じゅねさんの子育てマニュアル
11.アイメッセージ
2005/10/28(金) 午後 10:11
こういう関係のお仕事をしていると、「アイメッセージ」という言葉がよく出てきます。何年も前から知ってはいますが、何度聞いても、結構私はアイメッセージって使い方が難しいなぁと思ってしまいます。
主語をI(私)にしても、中身がアイメッセージになっていない、ということが案外ある気がして、私にはどうもしっくり来ないのです。 この手のことをかなり深く教えるカウンセラーの元に長く通った母は、前から「アイメッセージには松竹梅があるのよ」と申しており、梅(第1段階)は自分の感情を伝える、竹は・・・、何だったっけ?一度ちゃんと教わろうと思いながら、まだよく聞いていません。
私は今、「傾聴」という方面の勉強をしているのですが、そういうことを主にされている先生が書かれた本に、話す事に関して、大変わかりやすい記述があったので、引用させて頂きます。
== 相手に的確に伝わる話し方の基本は、「事実・影響・気持ち」の3ステップである。・・・まず最初に事実を言う。事実とは、だれた見ても認められる客観的な事柄だ。たとえば、朝起きた子どもが、布団の上に座ったまま、洋服に着替えないとすれば、「子どもは洋服を着替えない」というのが事実だ。お父さんが見ても、お祖母さんが見ても、子ども自身が見ても、、客観的に正しいと思えることだ。次に、その事実がどんな影響をおよぼすかを述べる。「薄着のままいると、風邪を引くかもしれない」つづいて、それが引き起こす話し手の気持ちを伝える。「薄着のままいると、風邪を引くかもしれないので、お母さんは心配になってきた」一応、こういう接し方をしたうえで、子どもが着替えるように促す。『愛と癒しのコミュニオン』鈴木秀子著 文藝春秋 より==
先日、娘が自転車の後ろで大声で歌っていたので、「Mちゃんが大声で歌っていると、みんなが振り向いて、ママ、恥ずかしいんだけどなぁ。」と言ったら、にこにこして「このくらいならいい?」とちいちゃな声で歌ってくれました。
受容の心を持って聴くこと、伝えたいことをさらりと伝えられること。そういうことが日常意識しなくてもできるようになれたらいいなぁと思っています。
12.子どもとの問題でなく、親との間の問題に目を向ける
2005/10/29(土) 午後 10:06
子どものすることにかっとなる。許せない。受け入れられない。
そんな思いがある時は、子どもとの関係を修正しようと努力するより、自分の親との関係を見直した方が効果があります。
自分がわが子ぐらいだった頃、親に言いたかったこと、数歳の時に嫌だと思った思い出、そんなことを大人の目で見直して、その時とった行動が適切だったかどうかをもう一度考えてみるのです。
そういえば、今考えたら変だよなぁ。と思えること、ありませんか?子どもの頃、親の言うとおりにしなければ、言うことを聞かなければ、自分が悪いのだと我慢しなければ、生きられなかった小さな子がいるはずなのです。
そして、本当はどうしたかったのか、本当に、自分が悪かったのか、点検してみましょう。
そこで、本当に自分が親にその時言いたかったこと、して欲しかったことに気づけると、あら不思議。今までどうにも受け入れられなかった子どもの言動が、気にならなくなっていたりします。
余談ですが、さっき子供たちとお風呂に入っていた時のこと。5歳のいたずら盛りの息子が、お風呂を出る時に、「ドア閉めないからな」と言いました。「閉めてよ」「うん、ドア閉めないからな」「閉めてよ」「うん、ドア閉めないからな」うーん、と思って、「じゃ、ドア閉めないでね」「じゃ、ドア閉めるからな」と、ドアを閉めて行ってしまいました。 単純なヤツ・・・
やはり、親がゆとりを持ってかわせれば、なんてことなくすんでしまうこと、結構あると思うのです。そのためには、自分にしっかり気づくこと。それが大切だと思います(´ー`) 。
13.子どもの話を聴く能力を伸ばす
2005/10/31(月) 午後 3:25
いじけ気味の息子にどう対応したらいいのか。
昨夜お風呂に入っている時のことです。遊び疲れていたこともあり、彼は不機嫌でした。「Rくんなんて、死んじゃえばいいんでしょ」「Rくん、ばかだからどうなってもいいんでしょ」「Rくんのことなんて嫌いなんでしょ」etc.etc...
