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じゅねさんの子育てマニュアル

21.子育てセミナーに参加して

2005/11/27(日) 午後 9:42

 

 今回のセミナーは、3回シリーズの1回目、小学生の子供を持つ親御さん向けで、タイトルは、『子ども同士のトラブル その時親はどうしますか』

 講師は、足立区で保護司もしていらっしゃる年配の元気な先生。長く倫研でも指導員、派遣講師をされていた方でもあるし、その豊富な経験からはすごいパワーを感じました。

 「子どもは、自分の人生に自分で責任を取りたいと思ってこの世に生まれてくるのです。そして、生きる力を自分で身につけたいと思っているんですよ。特に3歳くらいまでは、欲求を全部満たしてやることによって子どもは成長できます」

 倫理の子育ての特徴は、「親が変われば子が変わる」というか、子どもを叱ったり、どう説得するか、などという方向には行かないことです。

 ある事例で、2歳、5歳、7歳のお子さんがいらして、2歳の子がひどいかみつき癖がある、という方がいらしたそうです。上はお兄ちゃん二人で、2歳の子にも結構乱暴に叩いたりするのだそうです。

 こうした時、お兄ちゃんを叱るのが普通ではないでしょうか。

 先生のアドバイスは、「下のお子さんはまだ2歳で叩かれるのはあまりにも可哀想だから、そう言う場面になったら、お母さんが抱いて離してあげなさい。そして、その子を充分抱きしめて、愛情を十分にかけてあげて下さい。その時、上の子達は、絶対に叱ってはダメですよ」でした。

 下の子の悲しみ、怒り、甘えたい欲求を充分満たしてあげれば、かみつき癖はそのうち無くなる、という見解です。そして、上の子達は、親が叱る必要もない。

 疑問に思われるでしょうか。上の子達が、人の気持ちもわからない乱暴者に育つと思いますか?
 そんなことはないのです。
 私は、先生方のおっしゃるとおりに実践してきて(もちろん、最初はそんなことあるのかしらと、疑問に思いましたが)、まさにその通りだと奇跡のように思えることに、何度も遭遇してきました。倫理の子育ては、特に複数の子どもがいる時に効果を発揮します。言われたとおりに子供たちに接していると、自然と兄弟間の流れが良くなってくるのです。

 これは、物事には、筋道と道理があるからです。親子、夫婦、兄弟間の順序、序列、これにはうまくいく法則があり、それに従っていれば、自ずとスムーズに争いごと無く進んでいくのです。それはもう、面白いと思えるほどに。

 参加されたからといって、会の勧誘があるわけでもないので、ご興味のある方は、是非参加してみて下さいね。結構初めての方は、「目からウロコ」という感じをもたれるようですよ。

 

 

 

22.「私」という存在を差し出す                      

2005/11/29(火) 午後 9:56

 

そこで子どものそばにいる人のあり方はまずは

be(ing) ・・・ 受動性(自分を差し出してる) ・・・ただひたすら居る

そして必要があれば do(ing) ・・・ 能動性(働きかけ) ・・・ 「ああしろ、こうしろ」                               の順です。


 

 「2005年 11月 28日 芹沢俊介氏 講演会」 のブログより
ここを読んで、何かが自分の中でつながりました。
「自分という存在を差し出す」ということは、自分があるようでいて、「無」の境地と同じようなものではないだろうか・・・そんな風にふと思いました。そこに、「私が」という「我」は存在していないのではないかと。
 そして母性本能と呼ばれるものは、こういうことなのではないか・・・と、うまく説明できないのですが、そう感じたのです。


 

 その後、3週間ぶりにボランティア施術にいきました。最初の方の足を施術していた時、「私という存在を差し出す」という言葉が脳裏に蘇ってきました。
 「愛」は「時間」・・・自分の大切な時間を、相手のために使うこと。「愛とは幸せな時間を共有すること」
そんなことをセミナーで教わったことも・・・。胸の奥から何か熱いものがこみ上げてくるような感じで涙が溢れました(最近多いです)。


 

