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じゅねさんの子育てマニュアル 

 

31.親と子のハーモニー                           

2006/1/14(土) 午後 6:20

 

 さて、親子の信頼関係というところです。

 親子の間にしっかりとした信頼関係ができていないと何が起こるでしょうか。

一つには、もちろん、皆さんがすぐに想像されるのは、子どもが親の言うことを聞かない、言うこと聞かないから益々起こる。などだと思うですが、実は、「必要なことをきちんと叱ることができない」というのがあると思います。

 信頼関係がしっかりできておらず、子どもが何を考えているのかわからないと、子どもはもちろん、親も不安になるのではないでしょうか。

 例えば、親が働いてあまり接する時間がない、とか、ずっと一緒だけれど、それが苦痛。など、親側に「引け目」があると、無意識のうちに、親は「このくらい大目に見ておこう」とか、「こんなことで叱ったら、可哀想なのではないか」という、本当はしっかりとしつけなければいけないところを見逃しがちになるようです。やたらにおみやげを買ってきたり、子どもが喜ぶだろうと、両親共働きで疲れているのに無理して休みに遠出をしたりするのを続けるのもその兆候の一つと考えられます。

 子どもが本当に欲しいもの、それは、物でもなく、海外旅行やディズニーランドへ行くことでもなく(もちろん、楽しみなことはたしかでしょうが)、親がしっかりと自分を見てくれること、子どもの思いを大切にしてくれること、そして、社会(学校)で困らないようにきちんとしつけてくれること、つまり、して良いことと悪いこと、など、上限を設定してくれることなどだと思います。

 何より、子どもは「自分が責任を取れる大人になりたい」ものなのだそうですから。

 私自身、子どもに引け目のある時代は、「しっかりと叱る」ことができませんでした。自分に引け目があると、親としての判断すら迷いがちなのだと思います。

 私は、もともと子どものペースに合わせるのは苦手な方です。子どもと遊ぶ、といっても、どうしていいのかわからない・・・。そんな親でした。

 カウンセリングを受けたり、セミナーに参加するなどして自分で気づいて訓練したのは、「子どもに合わせる」ことでした。

 とっても役に立ったテクニックの一つは、「傾聴=アクティブリスニング」です。最初は、ここでも何度も書いているように、ひたすら子どもの話を興味を持って聞く。遮らず、否定せずに聞きました。そして、「子どもが言ったこと」に答えるのではなく、「子どもが言った言葉」をオウム返しに返しました。

 すると、驚いたことに、子どもは何でも自分で自分なりの答えを出しました。もちろん、小さな子どもですから、正しくない答えがほとんどなのですが、「へぇ〜そうだったんだ」「ああ、そうなんだねぇ」と言っているうちに、だんだん私の方も、子どもの話を聞くのが楽しみになってきたのです。「次はいったいどんな面白い事を言ってくれるんだろう?」そして、次第に、子どもが考えていること、感じていることがわかるようになり、子どもの方も、話を聞いてくれる私に深く信頼を寄せてくるようになってくるのがわかりました。
 すると、自然に、自分が悪役のように禁止令を出すことも、抵抗が無くなってきたのです。ビデオは夜8時を過ぎたらお終い。今日はチョコレートを食べたから、ココアはだめね。
 子どもはもちろん、あらゆる手を尽くしてねだろうとします。が、子どもの方も親がダメ、ということは、それは仕方のないことなのだ、と受け入れてくれるようになりました。もちろん親子関係はどんどん良くなっています。

 子どもが、親は自分のために「いけない」ということを言っているのだ、ということがわかるのでしょう。

 私自身、そういう風には教わっていましたが、実際にこの親子の信頼関係ができてくると、子育てがずっと楽になってきました。

 あとは、何もなくても、近くにいる時に抱きしめて「好き」って言ってみたり(表面上嫌がりますが)、「○ちゃんはママの宝物だよ」「○ちゃんがママの子に生まれてきてくれて良かった。ありがとう」「○ちゃんがいてくれるからママ幸せだよ」などなど、1日に何回も繰り返しインプットしています。

 昔、あるセミナーで、人間というのは、言葉が先なのだ、と教わりました。例えば「愛してる」と言ったら、その言葉に後から気持ちがついてくるのだ、と。「ああ、自分はこの人を愛しているんだ」と、自分で気づくのだ、と。