今まで、話をよく聴いてから、「大好きだよ」「いたずらっ子のR君だって大事だよ」と言い続けてきたのだけれど、どうも、その時は納得する風を見せても、どこか何か引っかかっているような気がしていました。
「だって、あのときダメっていったじゃない」
そりゃぁ疑問に思うのはもっともです。一生懸命考えながら言葉をかけても、どこか矛盾したメッセージを与えてしまうのは仕方のないことだし、どうしても限界があります。それを子どもが「嘘」と言っても、言い訳のしようもないのではないでしょうか。
そこで、世代間連鎖のセミナーも受けてきたばかりだし、基本に戻ってみることにしました。「Rくんなんて、死んじゃえばいいんでしょ」「Rくんは、ママがRくんなんて、死んじゃえばいいんでしょって思ってるんだ」「だってRくん、ばかだからどうなってもいいんでしょ」「Rくん、ばかだからどうなってもいいってママが思っていると思うんだね。」うなづく息子には何も返さず、ただただオウム返しのように聞いていました。延々とこんなことをしているうちに、ふと、「ああ、これでいいんだ」と思いました。
肯定することもなく、否定することもなく、同情することもなく、止めることもなく、励ますこともせず、ただ淡々と聞き続ける・・・。「子どもは(大人もですが)ただ自分の話を聴いて欲しいだけなのかもしれない。きっと、そのあとどうするかは、この子が自分で考えることなんだ。親がそこまで手を出す必要はないのだろう」
もちろん、次のステップがあるわけですが、今はそこはおいといて、まずはこれが第一歩なのだと思います。
ある程度吐きだしてから、息子はもう上がる、と言って、浴室のドアを閉めながら、「どうせR君のことなんて嫌いでしょ」という言葉を残して出て行きました。 私が上がってみると、もう眠っていましたが・・・。 寝る前に、耳元で、「R君が大好き。大好き、大事な大事なRくん・・」と潜在意識にすり込んでおきました。
今朝のことです。また出ました。「R君のことなんて嫌いなんでしょ」「ああ、R君は、ママがR君のこと嫌いだって思うんだよね」 「だってさ、ママ、さっきR君が面白いこと言ったのに、笑ってくれなかったじゃない」
彼が言いたかったのはこのことだったのでしょう。「何でそんなこと思うの?」と聞いても、もしかしたら答えてくれたかもしれません。でも、そのまま返してあげた方が、子どもにとっては、「言ったことを受けとめてくれた」と 思えるのではないでしょうか。
まずは、今日子どもがマイナスのことを言ったら、ちょっとトライしてみませんか?徹底的に聞いてあげる。すると、何か今までには気づかなかったことが見えてくるかもしれません。
14.子どもの話を聴く〜体験編1
2005/11/6(日) 午後 9:53
やはり、マニュアルと書いてあるからには、体験談も必要かと思いました。
先ほどの、息子との何気ないやりとりです。
息子が絵に色を塗っているのを見て「何かいてるの?」「潜水艦」「そう、潜水艦なんだ。きれいにぬれてるね」「うん、潜水艦はね、前にぐるぐる回るのがついてるの」「へぇ〜。それ、何でついてるの?」「わかんない・・・・あっあのね、きっとね、ぐるぐるっていうのがあるからちゃんと前に進めるんじゃない?あのね、これがあると、早くはしれるんだよ!」「あっそうかぁ。それがあると、きっと早く走れるんだよね」
その後、ウルトラマンの表紙がついている自由長を持ってきて・・・ 「これね、切れちゃったの」「切れちゃったの?」「うん、中のね、やつを切ろうと思ったら、何だか一緒にきれちゃったの」「あらまぁ〜。切れちゃったんだねぇ・・・どれどれ?」「ほんとうだぁ・・・」しばし沈黙「(私)どうする?」「どうしよう・・・」「どうしようかねぇ・・・」「テープで貼ればいいんじゃない?」「あっそうか、テープで貼ろうか」「うん、じゃ、テープ持ってくるね。」と、さっさと自分で貼ってしまいました。
高校生くらいになったお子さんを持つ親御さんが、「うちの子は自分から何もしようとしない」「覇気がない」「言われたことしかやらない」そんなことをおっしゃるのを耳にします。
よ〜く思い出してみて頂きたいのです。お子さんが幼いころ、自分で考えて行動する、ということをゆっくり待ってあげましたか?子どもが上手にできなくても、親が手を出さずに、見守ってあげましたか? 何でも「親が教えてあげなければ」、と子どもが自分で答えを出すことを止めてしまったことはなかったですか?
