「私」に気づく基礎講座
2.板橋夫婦殺人事件
2005/6/23(木) 午前 10:55
22日に起きた板橋区の管理人夫妻殺人・爆破事件
親殺し、子殺しの事件が珍しくもない中、この事件は注目を集めているようです。前に書いた「魂の殺人」という考え方から見れば、何ら不思議のない事件です。
ワイドショーを見る時間もなく、ネット上のいくつかの記事と家で取っている新聞の記事からだけしか見ていませんが、詳細は専門家に任せるとして、「手口、残虐さと計画性」が今までからは考えられないと言いますが、大人の視点ではなく少年、15歳という年齢から見てみると、私は大人から見た残虐性とは少し違うのではないかと思います。 こう書いてしまうと誤解があるかも知れませんが、もう少しお付き合いください。
14歳〜15歳くらいの年齢では、普通親を嫌ったり、反抗したり、どこか空想の中で親を殺したりする親殺しの時期に当たり、普通はそれを実行に移すことはしないはずですが、彼の親は、恐らくこの子のありのままの感情を認めず、親の良い子でいることを強要し続けたのでしょう。 悲しいことに、子どもは親を幸せにしたいと願い、その愛着する親から認めてもらいたい一心でよい子で居続けます。故に実際は、親が子を思う心より、子が親を慕う心の方が強いとさえ言われているのに、世間はそんなことは認めようとはしません。
説明は徐々にこのコラムでしていくので省きますが、魂を殺され続けた彼は、親殺しを実行に移さざるを得ない状況だったのだと思います。それには現代の頭でっかちで、体験が少ないという背景を始め、ビジュアル時代ということも非常に関係するのでしょう。
そして、現場の爆破についてですが、「家」というのは家庭の象徴、家族の入れ物です。
かなり以前ですが、家族問題を専門に扱っている斎藤学氏のお話しで、詳細は忘れましたが、家庭内暴力の少年が、金属バットを振り回して家を壊し続け、ついには実際に家をつぶしてしまったと聞いたことがあります。 今回の事件の彼にしても、その象徴全部を跡形もなく消し去りたいと思っただけなのではないでしょうか。 もちろん、痕跡を消すとか、そう言う計画性はありますが、それすら、非常に幼い感情ではないのではないかと思われます。小さな子が、カーテンの陰に隠れてお菓子を食べれば、親に見つからないと信じている程度の。
これは、「お前たちが間違っていたんだぞ」、と親に突きつける究極の結末です。その前にも当然予兆はあったのでしょうが、良い子の仮面に隠されていた下の顔を、周りの人が見分けるのは難しいと思います。だいたい、そんなカラクリすら知らない場合がほとんどなのですから。
確かに彼はある意味被害者であり、非難できない面もありますが、とはいえ、だから親を殺して言いということではなく、何があっても「殺人」という行為に移さない選択もありえるわけであり、してしまったことの責任は取らなければなりません。ただ、その責任というのは、まず、彼が、自分の生い立ちと環境を振り返り、自分がなぜこういう結果を引き起こしたかをしっかりと確認し、その上で、自分が何をしてしまったのかを理屈でなく、感情で受けとめることにあるのだと私は思います。 結局、表面上はともかく、彼は親の罪を、身をもって償っていかなければなりません。これが、親が自分の問題を子どもに転嫁するのでなく、自分の問題として取り組まない場合に起こりえる、最悪の結末といえるのでしょう。

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