 いつになく、澄んだ心で施術できた気がします。何のこだわりもなく、何の不安もなく。
病院を出る前からもう、子供たちに対する愛情があふれ出て、すぐにでも抱きしめたい気持ちでいっぱいでした。
 そして、次いで夫の顔が・・・(^_^; (いかんなぁ、第一に浮かぶべき人の顔が・・・m(。-_-。)mスイマセーン)



 

 何よりも、いつもそうなりたいと夢見ている、『ふんわりとやわらかで 何のこだわりも不足もなく 澄み切った 張り切った心』
 そんな感じに一歩近づけた気がします。「幸せだなぁ」って思いました。



 

 今、子供たちの言葉の乱れ、乱暴な言葉遣い、人を傷つけるような言葉を吐くようなことに対し、大人はとても敏感になっているように思います。もちろん、美しい言葉、人を傷つけないような言い方など、「教えていくべき事」はあると思いますが、その口から出る言葉の前に、まずは「心」があるのではないでしょうか。
 十分に愛され、存在を受け入れられ、自分が愛され、そのままで生きていていい、と思える子どもが、それほど乱暴な言葉を吐くようになるとは思えません。一過性のもの、流行の言葉などそういう影響はあるでしょうが、それは、心配するレベルではないでしょう。


 

 まず、親が自分が普段何を口にしているか考えてみてはいかがでしょうか。
「(ご自身が)お母さん(お父さんは)はばかだから」「(相手が)お母さん(お父さんは)はばかだから」「お父さんみたいになっちゃだめよ」「お母さんみたいになるなよ」
 自分を値引きしたり、相手を軽蔑するような言葉を使っていませんか?


 

「お母さんバカだけど、あんたは違うから」と言って、お母さんの血を引く自分がバカじゃない、と信じられるでしょうか?「お父さんみたいにならないでね」と励ましのつもりで言ったとしても、その血を引く自分に自信を持って生きていけるようになるでしょうか?



 

 「そんなつもりはない」日常的な会話が十年以上も積み重ねられて、「ある日突然」、その歪みが耐えきれなくなって一気に吹き出すのだと思います。本当は、「ある日突然」ではないと思いますが、なかなかそのサインに気づけないのでしょうね。


 

 まずは夫婦がお互いに理解しようとする姿勢、いたわり合う姿を見せることが一番必要なことなのだと思います。子供を持った以上、そのことに対して努力をするのは親の責任であると言えるのではないでしょうか。例え、溝が深まってうまくいかなくなって別れたとしても、子どもに対し、相手の悪口は絶対に言わない。それは最低限のルールだと思います。


 

 少し方向がずれてしまいましたが、すべて、つながっているのだと思います。

 

 

 

23.虐待なのか、しつけなのか                        

2005/12/1(木) 午後 4:16

 

 「子どもを叱る、怒る」事に関し、世間はいろいろなことを言います。虐待と言われるようなことをしていても、親が虐待と思っていなかったり、逆に、外から見てたいしたことなかろうと思うことでも、「自分は虐待しているのではないか」と思ったり・・・


 

 親の都合で怒っているかどうか、とか、叱るのはいいけど怒るのは良くない、とか、いや、人間なんだから怒ってもいいのだ。などいろいろありますが、今回はちょっと違った視点からお話ししようと思います。


 

 子どもが怯えてしまうほどひどく叱ったり、怒ったり、叩いたりというのは、もちろん虐待の範疇に入るものだと思います。それが例え一度きりのことであっても・・・。震え上がらせるのは、一度で充分なのですから。


 

 虐待家庭の中の一つの特徴として、「一貫性または関連性のない叱り方・怒り方」があると思います。「子どもがしたこと」に対し、ある時は許して、ある時は叱る、というようなものです。親のその時の機嫌次第で怒られたり、怒られなかったりしていると、虐待家庭でなくても子どもの認識は歪んできます。


 

 虐待家庭では、「烈火のごとく親が怒る」ということが、突然起こったりします。
例えば、普通だったら、子どもが何かしても、親の方で、ここまでだったら許すけど、ここから先は許さない、という基準がありますよね。子どもも、「ああ、ここまでだったら親が怒らないな」とか、「そろそろ危ないからこの辺にしておこう」とか、それにプラスして、「今日は機嫌がよさそうだからもう少し平気かな」とか、「いつもはこのくらい平気だけど、今日はお母さんの機嫌が悪かったからまずったな」とか、だんだんに学習して限界点というものがわかり、自分がしてもいい範囲というのを覚えていきます。その前後に「その時の親の機嫌」などの遊びがあることも覚えていくことでしょう。