 確かに、上記のような言葉を子どもに優しい口調で語りかける時、自分でも「ああ、そうだったんだ」と、気づかされます。

 自分が口に出した言葉は、自分の耳が一番たくさん聞いている。
ですから、やはり、心で思うだけでなく、是非「親の愛」を言葉にしてお子さんに語りかけてあげて頂きたいと思います。時間はかかっても、必ず関係が変わってくるはずですから。

 

 

 

32.人生は回り番                              

2006/1/15(日) 午前 11:36

 

 今朝の新聞の投稿欄にそんな言葉が出ていました。

 投稿者のお母さんが突然同居し始めたことに始まり、そのお母さんが初期の認知症もあり、尿漏れの洗濯物がたくさん増えたこと。そして、それを、自分が子どもの頃夜尿症でよく布団をぬらしたことのお返しだととても喜んでされていること。

 本当にその通りだと思います。子どもは自分が手をかけてもらった分だけ、人にも手をかけてあげたいと思うようになるのでしょう。それは記憶のある頃からではなく、記憶のない赤ん坊の頃のことでさえもです。

 力、権力による支配は、容易に覆されます。かならずどこかで逆転する時がきます。お嫁さんに意地悪をしてきたお姑さんなど、自分が倒れて初めて、しまったと思われる方が多いようですね。何しろ世話をしてくれるのはそのお嫁さんなのですから。

 夫婦関係も子育ても同じだと思います。やはり自分が弱った時に相手からされたくないと思うことはしないことが大切でしょう。不思議と、自分がしてきた仕打ちというのは、必ずどこかで回ってきます。病院に入院していたとしても、介護してくれる人から大切にされない確率も高くなるようです。『天網恢々疎にして漏らさず(どんな小さな悪事でも天罰をまぬがれることはできない形容−新明解国語事典より)』天の帳簿に間違いはないのだそうです。
時々、老いて誰かに世話をされる時になった自分を想像することをお勧めします。

 まあ、私自身、これじゃまずいよね。と、思うこと、しばしばあります(^-^;。

 

 

33.「序列」・・・複数の子どもを育てる場合               

2006/1/18(水) 午後 3:08

 

 一人っ子だから必要でないということではないのと、「うちは、お兄ちゃんとか、お姉ちゃんとか、そういう枠には一切とらわれずに自由に育てたい」という方は読み飛ばして下さい。

 序列、というのは、とても大切なことです。家の中で序列をつける、というと、変に思う方がいらっしゃるでしょうか? おじいちゃん→おばあちゃん→お父さん→お母さん→第1子→第2子→第3子・・・というような序列を、家の中できちんとつけることです。

 何かを渡すとか、一つの大きな物を皆で切り分けて取る時とか、おやつを配る時とか、この順番に配ります。

 この中で、子どもは、自分の位置づけというのを知ります。子どもというのは、あまり待遇が良くない、ということも知ります。一人前になったら、もうちょっといいことが起きるぞ、ということも知ります。自分より下に誰かが来ると、自分が上になることも知ります。そして、順番を待っていれば必ず自分の番が来る、ということも知ります。

 保育園、幼稚園で年少さんから始まり、年長さんになると、小学校1年生になります。こうしたことも、家で自然と順番を待つこと、序列があることを身体でわかっていれば、それほどとまどうこともないでしょう。昔は近所の子供たちが縦割りで遊んだので、自然に序列を覚えることができましたが、今はなかなかそんな機会はありません。小学校で収集がつかない事態になったり、目上のことを目上とは思わずになれなれしくする新社会人など、こうした家庭での序列ができていないことも関係するのではないでしょうか。

 今は、特に都会では「家のあととり」ということも少なくなりましたが、これも序列を無視して育てると、なかなかうまくいきません。長男をあととりにしたいなら、そのように扱っていかなければならないでしょう。
 つまり、小さい頃から長男を厚遇する。継ぐ家がある場合、あまり家にいるより外に出て自由にやった方がよっぽど楽、というように育ててはまずいわけです。家にいれば、至れり尽くせり、良い物も食べられて、良いことがある。外の社会でやっていくより、うちの家業を継いだ方が得だぞ、と思わせなければならないので、やはり兄弟の中でも一番でいられなければ、自分も苦しいし、下もついてきやしません。

 だから、親は長男が例え次男よりできが悪くても、うまく立てていく必要があります。親の腕の見せ所ですね。下の子は、家にいてもばからしいので、自分の力でやっていくことを考えていくでしょう。その代わり、ある程度のびのびと自由に職業も選んでいけるわけです。