何より、子どもがうまくできなかったとき、「貸しなさい、お母さんがやってあげるから」などという言葉を口にしてはいなかったでしょうか?
自分でやったら、親は満足しない、自分がやってもうまくいかない。そういう風に思いこんだまま大人になったなら、身体だけ大きくなったって、自分から何かしようだなんて、思わなくなってしまうのではないでしょうか?
15.失敗談
2005/11/8(火) 午後 1:58
昨日具合の悪かった息子。昨夜は38度近くまで上がったし、一日食欲もなかったので、今日は休ませるつもりでした。
本当なら、今日は病院ボランティアの日なのですが、夫には一人で行ってもらうことにしました。一応息子に「保育園行く?」と聞いても、「休む」という返事。明日は一日私がいないので、できることならぶり返させたくありません。
でも、息子は起きるなりお腹すいた!と食欲旺盛。よく寝てすっきりしたのか、大変元気。あんまり騒いでいるので、つい、言ってしまいました。「Rくん、そんなに元気なら保育園行く?ママ、そしたらお仕事行けるんだけどな」(「あんたは邪魔よ」という意味のメッセージだね) 一瞬止まった息子。「うん、行く!」
しまった・・・|||||/( ̄ロ ̄;)\|||||||
息子はいじけ気味。自分より相手が大切な存在、という思いをどこかに持っている子です。
「ごめん、Rくん、ママ、お仕事よりR君と一緒の方がいいな。」「ううん、保育園行く。今日お天気良いからお散歩行くかも知れない」 「今日はさ、もう一日ゆっくりしてようよ」 「・・・だって、公園行けるの?公園行けないのはお休みって言わないんだよ」 「・・・そうだね。風邪でお休みしたらおうちにいるしかないよね」
非常に微妙なところなので会話は省きますが、非常に敏感にキャッチしたRくんなのでした。まあ、確かにお友達と遊んだ方が楽しいという面もありますが、「じゃあ、早めにお迎えに行くね」ということで、急遽保育園に行くことに。
階段を下りる途中、何となくぐずぐずしながら・・・ 「Rくんのこと、大事じゃないんでしょ」「大事じゃないと思うの?」うなずくR君。「そう、ママがR君のこと、大事じゃないって思ってるんだね」 「だってさ、ママ、R君がママのこと気持ちよくさせてあげようと思ったのに叩いたじゃん」とべそをかきました。 −−実は、1〜2ヶ月前、いきなり息子が足のつぼを押す棒で、ぎゅっと私の小指か何かを押したことがありました。あまりの痛さに、私も思いきり叩いて怒ったことがあったのです。(これは、痛い思いを親からさせられてきた私のトラウマと関係あるのですが、それはまた別の機会に・・・書いたかも)−−
息子を抱きしめながら、「そうだった、あのときはママが悪かったよ。R君は、ママを気持ちよくさせてあげようと思ったんだよね。本当にママが悪かった・・・」
少しの間抱きしめていたら、息子はさっさと自転車にのってにこにこしながらパパと行ってしまいました。
たいしたやりとりではなく思えるでしょうか?この中に結構深い修正があるのです。すべては毎日の、小さな小さな積み重ねがいずれ大きな意味を持つようになります。
ホンの小さな子どもからのメッセージ、これは、直感に頼るしかないのかもしれません。でも、子どもに対して、アンテナを張っていれば、誰でも気づけるコトなのだと思います。
「子どもの言葉」を鵜呑みにしないこと。これはとても大切なことです。子どもは常に親がどうしたら幸せになれるか、笑顔になれるかを考えて生きています。子どもとは、そういう風にできているそうです。 だって、親に見捨てられたら、子どもはその命さえ危ういのですから・・・
16.子どものお尻を叩く
2005/11/11(金) 午前 7:18
子どもを叱る時に、お尻を叩く方いらっしゃるでしょうか。
今日は時間がないので一言だけ
ホリスティック医学を学んでいた時のこと、そちらで活躍されているお医者様が、子どものお尻を叩くと、性的な目覚めが早くなる可能性がある。とおっしゃっていました。チャクラの関係もあるのだと思います。
チャクラはエネルギーの通り道ですが、準備ができて自然に目覚めるのではなく、強く叩いたり、強い衝撃で目覚めることがあります。性腺チャクラに近いこの部位を叩くことは、このチャクラを目覚めさせてしまう危険があります。
目覚めが早くなるだけでなく、性的な暴走が考えられるので、お尻を叩くのはやめた方がいいでしょう。
17.「いただきます」の意味って?
