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「私」に気づく基礎講座 

 

1.「世代間連鎖」って知っていますか?

 2005/6/17(金) 午後 5:28

 

 世代間連鎖と聞いてピンと来る人は少ないと思います。虐待問題に関わっていらっしゃる方はご存じかと思いますが、少し知っていらっしゃる方でも、「虐待問題」関係のことなら私には関係ない。と思っているのではないでしょうか。その名の通り、親から子、子から孫へと受け継がれていく、負の連鎖のことを主に指します。

 現在、子殺し、親殺し、青少年のびっくりするような犯罪が横行しています。「あのおとなしい子が・・」「挨拶もよくする良い子だったのに」その裏に何があるというのでしょうか。
原因はあるのです。(世代間連鎖を読み解くには、大変深く掘り下げて考える必要があるので、文字だけでは誤解を生んだり、表現が下手でうまく伝わらなかったりすることもあると思いますが、ご容赦下さい。)

 もちろん、虐待の世界でこの考え方は非常に重要になりますが、普通に生活している皆さんにも、実はとても役に立つことなのです。
何かいつも同じようなパターンで失敗している。どうして俺はいつもこうなるんだろう。本当はこうしたいのに、どうも良くない結果になってしまう。何だかいつでも自分が悪いような気がする。ごめんなさいばかり言っている。こういう血筋だし・・・。自分のことよりいつも人の都合ばかり考えてしまう。自分が損ばかりしている気がする。物事がうまくいくと不安になる。何不自由なく育ってきたはずなのに、親はとても私をかわいがって育ててくれたはずなのに、なぜ私は幸せだと思えないんだろう。

などなど、何かしらの生きにくさを感じるとき、その陰に、「親」という背後霊がついています(例えですよ)。ここを読み解いていくのには、自分が生まれる前からの歴史をたどっていくことが必要になります。

 私は大きな問題を抱えて生きてきました。もう16年もこういった家族の問題に取り組んできましたが、つい半年位前まで、自分がこの道で誰かの役に立っていこうとは、正直考えていませんでした。ただ、16年前には普通に生きていくことすらありえないのでは、と思っていた私にとって、自分だけのことを考えて生きていくのは申し訳ないほどの、素晴らしい先生方や仲間との出会いがありました。そして、多くのチャンスを頂きました。私の無意識の中に住みついていた親からの禁止令から解放され、今までの、常に邪魔が入る人生とはうってかわって、あまりにもスムースにこの方面に流れが向かっているのを実感し、これが私の進むべき道ではないかと思うようになりました。

 ここ4年ほどは、世代間連鎖のセミナーにも関わり、このセミナーも全国展開になることになりました。それを考え、横のつながりを持ちながら、この輪を広げていきたいと思います。

 内容は、月一度のセミナー内容の簡単なフィードバック、参考図書などからの引用を使った、考え方の紹介などを不定期にですが、書き込みたいと思います。取り扱って欲しいケースなどありましたら、コメントして下さい。

 とはいえ、まだまだわからないことが多いですが、少しでも問題解決のヒントになれば幸いです。

 

 

 2.板橋夫婦殺人事件

 2005/6/23(木) 午前 10:55

 

22日に起きた板橋区の管理人夫妻殺人・爆破事件

親殺し、子殺しの事件が珍しくもない中、この事件は注目を集めているようです。前に書いた「魂の殺人」という考え方から見れば、何ら不思議のない事件です。

 ワイドショーを見る時間もなく、ネット上のいくつかの記事と家で取っている新聞の記事からだけしか見ていませんが、詳細は専門家に任せるとして、「手口、残虐さと計画性」が今までからは考えられないと言いますが、大人の視点ではなく少年、15歳という年齢から見てみると、私は大人から見た残虐性とは少し違うのではないかと思います。
こう書いてしまうと誤解があるかも知れませんが、もう少しお付き合いください。