 

 ところが、何もしていないのに、突然親が怒り出す、ちょっとお箸を落としたくらいで殴られる、などのことが起きるかと思うと、かなりいたずらをしてもにこにこされたりする。そんなことが日常繰り返されると、子どもは訳がわからなくなります。自分がしても許されること、してはいけないことの範囲がまったくわかりません。裏を返せば、いつ、どういうときに、なぜ 親が烈火のごとく怒るのか、自分を殴るのか、そういったことがわからないので、常に緊張を強いられて、びくびくしていなければなりません。突然夫婦げんかが始まったかと思うと、お母さんが出て行って一晩帰らない、ということがしょっちゅうあったなら、小さな子は、どんな気持ちでしょうか。



 

 そこまでの家庭はそれほど多くはないと思いますが、「時によって許すけれど、時によって許さない」という、一貫性のない子育てをしていると、約束や時間を守れなかったり、集団生活で大きなズレを感じたりすることになります。また、我慢ができない子は、こういうところにも原因があるようです。


 

 しつけは、「家庭内のルールを守らせる」ことだそうです。だから、挨拶を必ずする、とか、自分のものは自分で片づけるとか、テレビは何時まで、とか、そういうことを、毎日毎日、身に付くまで繰り返すのがしつけ、ということになるかと思います。


 

 特に、絶対に守るルール、ということを、1つか2つ決めて、それは何があっても譲らない、というのが良いらしいですね(それすらなかなか難しいですけれど)。 

 

 

24.「教える」ことと「伝える」こと                      

2005/12/6(火) 午後 3:20

 

 何だか今日の午後の番組で、今20代〜30代の会社員に「無気力に思うことがあるか?」というアンケートを採ったら、時にある、というのを含めて「70%」を越えるような数字が出ているというのをやっていました。

 原因は一つではないと思いますが、やはり考えられることの一つとして、親が、子どもが幼いころに手を出しすぎていたのではないかと思ってしまいます。

 私自身、今はっきり区別せよ、と問われたら自信がないのですが、親から子へ「伝える」ことと、「教える」ことがあるような気がしました。

 生活の中で、例えば、散歩しながら木の実や花を見ながら、「ほら来てごらん、この実はね・・・・」と体験の中で子どもに教えてあげることは、とても大切なことだと思います。知恵を伝える。という感じなのでしょうか。でも、「この答えは何?」と聞かれて「○よ」と安易に答を教えることは、時には必要だとしても、あまり意味の無いような気もします。


 前にも書きましたが、親という字は「木の上に立って見る」ごとく、子どもが間違ったり、迷ったりしながら答えを出すのを見守るのが親の仕事なのではないでしょうか。その答えが例え間違っていたとしても、「間違った」ことを子どもが受け入れ、また「新たに考える」過程を「よし」として親が受け入れる、「間違っても大丈夫だよ」、と温かく見守る姿勢が大切なのだと思います。

 

 

25.子どもは公平さにこだわる                       

2005/12/9(金) 午後 8:51

 

 昨日、年長の息子の保護者会があり、その中で、1時間半ほど、学芸大の先生のお話がありました。

 さすがは大学の先生だけあって、ハンドアウトも用意して下さいました。その中から少し引用させて頂きます。

* あたたかい心が育っていくためには、0歳から3歳までの幼児体験が必要です。この時期に脳が発達して、あたたかい心を両親から受けると、子どもは健全に育ちますが、この時期の悪い環境、虐待や体罰を受けると、反抗心が育ち、それが、復讐心になり、犯罪を犯すようになると言われています。
* 子どもには、《甘やかしでない暖かさ。怒りでない厳しさ》が必要です。
* しっかりと叱れることは、《愛の証》でもあります。

 などなど・・・

 そして、兄弟というのは、母を奪い合うという闘争から始まる、という話から、子どもが複数いる場合、子どもは親が自分に公平かどうかということに大変敏感だということを話されました。