2005/11/15(火) 午前 10:21
先日の某新聞の投稿欄に、ある学校で、生徒の親から、「給食費を払っているのだから、うちの子には『いただきます』を言わせないで下さい」という話があった、という記事を見て唖然としました。
『いただきます』って、お金で換算するということを考える人がいるということに、今まで気づきませんでした。まさか、そんな風に考えている方々が他にもいらっしゃるとは思っていないのですが(希望的観測?)もしかして他にもいらっしゃるのでしょうか・・・?
でも、現代、出来上がっている物がなんでもお金を払えば手に入る時代ですから、自分で稼いだお金で手に入った物は、「自分の力で手に入れたもの」、と勘違いしている人が多いのは確かなのでしょう。
毎日使っているPCはもちろん、着ている服だって、みかん一個だって、いえ、目の前の割り箸一本、 私たちが自分一人の力で手に入る物は無いのではないでしょうか。 私が心の勉強として取り組んでいる倫理研究所の学びでは、食事の時も感謝の言葉を述べて食べるということを教えてくれます。「自然の恵みと、この食事が食卓に上るまでに多くの人の働きがあることに感謝して、私たちの命を与えてくれる元となる食べ物に感謝をして慎んで頂きます」というようなことを述べるのですが、とても大切なことだと思います。キリスト教でも、食事の前には祈りますよね。
今まで自宅ではやっていなかったのですが、最近は家でもちゃんとした方がいいかなぁと思っています。
命でも同じだと思います。60兆個もの細胞の中にあるDNAが、核分裂をおこしながら確実にコピーされるなどということは、はっきりいって奇跡の世界だと思いました。間違ってコピーされる場合もあるわけで、誰でも少しずつ、許容範囲内の小さな奇形の部分は持っているのではないでしょうか。そんな中で生まれてきてくれた命を、「我が物」と考えることから親子関係というのがおかしくなっていくのだと思います。
「この子を立派に育てなさい」という天の意志から子どもを授かり、育てさせて頂いて、社会へと送り出してお返しする。その間に自分たちも学び、成長させて頂く、というのが子育ての意味なのだと思います。
今の自分が必ずしもそれを実行できているとは思いませんが、思い出しては、自分に言い聞かせています。
18.「言い聞かせない」・・・体験談
2005/11/17(木) 午前 11:46
小学2年生の娘は、週に1度、区の「ことばの教室」に通っています。大好きな「授業」から帰ってきた娘は、何だか怒っていました。
芸術の秋、のこの季節、こちらでも学習発表会があり、その演目を、娘は「三匹のこぶた」だと信じていたらしいのですが、決まったのは「天狗ちゃんとだるまちゃん」でした。 先生によると、「そんなお話知らない!」と怒ってしまったそうです。
長いすの上に突っ伏している娘に、「そうか、Mちゃんは、三匹のこぶただと思ったんだよね」「Mちゃんは、一番弟のこぶたがやりたかったのかな?」「Mちゃんは、三番目のこぶただったんだよ」「そうかぁ、三番目のこぶたがやりたかったんだよねぇ」
娘はまだむすっとしたまま、そこにあった『ななちゃんのたんじょうび』という絵本を手にとって声を出して読み始めました。少しの間聞いていたのですが、私も読みかけの本を取り出して隣で読んでいました。しばらくして、結末の所まで来ると、「仔牛が生まれたんだって」と、嬉しそうに話してくれました。「そう、仔牛が生まれたんだ」
「じゃあ、学校に行こうか。『天狗ちゃんとだるまちゃん』のお話、ママ知らないから、図書館で借りてみようかな」「天狗ちゃんはね、うちわで仰ぐんだよ」「へぇ、そうなんだ。Mちゃんは、どの役をやりたいの?」「Mちゃんはね、小さいだるまちゃんなの、もうそういうことになってるんだよ」「ああ、そうなの。Mちゃんは小さいだるまちゃんなんだね」
もう、やりたくないとか、そんなことは一言もいいません。帰りの自転車の上でもごきげんで鼻歌を歌っていました。