 女の子は、あまり厚遇すると、結婚して自由がなくなったり、他家へ嫁ぐ、ということには耐えられなくなるでしょう。自分の家に入れることを考えるのなら別ですが、お嫁に行って欲しい、とか、相手のお家でうまくやっていって欲しいと思うのでしたら、冷遇する、というのではなく、すんなりでていけるよう、それなりの育て方をする必要がありますよね。

 一番上をきちんと立てて育てると、下の子が上の子の決めたことにすんなりと同意したり、上の子もちゃんと下の子のことを思いやって考えることができるようになるはずです。

 
 自分がしている勉強とは別に、以前、あるビジネスの成功セミナーでその講師が同じ事をお話しされていました。また、今所属している教育団体には、法人部門があって、そうそうたる企業が参加されているのですが、そうしたお話を聞く中でも、「序列」の大切さはよく話題に上ります。

 企業を経営する方々が、「序列を間違うと、恐い」とおっしゃるのです。

 ご自分の家庭に照らし合わせて、家の中に序列ができているか、できていないままだと10年後、20年後にどうなっているか、序列ができたらどんな風な家族になるか、そのまま10年、20年たったらどんな風になっているか、ちょっと想像してみませんか?

 

 

34.幸福のモデルを見せる                          

2006/1/18(水) 午後 8:24

 

 さて、懐疑的な意見もあるでしょうがもう少し続けます。

 子どもをあるがまま受け入れて、その存在を尊重する、ということはとっても大切なことですが、時にここで勘違いがでます。

 子どもを優先するあまり、夫や親をないがしろにしてしまう、ということです。これは、正しい方向に子どもを大切にしていることとは違うのです。

 夫にはバーゲンの安売りの服で我慢させて、子どもには無理してもブランドの物を買ってやる、などということをしていると、子どもは父親より自分の方が偉いのだ、大切な存在なのだと勘違いして育ちます。チャンネル権が、父より子どもが優位、などというのも同じです(TVが2台以上あると、効果ないのですが)。

 こういう家で育つと、こんな会話が聞かれるかもしれません。「まったく親父も情けないよな。会社でこき使われて、家でも母さんに頭下げて小遣いもらってさ、ああはなりたくないよ・・・」

 こういうモデルを見て育った子どもの行く末は、どんなでしょうか。
「男というのは、大人になって結婚すると、家族のために働くだけ働いて、家でも価値を認められない」
そんな脚本が、無意識のうちに心の中に描かれていたら、将来や結婚に夢を持って生きていくことができるのでしょうか?

 もちろん、人生にはいろいろな出逢いがあり、良い指導者に巡り会えれば考え方も修正されていくことでしょうが、不幸にもそういうことに出会えないと、「どうせ会社に入って結婚したっていいことない」と思いがちになるのではないでしょうか?

 親が幸せのモデルを見せる、というのはとても大切なことだと思います。子どもに素敵なパートナーと一緒になって欲しいと願うなら、夫婦関係を良くすることです。一人で子育てする場合も、相手の良いところを誉めて、子どもの中に流れる半分の血を、生かしてあげることだと思います。

 母親が不幸そうな顔をしていれば、子どもは自分のせいだと思うものです。是非、子どもに幸福のモデルを見せてあげられるようになりたいですよね。 

 

35.娘の火傷                                 

2006/1/22(日) 午後 6:38

 

 もう少し前にキムチ鍋をした時のこと。弟を負ぶって部屋を歩いていた娘が、つまずいてちゃぶ台の上の鍋をひっくり返し、つゆが腕にかかって火傷を負ってしまった。

 もう後は皿などを運んで食べる、という寸前のこと。「熱いから脱がせて!」と泣き叫ぶ娘の声に気を取られてセーターを脱がすと、一部皮が剥がれてしまった。脱がしちゃいけないんだっけ・・・。でももう後の祭り。パニックになって泣き叫ぶ娘を洗面所に連れて行って腕を冷やす。4センチ四方くらいの水ぶくれ。娘は「医者は絶対に嫌!」と泣き叫んでいる。息子は、私や夫のただならぬ様子に自分が悪かったのではないかと怯え、こちらもまた泣きじゃくっている。腕を冷やすのが一段落してから、R君が悪いんじゃない。ママとパパが、側についていなかったから悪かったんだから。ごめんね。大丈夫。と、何度も抱きしめて繰り返した。