 先生の場合は、子供たちに買い物の明細まで見せる、ということでした。何でも、ある時二人のお子さんに自転車を買ってあげたら、女の子の方がオプションがついていて少し高かったのですが、その時、男の子が、「この差額分はどうなるんだろう」と話しているのを聞いてどきっとしたのだそうです。

 聞いている時は、何もそんなことまで・・・と思ったのですが、思い出してみると、私も妹の方が高いものを買ってもらった時に、「妹の方が○円高い」と確かに不満に思ったのを思い出しました。

 よく、複数のお子さんがいらっしゃる方で、「どの子も同じように育てたはずなのになぜこの子だけこんな風に考えるようになったのかしら?」とおっしゃる方がいますが、本当にそうでしょうか。

 親御さんの年齢、考え方、周りにいる大人達の人数、兄弟の有無、経済環境など、まったく同じということがありえるでしょうか。

 親の思いは同じ、ということを否定する、という意味ではなく、子どもの側がどう受け取っているか、ということに、もっともっと敏感になって、子どもとしっかり向かい合って話を聞いてあげて頂きたいなと思います。

 

 

26.傾聴ボランティア養成講座                       

2005/12/14(水) 午後 4:48

 

  区で、「(高齢者)傾聴ボランティア養成講座」の募集がありました。私が今訓練しているのも同じスキルなのだけど、以前新聞の記事で読んでから、この講座がいつか区でやらないかと目を光らせていたのです。このくじ運の悪い私が、3倍の倍率をみごとくぐり抜けて参加することができました((ё_ё)。これはやはり、こういう道へ進めという天の采配でしょうか・・・?

 いろいろなことを学ぶにつれ、こうした親と子のコミュニケーションスキルの講座を自分でも開きたいと常々思っていて、また、今病院で施術ボランティアをさせて頂いていることもあり、高齢者とのコミュニケーション、というところでも興味があったわけです。

 配られたテキストにもありましたが、相手の話を傾聴(アクティブリスニング)すると、相手が自分の思いをすべて語ることで考えが整理され、カタルシス(浄化作用)効果によってプラス思考になるそうです。

 子どもだって同じ事だと思います。自分のことを考えてみましょう。聞いてくれる人がいて、言いたいことをずっと話すことができると、自分でも何が言いたかったのか気づけたり、あらためて考え直すことができたりできますよね。

 子どもに十分に話をさせてあげる、ということが子どもの成長を促すことになるのだと思います。親は、自分が体験していることは、ついアドバイスしてあげたいとか、教えてあげたいと思うものですが、そこをぐぐっと我慢して、子どもに話をさせてあげてみませんか?

 何度も書いていますが(何度目にしても、なかなか腑に落ちるものではないのです)、小さな子どもが話している内容が間違っていたとしても、いずれは正しい答えを学ぶのですから、訂正なんてしなくても、なんら害はないものです。「サンタクロースは本当にいるよ」と信じているのとたいした相違はないだろうと私は思います。

 それよりも、「ああ、この子はこんな風に解釈しているんだなぁ」とか、「子どもの目にはこんな風に見えるんだ」ということを、楽しんでみてはいかがでしょうか。成長するに連れて、こういった豊かな感性は、だんだんと日の目を見なくなってしまうものでしょうから。

 

 

27.子どもの側にいる、ということ                    

2005/12/18(日) 午後 0:59

 

 「母性本能」が生まれついたものかどうか、「三歳児神話」があるとかないとか、いろいろと議論されているようですが、それはおいといて、個人の考え方として読んで頂ければ幸いです。

 子どもは自分が望まれてこの世に出てきたのだ、母や父が自分を守ってくれるものだと信じて生まれてくると言われています。0歳児の時は、100%誰かの助けがなければ子どもは生きていきません。この時期に、母(もしくは母に相当する人)からどれだけの無条件の愛を受けられるかどうかは、その子の後の人生に大きく影響を与えます。特に、脳が周りで起こったことを自動的に配線してしまう3歳くらいまでは、この時期までの親の周りの人間関係、親の精神状態などによって、自分が見習うべき「モデル」がインプットされてしまうので、例え子どもの記憶に残っていなくても、基礎はできてしまうことになるのです。
 
