨日、途中からですがNHKの大自然スペシャルを見ていました。その前は他の番組を見ていたのですが、たまたまチャンネルを回して目にしたそのアマゾンの風景に目を奪われ、家族十で夢中になってしまいました。 この世に生まれてきているからには、私たち人間もこの宇宙、地球、自然の一部なわけです。それなのに、人間だけが、この自然の法則から何とか逃れて生きようと日々努力をしてしているように思えます。
某新聞に、「親力」の特集が組んでありました。この日の記事は、あるメルマガについてでした。私もこのメルマガは以前目にしたことがあります。このことについてどうのこうの言いたい訳ではないので誤解なさらないで下さいね。気にはなったものの、結局私はこのメルマガを購読しませんでした。ミーハーな私は、ノウハウに惑わされそうな気がしたからです。
このメルマガはある小学校の教師が発行しているもので、「親の教育力を伸ばす」ための知恵をたくさん載せており、購読者数は19000人にも上るそうです。例えば、あるお子さんが、小学校入学の時にかなりの文章力を持っていたのですが、その陰にお父さんとの親子日記をつけていたことがあるということを載せていました。素晴らしいことだと思います。
ただ、親は、どうも「自分が子どもを育てている」という錯覚に陥りやすいのですね。親が子どもの能力を伸ばしたいというのは当たり前のことだと思いますが、実は心のどこかで「私がこうしてやったから、子どもは伸びたのだ」と言いたい親が多いのではないでしょうか。
言い換えれば、自分に力があることを確認したい、といえるかも知れません。これが高じてくると、「こんなにしてやったのに」「何不自由なく育ててやったのに」「お前にはお金をかけたんだぞ」「できるだけのことをやってあげたのよ」というような言葉がでてきませんか?
上のケースがなぜうまくいったのか?それは、ノウハウではないからでしょう。それは、お父さんがふだん子どもとふれあう時間がないということに対して、「何とかできることをしてあげたい」という、無償の愛からの行為であったから、子どもも一生懸命に伝えたい、という心が働いたのだと言えます。
これが、「ああ、なるほど、そうやればいいのだな」と思う親が、「子どもの国語力を伸ばすために」一生懸命やったとするとどうでしょう?思うように書かない子ども、上達しない子どもを見て、「親がこんなに頑張っているのに」「あなたのためを思っているのよ」というような思いが出ては来ないでしょうか?
あくまでも、これは、結果として副次的に起こってきただけのことです。大切なことは、親と子の愛情のやりとりなのだと言えるでしょう。親の方が「してやる」気持ちでいい結果が出ることはありません。もちろん、目の前には、いい結果が出ているように見えることもあるでしょう。子どもは親を喜ばせようとして必死なものです。親を喜ばせようとして頑張ってきた結果、皆、社会に出る頃には疲れ切ってしまうのです。
本当の「親力」ってなんでしょう?私は「子どもの存在そのまま」を受け入れ、「信じて見守る」事なのだと思います。
勉強ができること、何かに詳しいこと、とても素晴らしいことです。でも、それは「自分がこのまま存在していることはOKである」と、本人が思えることが基盤になければ何もなりません。 何かができるからでなく、良い子であるからでなく、ただ、その子がその子であるだけで素晴らしい存在である、という宝物を与えられるのは、親に他なりません。これがもらえない子供たちは、一生、そのことを追い求めて生きていかなければならないのです。
倫理研究所で毎月出している『新世』という素敵な雑誌があり、いろいろな方のインタビューが載っているのですが、ちょうど1年ほど前、作家の椎名誠さんのお話しがありました。「遊びの中で子どもは育つ」という特集だったのですが、印象的な言葉に、「子どもがぼんやりする時間をもっと与えていいんじゃないか」というのがありました。「・・・世界を旅してますと、ぼーっとしている子、多いですね。lフィジーなんか行くと、子供たちが雨だれを見てるんですよね。ずーっと、頭そろえてね。雨だれを見ながら何か話してるんですよ。大事なことだと思いますよ、何もしないというのもね。ぼんやりしながら、子どもなりに何か考えているんじゃないでしょうかね。焦って、干渉しすぎることはないんですよね」
大人もでしょうが、子どものときに一番大切なのは、明日を思い煩わず、今日、目の前を遊びきり、今を生ききる、ということだと思うのです。私が日頃習っている中にも、「遊びが極まれば働きになる」とあります。子どものときに夢中になって遊びきるエネルギー、それが、大人になって、喜んで一生懸命働くエネルギーの元になるのだと私も思っています。
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