 できれば医者に連れて行った方がいいとは思ったが、この状態の娘は、とても医者の前でおとなしくなどしていないだろうと思って、家で手当てしようと決意。子どもにあまり精油は使いたくないけれど、とりあえずラベンダーをガーゼに浸して当て、包帯で巻く。ラベンダーが効いたのか、朝にはひりひりしないと言った。1日2回、ガーゼを取り替える。とはいえ、精油は濃厚なものなので、あるアロマテラピーのコミュニティにSOSを出してみたら、ラップ療法を勧められた。

 そういえば、以前息子の擦り傷には使ったことがある。『家庭でできるラップ療法』http://www.asahi-net.or.jp/~kr2m-nti/wound/next/wound245.htm 資料を探してみたら、ラップとワセリンで手当てできるようなので、そちらに途中から切り替えた。お陰様でもうピンクの上皮ができてきた。あとは、日焼けしないように気をつけるだけだ。

 子どもの火傷は親の責任。気をつけていたつもりなのだけど、あとちょっと、というところで油断してしまいました。皆様もお気をつけ下さい。

 しかし、こういうときに、うちの夫はどうも役に立たない。子どもが泣き叫び、部屋の中に鍋の中身が全部散らばっているのに、のんきにガス台で炒め物なんかしている。「そんなことは後にして、部屋何とかしてよ!」の声に、我に返ったらしい夫。どうも頭が真っ白になって何だか訳がわからなかったらしい。まったく世話の焼けること・・・(^-^;

 それにしても、ごめんね。Mちゃん、痕が残らないといいね。

 

 

 

36.どの子もオンリーワン                          

2006/1/27(金) 午後 4:12

 

 所属している社会教育団体は、東京都の小学校でもらう教育手帳(ワクワク子育て)にも情報として登録されています。生活全般に関する研究がなされていますが、今、文化部の「短歌会」が伸びてきています。

 学校の先生の中にも活動の趣旨に賛同して下さる方がおり、今日、区内の小学校で、研究所の先生を講師とした「短歌」の授業が行われました。区内の「しきなみ短歌会」で活躍されている会員さんがお手伝いで参加し、私も取材(広報委員長なので)ということで、カメラを持って参加させて頂きました。
 授業は6年生2クラス。

 いやー、私は短歌はわかりません。ただ、同じように、うちの団体主催の「初めての短歌」に一度参加し、思ったより楽しいものだなぁとは思いましたが・・・(この「初めての短歌」は、区報にも掲載されて、毎回80人近く参加があるのです)

 最初は間が持てるかなぁと思っていましたが、2時間ともあっという間でした。ここで思ったのは、子供たちの反応が本当に様々で、ひとりとして同じ子はいないのだ、ということでした。当たり前と言えば当たり前ですが、その何と違うこと。

 指折り数えるけれど、なかなか紙に書かない子、次から次へとどんどん書いていく子、難しく考えて頭の中でぐるぐる回っている子・・・それぞれです。

 複数の歌を書き、思いが溢れた最初の歌が素晴らしい子もいれば、最初の歌は表向き「良い子」の部分が出ていて、二首目からの歌に、本当の思いが込められていそうな子、絶対に人には心の中を見せたくなさそうな子もいました。

 最初は緊張していた子達も、おばさん達が声をかけていって、話を聞いていると、思わず笑みがこぼれたりして、とっても楽しい時間を過ごしました。こうして、大人が子どもの話をちゃんと聞いてあげるって、本当に大切だと思いました。

 今日のクラスの中にも、きっと本当はSOSを出している子がいるのでしょう。気になる表情の子もいました。校長先生のお話では、やはり不登校の子や、問題のある子がいるそうです。

 でも、その学校の校長先生はとても素晴らしい方で、今日も不登校の子が校長室に来ていました。私たちが授業に出ている間に短歌を4首も作っていて、どの歌も素直でとてもよかったです。もちろんその子だけでなく、子供たちは皆、とても素敵な歌を詠んでいました。子どもって、本当に感性が素晴らしいですね。はっとさせられるような表現を、ひょこっと書いています。

 強調しますが、2クラス、60人いた子供たちの中で、ひとりとして同じ反応をする子はいませんでした。すぐに反応する子、ゆっくり反応する子、みんなみんな受け取り方が違うのです。是非、一番身近にいらっしゃるお母さん、お父さんに、わが子をオンリーワンとして見て頂きたいな、と思いました。 