 もし、わが子が何かしら問題を出した時、親は、是非子どもがお腹にいる頃自分がどんな暮らしをしていたか、子どもが3歳くらいまでの間、夫婦仲が良かったか、嫁姑の争いがなかったか、など、その頃の状況をもういちど点検してみることをお勧めします。
 
 子どもが大きくなるに連れて、だんだんと親の手を離れていくのですが、子どもにとって、いつでも誰か自分を待っていてくれる人が家にいるかどうか、ということも、その成長に大きな影響を与えると思います。

 大人だって、夜帰ってきた時に、灯りがともって、ドアを開けたら「お帰りなさい」とニコニコしている家族に迎えられるのと、いつ帰っても暗い、誰もいない家に帰るのとでは全然気分が違いますよね。

 子どもならなおさらです。これが毎日毎日、小さな積み重ねとして「今日も誰もいない」「今日も一人だ」「今日もやっぱりいないのだ」があると、いずれは「どうせ家になんて帰っても」「帰ってもどうせ一人だし」「誰かが待っているわけでもないし」
 という、「自分を待っている人はいない」「自分は誰かに待っていてもらえる価値はない」というような価値観をもって大人になっていくのではないでしょうか。

 誰でも、「良いこと・嬉しいこと」があれば、誰かに聞いて欲しいし、分かち合いたいと思うでしょうし、「つらいこと・悲しいこと」があったら、誰かに側にいてほしい、と思いませんか。

 小学校2年の娘が、時々学童に行かないで家に帰ってきてしまうことがあります。そういうときは、気まずそうな顔をして言い訳をします。「今日は一般(学童保育ではなく)で行く」。黙って抱きついてくることもあれば、べそをかいていることもあります。「どうしたの?」と聞いて抱きしめてあげると、何かしらつらかったことを話してくれることもあれば、「ママの顔が見たかったの」という時もあります。
 だいたいは、そこで数分の交流があると、晴れ晴れとした顔をして、さっさと児童館に行きます。

 子どもにとって幼稚園や学校などの集団の場は、一つの戦いの場ですよね。自分が仲間に入れるか、仲間から外されるか、意地悪されるか、先生からどう評価されるか、仲間の信頼を得られるか。あっちとくっついたり、こっちとくっついたり、訳わからずに突然無視されたり。
 この辺のことは、どの子にも、多かれ少なかれ起こってくることだと思います。また、その中で子供たちは、自分の居心地の良い場所はどこか、どのあたりに自分を位置づければ仲間に入れるのか、など、妥協するべき点とか、我慢するとか、主張するとか、人と仲良くやって行くには自分の中でどの辺で折り合いをつけたらいいのか。ということを学んでいくわけです。

 大人から見れば通ってきた道だから成長の過程と見られますが、子どもにとっては結構な修羅場のはずです。とはいっても、この過程を自分で乗り越えないと、成長してから社会の中で上手くやっていけるようになりません。

 昨日参加した「家庭倫理の会」子育てセミナーの講師もおっしゃっていましたが、親にできることは、子どもの話を聞いてあげること、十分に受けとめてあげることだと思います。決して親は「答」を出してはいけない。

 母のことを、「お袋」といいます。母は、すべてを受け入れてくれる「大きな袋」という方もいますよね。(夫もでしょうが)子どもは、母の袋に自分の背負っている荷物を全部入れてもらって、また身軽になれるからこそ、外で戦うエネルギーを得ることができると言えます。

 こう書いてくると、「母」だけが苦しい思いをすると考えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、そこはまた別立てで書いていきたいと思います。いっしょくたに考えるから混乱してしまうのだと思って下さい。

 

 

 

28.力の逆転(子育て編)                           

2006/1/4(水) 午後 2:01

 

 子育てにおいて、夫も妻も、互いの悪口、愚痴を子どもに言わないということを、徹底した方が良いです。

 よく、幼い子どもが側で遊んでいるのに、平気で夫への不満を電話で言ったり、友人と話したりしているお母さんがいらっしゃいますが、子どものためにも、自分のためにも、絶対に言わないことです。それはたとえ、本当にパートナーが悪かったとしても、です。
 だから、相手に非があって離婚した場合でも、絶対に相手の悪口を子どもに言ってはいけません。