ポイントは、「三匹のこぶた」の、主役のこぶたを演じたかった、それができなくて悔しい、悲しい、という気持ち、わかるよ。という共感を持って話しを聞いてあげたことなのだと思います。7歳の娘には、もう、「それが決まったことのだ」というルールに従う必要がある、ということは、理解していても、そんなのやだ、私はこっちがやりたいのに!という不満の感情は処理できなかったのでしょう。
繰り返しますが、応用編はもちろんあります。何かしらこちらがフィードバックしたり、道理を話したり。でも、やはり、その前にはまず「聴く」訓練が大切だと思います。「子どもにわかるように言い聞かせなければ」「ちゃんと教えてあげなければ」「正しい方へ導かなければ」「親の言いたいことを伝えなければ」・・・そんな思いが強く出る場合は、ご自身が、親から「ありのままの自分を受け入れられたことがあまり無いのかもしれない・・・」ということを一度考えてみたらいかがかと思います。
Good Luck!
母は「お袋」と言いますよね。大きな袋を持って、子どもがはき出す感情を、袋の中にみんな入れてあげればいいらしいですよ。何でも出てくるドラえもんのポケットならぬ、何でも入ってしまう、魔法のポケットでしょうか・・・
19.親の背を見て子は育つ
2005/11/19(土) 午後 0:30
勉強は嫌いな方でした。小学校の時の成績は、「普通」と「やや遅れている」の評価だけだった気がします(5段階評価の3と2だわね)。中学では100点満点の点数制だったのですが、たしかほとんどが3で、2と4が少しありました。中2の時、51人中47番になったとき、さすがにちょっとこれはまずいなぁと自分で思うと同時に、校長と知人だった父から、「せめて真ん中くらいにいてくれないか」と一言いわれました。
成績のことに関して、どんなに悪い点を取ってこようと、成績表が悪かろうと、何も言われたことがなかったのですが、成績について親に言われたのは後にも先にもこの一言だけでした。あれを習え、これを習えなどとも言われた記憶はありません。算数の宿題がわからずに母に聞くと、小学校中学年の問題ですら母は「お母さん頭悪いからもうわからないわ」と言い、父に聞くと、「方程式では・・・」とはじまり、これまたさっぱりわからなかったので自分でやるしかなく、かといって自分でもやっぱりわからなかったので、勉強が好きになるはずなどなかったのかもしれないですね(^-^;。 たぶん、宿題くらいは少しはしていったのだと思います(間違いだらけだったような・・) とにかく「勉強はできない子」でした。
父は頭の大変良い人なのですが、小学校の中学年までは、勉強嫌いで逃げ回っていたそうです。そういうこともあってか、父は、「子どもに自分の方から教えてやる」ことは絶対にしないようにと母にも言っていたそうです。でも、「教えて欲しい」といっても教えてはもらえなかったかも・・・本当に「お母さん、わからないわ」の一言で終わる人でしたから・・・
高校1年の時、せめてもう一度勉強し直そうと1年間英語にしっかり取り組んだら、大変成績がよくなりました。勉強って面白いんだなと思ったのはそれからです。とはいっても理数系は本当に苦手で、小学校から高校卒業まで、「2」のない成績表は理科が無くなった高校3年生の時だけで、これは感動しました(*ё_ё*)!(ちょっとレベルが低いよね)
父は自由業だったのですが、資格をいくつか取るために私が中学に行っても勉強していて、私の脳裏には、休みの日でも机に向かっていた父の姿が焼き付いています。
だからでしょうか。未だに何かの講座に参加したり、活字を読んだりするのが好きです。勉強する、というより、やればやるほど、楽しくて、面白くて、仕方ないのです。 ただ、困ったのは、父がいつも食卓でも新聞から目を離さなかったのを見ていたせいか、どんなに夫から注意されても、つい食事中にも新聞に手が行ってしまうのです・・・。
当然、子どもは落ち着いて食卓に着いておりません・・・。すべて私の悪い手本のせいなのはよくわかっているのです・・・_(__;)ゞ。何とかしなくては・・・(←私がながら族をやめればいいだけのことです)。
ともあれ、子どもは親の生き方をしっかりインプットして育ちます。皆様、お子さんが自分のような生き方をしても構わない、という生き方をしていきましょうね〜。(←一番自信ないのは私?)
