じゅねさんの子育てマニュアル
2005/11/26(土) 午後 5:10
そういうテーマで、昨日家庭倫理の会の子育てセミナーが開かれました。
ある研究機関で、北は北海道から南は沖縄まで100歳以上の方を対象にインタビューをし、100歳を過ぎて尚元気な方には何があるのかという研究がされたそうです。そして、そのポイントは5つあり、それが子育てにも同じ事が言える、という内容でした。
一番大切なポイントは、「私という存在感」だそうです。つまり、私は大切な存在である、私は必要とされている。私のことをみんなが待っている、という、自分が必要とされる「私の存在感」なのだそうです。
確かに、これは子育てでも一番大切なことですよね。
家庭倫理の会の「親」は、(社)倫理研究所というところですが、名前の通り、大変真面目な機関です。現代は企業倫理が脚光を浴び、法人会なども盛んですが、都内の繁華街でも、警察署から講師として研究員が招かれているそうです。数年前に開かれた倫研のフォーラムに、ある繁華街担当の警察署の、少年補導担当者がいらして、研究員としばらく会話を交わされたそうです。
「中学生、高校生を補導して、親が迎えに来ますが、部屋を出る時、99%の子どもが、同じセリフを吐いていくのです」
もちろん、男女がいますから、言葉は違うかもしれませんが、何だと思いますか?
「俺なんてよ、家に帰ったって、おやじもおふくろも関係ねぇんだよ。」 なのだそうです。自分は必要とされない、親も自分と関係ない、自分の居場所もない、そんな寒々とした光景が浮かんできます。 その心情を察すると、涙が出ました。私も、以前は家庭にこそいましたが、気持ちは同じでしたから。
家庭倫理の会では、問題ある子どもに対し、子どもの側に問題があるとは捉えません。私も、12,3歳までの子どもは、親が心を変えることで、指一本触れずとも子どもは改善する。と教わりました。「親が変われば子が変わる」「子どもは親が不自然な生活をしていると、身をもって教えてくれる」と考えるのです。実際、その通りだったと実感しています。
「あなたはお母さんの宝物よ」「お母さんはあなたが私の子どもで幸せよ」「お母さんの子どもに生まれてきてくれてありがとう」
そう言われて育った子どもと、
「まったくあなたはぐずなんだから」「どうしてもっとがんばれないの?」「○○ちゃんはできるのにどうしてあなたはできないのかしら」
などと言われて育った子どもと、大きくなった時にどれほどの違いが出ることでしょうか。
私はありのままの私で愛されている。私は必要とされている。私は大事な存在である。そういうゆるぎない下地ができていたら、その後の人生はどんなに楽でしょう。そして、それを作ってあげられる一番の存在はお母さん、お父さんなのです。
基礎のきちんとできていない城は、砂の城のごとく、いくらその上を立派に作ろうとも、足もとは崩れていくものではないでしょうか。
以前やはり子育てセミナーで聞いた話です。
「○○ちゃんはできるのに、あなたはどうしてこうなの?」とよく言いますね。これは、不公平ではないですか?誰かの美点と、わが子の欠点を比べるというのではあまりにも差がありすぎます。せめて、比べるというのなら、誰かの美点と、わが子の美点、または、誰かの欠点とわが子の欠点を比べて下さい。そうすれば、それほど差がないはずですよ。
その通りだと思いました。皆さま、思い当たる節はないでしょうか?
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