 例えば、夫の酒癖が悪かったり、ふがいない夫であった場合、たしかにある程度の年齢までは、子どもは母の味方をします。一緒になって父を責めるかもしれません。でも、それは一生は続かないのです。

 思春期を過ぎてくると、「ちょっと待てよ」ということが始まります。「本当にお父さんばかりが悪かったのだろうか?」という疑問です。うっかりすると、ここから逆襲が始まります。「おめーだって悪かったんじゃねーか?」「好きで一緒になったくせに、うまくいかなくなったら捨てるのか?」などなど、攻撃対象が逆に母になる場合も少なくないでしょう。

 そうならなくても、自分の中の半分の血を否定されたり、嫌ったまま成長すれば、男(女)なんて、みんな女(男)を不幸にする存在。自分には母(父)に受け入れられない血が流れている、と思い、自分を受け入れることも、健全な異性交流も、持てなくなる可能性があるのです。

 そうなると、当然、最初から自分を受け入れてくれないような相手を選ぶ、最初から別れてもそれほど痛手を受けないような相手を選んで結婚するなど、パートナー選び、というところに歪みが出てくるわけです。

 そして、それはもちろん意識してされるわけではなく、無意識の中にうまくいかない脚本を書き上げてしまい、その脚本通りに生きていこうとすることになります。

 姉妹編として、「エリート回復者からのメッセージ」にも自分の思いを書き込みましたので、合わせて読んで頂けたら幸いです。

 

 

 

29.あたる?叱る?怒る?                         

2006/1/7(土) 午前 8:29

 

今朝の新聞の投稿に、「江原啓之スペシャル・天国からの手紙」を読んでというのがありました。江原さんの「今の親は子どもをしかるのではなく、当たるのです。愛情があればしかることができる」という言葉に反省させられた、というものでした。

 それはそうですよね。子どもじゃなくたって、相手の機嫌が悪いのをこちらにあたられたのではたまりません。親の保護下にいる子どもだったらなおのこと、逆らったり、それに反抗したりすれば、余計に我が身に災難が降りかかることもあるでしょう。

 でも、そうはいっても親も生身の人間。時には機嫌が悪くて子供に当たることもあるのではないでしょうか。それがすべて「いけない」と考えたら、子育てが苦しくて仕方ないですよね。

 必要なことを叱り、愛情はたっぷり注ぐ。そして子どもらしくのびのびとした子に・・・。たぶん、子どもを持つまでは、そういう風に子育てをしたいという思いに胸をふくらませていらした方が結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 でも、現実は目の前にまったくこちらの思惑と全く違う生き物がいたとしたら・・・?

 なぜ、たいしたことでもなさそうなのに子どもが受け入れられないと思う時があるのでしょうか。

 それは、自分が育てられてきた環境と深く関係しています。「ありのままの子どもをそのままで良いと受け入れる」つまり、「良い子でなくても愛しているよ」というメッセージが与えられ続けていれば子どもは自分を愛することができるようになります。
 でも、悲しいかな、人間というのは、自分がされてきていないことは、なかなかできないものなのです。自分が許されてこなかったことを、子どもに心から喜んで許すなどということは普通はできません。

 子どもの頃の親との関係を振り返ってみて下さい。ご両親はあなたの存在を、そのまま受け入れてくれていましたか?何でもかんでも「だめだめ」と言われてこなかったですか?そのときあなたはどう感じましたか?文句があるならば、今、言い返せるならば、その相手は誰ですか?