 

 

 

37.今、目の前の子どもを見る                        

2006/2/1(水) 午前 10:59

 

 最近、5歳の息子が大変お兄さんになってきました。頼もしさを感じる反面、寂しさも感じます。以前は、保育園に送っていくとなかなか離れず、抱っこしたり手を持ってぐるぐる回したり、手遊びしたり、などなど別れの儀式がとても長く、その後も、「お仕事頑張ってね」「早く迎えに来てね」と、なかなか帰してもらえなかったのですが、今じゃ、「バイバイ」や、「いってらっしゃい」もなく、さっさと友達と遊んでいます(T.T)。

 家では、というと、まだまだ甘えん坊です。お姉ちゃんが叩いたと言っては泣き、「ダメ」といえば泣き、指しゃぶりしながら、べたべたとくっついてきます。
 でも、それも少なくなってきました。あと数年で、抱っこ、といっても来てくれなくなることでしょう。

 保育園の儀式は、当時他の保護者の方から冷たい目で見られていました。「余計なコトして」という気持ちがひしひしと伝わってきたものです。自分の子どもが同じようにまとわりついてきたら、会社に間に合わないじゃない。迷惑だわ。という感じだったでしょうね。
 一時は私も考えました。でも、「他の方に恨まれてもいい。私は、この子との後からは取り返せない時間を大事にしよう」と思いました。

 子どもにせがまれて、同じように別れ際に遊ぶ親子も数名見かけるようになりました。

 たしかに、目の前の時間は大切です。「わかってはいるけど仕方ないじゃない」という気持ちもよくわかります。

 「子育て」は、たいてい「しただけのことが返ってくる」ものなのだと思います。プラスのことも、マイナスのことも。
 転居前に通っていた保育園は私立で、父母会の力がとても強く、親は全員毎年何かしらの役を請け負い、やれ夏祭りだ、秋祭りだ、運動会だ、と、なかなか大変でした。
 でも、保育園の雰囲気はとても良く、子供たちも先生も、職員の方達も皆家族のように仲良しで、幼児クラスからは縦割り保育、ということもあり、本当に一つのコミュニティーが出来上がっている感じでした。先生方も、親の相談によく乗ってくれていました。
 大変だったけど、自分が関わった、という満足感はとてもあります。

 子どもにせがまれて、時間を気にしながら渋々別れの儀式をした保護者の方もいらっしゃることでしょう。でも、きっとそのことは、数年後、余裕が出て振り返った時にとても良い思い出になっていることと思います。

 余裕が出たら子どもとの時間を楽しもう、などと考えていたら、一番大切な「時」を逃がしてしまいます。今、目の前にいる子どもの目ををしっかりと見て、幸せな時間を共有してあげて頂きたいと思います。
 この「時」だけは、どうやっても戻すことができないのですから。

 

 

38.アサーショントレーニング(自己主張・自己表現)に参加して   

2006/2/1(水) 午前 11:26

 

 今日は区民大学、アサーショントレーニング(自己表現)講座の2回目に参加してきました。今日のテーマは、「さわやかにノーと言ってみよう」。ほとんどがワークの2時間です。

 トリートメントセミナー(世代間連鎖)のチェアワークのように重いものではなく、日常の一場面を切り取ったロールプレイングで、面白かったです。

 4つか5つのワークの中で、私としては、思春期の息子が登校前に「行かない」(最終的には行く)とだだをこねるので困る、という参加者のテーマを扱ったワークが、胸に響きました。

 小2の娘は登校時間ぎりぎりになってもTVを見ていることがあるのですが、そういう時に「ほら、もう8時10分よ、遅れちゃうわよ」「Aちゃんは行っちゃうわよ」などとせかしてしまっていました。娘は、「わかってる!」というのですが、何となく同じパターンで繰り返していました。
 
 でも、今日のワークのやりとりを見て、やはり「もう・・・」とか、「遅れちゃうわよ」は必要ないのだとわかりました。本人は、何時に出ればいいのかわかっているのですから、TVに夢中になって時間に気づかずにいるのなら、 「Mちゃん、そろそろ8時10分よ」で良いわけですよね。