20.『長寿の秘訣は子育ての秘訣』
2005/11/26(土) 午後 5:10
そういうテーマで、昨日家庭倫理の会の子育てセミナーが開かれました。
ある研究機関で、北は北海道から南は沖縄まで100歳以上の方を対象にインタビューをし、100歳を過ぎて尚元気な方には何があるのかという研究がされたそうです。そして、そのポイントは5つあり、それが子育てにも同じ事が言える、という内容でした。
一番大切なポイントは、「私という存在感」だそうです。つまり、私は大切な存在である、私は必要とされている。私のことをみんなが待っている、という、自分が必要とされる「私の存在感」なのだそうです。
確かに、これは子育てでも一番大切なことですよね。
家庭倫理の会の「親」は、(社)倫理研究所というところですが、名前の通り、大変真面目な機関です。現代は企業倫理が脚光を浴び、法人会なども盛んですが、都内の繁華街でも、警察署から講師として研究員が招かれているそうです。数年前に開かれた倫研のフォーラムに、ある繁華街担当の警察署の、少年補導担当者がいらして、研究員としばらく会話を交わされたそうです。
「中学生、高校生を補導して、親が迎えに来ますが、部屋を出る時、99%の子どもが、同じセリフを吐いていくのです」
もちろん、男女がいますから、言葉は違うかもしれませんが、何だと思いますか?
「俺なんてよ、家に帰ったって、おやじもおふくろも関係ねぇんだよ。」 なのだそうです。自分は必要とされない、親も自分と関係ない、自分の居場所もない、そんな寒々とした光景が浮かんできます。 その心情を察すると、涙が出ました。私も、以前は家庭にこそいましたが、気持ちは同じでしたから。
家庭倫理の会では、問題ある子どもに対し、子どもの側に問題があるとは捉えません。私も、12,3歳までの子どもは、親が心を変えることで、指一本触れずとも子どもは改善する。と教わりました。「親が変われば子が変わる」「子どもは親が不自然な生活をしていると、身をもって教えてくれる」と考えるのです。実際、その通りだったと実感しています。
「あなたはお母さんの宝物よ」「お母さんはあなたが私の子どもで幸せよ」「お母さんの子どもに生まれてきてくれてありがとう」
そう言われて育った子どもと、
「まったくあなたはぐずなんだから」「どうしてもっとがんばれないの?」「○○ちゃんはできるのにどうしてあなたはできないのかしら」
などと言われて育った子どもと、大きくなった時にどれほどの違いが出ることでしょうか。
私はありのままの私で愛されている。私は必要とされている。私は大事な存在である。そういうゆるぎない下地ができていたら、その後の人生はどんなに楽でしょう。そして、それを作ってあげられる一番の存在はお母さん、お父さんなのです。
基礎のきちんとできていない城は、砂の城のごとく、いくらその上を立派に作ろうとも、足もとは崩れていくものではないでしょうか。
以前やはり子育てセミナーで聞いた話です。
「○○ちゃんはできるのに、あなたはどうしてこうなの?」とよく言いますね。これは、不公平ではないですか?誰かの美点と、わが子の欠点を比べるというのではあまりにも差がありすぎます。せめて、比べるというのなら、誰かの美点と、わが子の美点、または、誰かの欠点とわが子の欠点を比べて下さい。そうすれば、それほど差がないはずですよ。
その通りだと思いました。皆さま、思い当たる節はないでしょうか?

こころとからだの関係を学ぶ〜ホリスティックな世界への招待
トライアングルのセラピスト・小林純子の通信講座。心、体、魂、そしてホリスティックな生活に関する知識や実践法などを紹介しています。
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