 答えを言ってしまえば、親に言えなかった文句を、そのままわが子にぶつけているという構図があります。つまり、あたる相手が違うのです。そのことに、頭で理解するのではなく、身体で理解する、腑に落ちる、すとんと落ちる、という風に、自分なりに納得できれば、子どもに対してあたる回数も目に見えて減ってくるはずです。

 そして、もうひとつ大切なこと。親子の信頼関係をしっかりと築くことです。これは長くなるのでまた別に書きますが、親と子が、しっかりとした信頼関係にあれば、少しくらい親が怒ったって、あたったって、それほどの害はないと思われます。信頼関係ができていなければ、まず、そこを作り直すことが大切です。
そのために使えるテクニックに「傾聴」があります。一言だけここに書いておくならば、子どもが言ったことなどに頭に来た時、すぐに怒るのではなく、ちょっとつぶやいてみたらいかがでしょう。「そういう考え方もあるのね」

 

30.親は子のモデル                              

2006/1/12(木) 午後 2:05

 

娘が怒ると迫力があります。すごみがあるというのか・・・。今朝もラーメンがまだできていないと台所に来たのですが、その様子を見ながら、「何でこう迫力あるかなぁ・・・?」とつぶやきながらはっとしたことが・・・

 そうです!私が子供たちに「片づけないと捨てるわよ〜!」と怒る時そっくりなのです!
 そうだった・・・モデルは紛れもなく私だったんだっけ・・・(;-_-R;)

 夫に、そんなことを聞いてみると、「ああ、そっくりだよ〜」とのお答えが(^-^;!
「でも、子供たちの時には結構柔らかく言うことあるけど、俺に対してはもっとすごいよ・・・」

 うーん・・・

 今さらなのですが、そうなのです。子どものモデルは親なのです。

 男が女より偉い、という意味ではなく、もし、男の子にしっかりと、男らしく、リードするような子になって欲しいと思うのならば、妻は夫を大事にして立ててあげることが必要です。優しく、守ってあげたいような女の子に育てたいのならば、夫は妻に優しくして、やはり大事にしてあげることが大切です。

 子どもはしっかりと見ています。

父を立てない母を見れば、子どもは、夫婦の在り方がそういうものだと思います。
 こういうタイプの場合、息子ならば、まず、母に似た妻を選ぶのが普通です。例え見かけは違っても、中身が同じタイプを選びがちになります。だから、自分を立ててくれないような妻を選んだり、どうせ結婚したって妻が自分を大切にしてくれるとは思えないので、結婚なんて墓場だなどと思いがちです。結婚しないかもしれません。
 娘ならば、尊敬できない相手を夫として選びがちです。そして、やっぱり「男なんてどうしようもない」感じを強めていく可能性があります。

母を大事にしない父の場合、やはり子どもはそういう夫婦関係を作りやすいのです。
 息子は、自分に逆らわないような、思い通りになりそうなタイプを選ぶかもしれません。そして、相手を大事にする価値もないと思っていく可能性があります。
 娘は、自分なんか大事にしてくれなさそうな人を選びがちになるでしょう。社会的には立派なのに、家族には当たり散らす人だったり、とか。

 両親二人の間がうまくいくのなら、それはそれでどちらが実権を握ろうとも口を出すつもりはありません。でも、子どもの将来に大きく影響することだけは忘れない方がいいと思います。

 家族の中の序列というものがその後大きな影響をおよぼすのは確かです。

 一般的に言えば、父親がボスの方がうまくいくようです。例え実権は母が握っていても、です。夫婦の連携というか、子どもの前でのパフォーマンスというのでしょうか。例えば、子どもが何か値の張るものをねだった時、本当は母の一存で決めている家であっても、「それが欲しいんだ。じゃあ、お父さんに聞いてみるね(相談してみるね)」そして、相談してもしてなくても、「お父さんが良いって言ったから買ってあげる」とか、「お父さんがダメだっていったからやっぱりだめ」とか、「必ず父の意向を聞かないと決められない。」お父さんがボス。とルールを作っておくと、子どもが思春期以降力をつけて反抗期になっても、対処がしやすいようです。何より、父は子どもにとって、社会の規範、自分の乗り越えるべき壁となる存在なのですから。

今までほとんど陰もなかったお父さんが、突然その時になって出てきても、はったおされるだけになることはおわかりになるかと思います。

 先日あるセミナーでお会いした、会社でコンサルタントをしていらっしゃるお父さんが、「最近、夫が妻から小遣いもらうのって、やっぱり良くないと思うんだよね。だって稼いでくるのは俺なのに、頭下げて妻に頼んで小遣いもらってるから、子どもが俺のこと、バカにしている気がするんだよ。こういうのってよくないなぁ。」

 

 

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