 今朝はなぜか、「7時56分くらいに行く」と言っていたのですが、私が気づいたのが57分だったので、「あら、Mちゃん、7時57分よ」と言ったら、「大変、大変」と言ってさっさと仕度していました。そのあと、これもなぜか「ほら、パパ行くわよ」とパパをせかします。夫の見送りが当然と思っているようなのですが・・・夫がぼやいていました(^-^;。

 人のことはわかるけど、自分がしていることには気づかないでいることはよくあることです。両親共に教師だったり、教育の専門家やカウンセラーの家庭が、自分の家族問は題山積み、ということがよくある、と聞きますが、何となくわかります。

 自らのパターンには、気づかないことが多いのだと思います。あまりにも当然にしているので、不自然さも感じないのでしょう。でも、子どもはちゃんと親を見ているので、「何か変だぞ」と注意信号をだしているんですよね。
 
 私は20代の頃からいろいろなセミナーなどでワークショップに参加することが多かったので、こうしたワークショップは好きな方です。実際に参加してみると、頭で理解しているだけとは違う気づきがあります。その時初めて、自分が学んできたことと、体験が重なって、「腑に落ちる」ことが多くあります。

 自分が学ぶ立場から助言する立場になって、どうも頭で考えたり判断することが多くなりがちなので、、私も頭でっかちにならないよう、やっていきたいと思います。

 そして、自分の失敗談や、失敗から学んだことなども、ここに載せていきたいと思います。

 

 

 

 39.「女子少年院」のニュースを見て                    

2006/2/6(月) 午後 5:31

 

 今朝、何チャンネルだかわかりませんが、たまたまつけたチャンネルで、沖縄の女子少年院(だったかな?)のことを放映していました。

 更生中の少女がインタビューに応じていましたが、これは、本当に家庭の問題だ、と涙が出ました。

 最後の方少しだけしか見られなかったのですが、少年院に入れて良かった、という少女のセリフの中に

「つかまって、ここに入れられなければ、自分がどんどん落ちていく気がした」
「最初は裁判官を恨んだけど、今は、自分が成長できているのがわかって嬉しい。」

というようなことがありました。


 子供は、自分が責任を取れるようになりたいのだ、と、以前書いた気がします。
だから、子供には、無償の愛、「そのままのあなたで充分愛される価値があるんだよ」というまなざしと共に、「こういうことをしてはいけないのだよ」という、上限を設定してあげる、ということがとても大事なのですね。


 親の方に引け目があったり、後ろめたさがあると、子供を甘やかしてしまいます。「いつも構ってやれないからおもちゃを買ってやろう」とか、「自分も約束守るのはきついから、子供も約束破っても叱るのはかわいそうだ」とか。そういうことに心当たりはないでしょうか?

 その子に対して、心から真剣に向かい合うことが出来る親なら、可哀想だから叱らないでやろうとか、自分もできないから子供もできなくていい、という態度は取らないのだと思います。

 少年院にいる時は、ある意味守られている子供たちも、そこを出てからは大変な人生が待っていることでしょう。親が見捨ててしまうケースも多いのだと思います。また、そういう家庭だから、そこにいる、ということもあるかもしれません。

 子供が少年院にいる間、親が、我が身を振り返って、考えられるような教育システムが作られたらいいのだろうな、と思いました。

 

 

40.子供への共感                               

2006/2/8(水) 午後 6:33

 

 共感する、というのは、「相手が感じたのと同じ大きさで感じてあげること」だそうです。

 今日、5歳の息子を保育園に迎えに行った帰り、「ねえ、紙芝居って、なんで紙芝居って言うかしってる?」と私に聞きました。

 そりゃ、知ってますよね。でも、ああ、この子は何か言いたいんだな、と思って、「知らないなぁ、何で紙芝居って言うんだろう?」って聞きました。

 「紙芝居って言うのはね、紙で出来ているでしょ、それで、お芝居するから紙芝居なんだよ」
息子は真顔で言います。

「ああ、そうだったんだ、紙で出来た芝居だから紙芝居なんだねぇ」と、ちょっと大げさにリアクションすると、息子はとっても満足そうに頷いていました。彼にとっては、そのことに気づいたことが、とても大きな事だったんだと思います。

 誰だって、自分がいいことを知ったなら、誰かに教えたいって思いますよね。

 大人から見てたいしたことでなくても、子供にとっては大きな発見をしていること、たくさんあると思うのです。この発見を、認めてあげて、共感してあげること、これが子供が伸びていくためにとても大切な事だと思います。

 

 

 


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