 14歳〜15歳くらいの年齢では、普通親を嫌ったり、反抗したり、どこか空想の中で親を殺したりする親殺しの時期に当たり、普通はそれを実行に移すことはしないはずですが、彼の親は、恐らくこの子のありのままの感情を認めず、親の良い子でいることを強要し続けたのでしょう。
 悲しいことに、子どもは親を幸せにしたいと願い、その愛着する親から認めてもらいたい一心でよい子で居続けます。故に実際は、親が子を思う心より、子が親を慕う心の方が強いとさえ言われているのに、世間はそんなことは認めようとはしません。

 説明は徐々にこのコラムでしていくので省きますが、魂を殺され続けた彼は、親殺しを実行に移さざるを得ない状況だったのだと思います。それには現代の頭でっかちで、体験が少ないという背景を始め、ビジュアル時代ということも非常に関係するのでしょう。


 そして、現場の爆破についてですが、「家」というのは家庭の象徴、家族の入れ物です。


 かなり以前ですが、家族問題を専門に扱っている斎藤学氏のお話しで、詳細は忘れましたが、家庭内暴力の少年が、金属バットを振り回して家を壊し続け、ついには実際に家をつぶしてしまったと聞いたことがあります。
 
 今回の事件の彼にしても、その象徴全部を跡形もなく消し去りたいと思っただけなのではないでしょうか。
もちろん、痕跡を消すとか、そう言う計画性はありますが、それすら、非常に幼い感情ではないのではないかと思われます。小さな子が、カーテンの陰に隠れてお菓子を食べれば、親に見つからないと信じている程度の。

 これは、「お前たちが間違っていたんだぞ」、と親に突きつける究極の結末です。その前にも当然予兆はあったのでしょうが、良い子の仮面に隠されていた下の顔を、周りの人が見分けるのは難しいと思います。だいたい、そんなカラクリすら知らない場合がほとんどなのですから。

 確かに彼はある意味被害者であり、非難できない面もありますが、とはいえ、だから親を殺して言いということではなく、何があっても「殺人」という行為に移さない選択もありえるわけであり、してしまったことの責任は取らなければなりません。ただ、その責任というのは、まず、彼が、自分の生い立ちと環境を振り返り、自分がなぜこういう結果を引き起こしたかをしっかりと確認し、その上で、自分が何をしてしまったのかを理屈でなく、感情で受けとめることにあるのだと私は思います。
 
 結局、表面上はともかく、彼は親の罪を、身をもって償っていかなければなりません。これが、親が自分の問題を子どもに転嫁するのでなく、自分の問題として取り組まない場合に起こりえる、最悪の結末といえるのでしょう。

 

 

 

3.7月のセミナーから 1

 2005/8/2(火) 午後 8:59

 

 先日世代間連鎖のセミナーがありました。東京でのセミナーは5年目に入りましたが、もう一度基礎の部分を固め直すということで、とてもわかりやすいものでした。

 世間には今いろいろと少年による犯罪が取りざたされていますが、どの問題も「親が子供と健全な関わりを持てない」ことに端を発するというお話しでした。
 そしてそこにあるものはただ「話す力」と「聴く力」であり、その二つの力を育てれば良い。暴力を振るうというのは、聴く力と話す力が少ないので、暴力で補うという構図になる。それは虐待であったり、DV、また家庭内暴力であったりする。ということです。

 「そのまま、ありのままを聴く」というのはどういうことでしょうか。その聴く力を育てることが結構難しいですね。批判、評価する、話をそらすなどはもちろんのこと、同意もしないで、そのままを聴く。

 「暑いですね」と言われたら、皆さんは何と返事をするでしょう。また、幼稚園くらいのこどもから「お母さん(お父さん)」と呼ばれたら何と言っているか思い出してみて下さい。
「暑いですね」との言葉に「ええ、暑いですね」「そうですね」と言っていませんか?
 これは実は自分中心の会話なのだそうです。

 小さな子どもから呼ばれたとき、「なぁに?」と答えていませんか?幼稚園くらいの子どもの場合、何か理由があって「お母さん」と呼んでいるわけではないのだそうです。だから、答えるときは、何の答えも期待しない、「何?」という意味を含まない「はぁい」であればよい。もちろん、声のトーンは少し高め、心からの笑顔であることが大切です。

 用事がなくても呼んでもいい。そこがコミュニケーションの入り口になるのだということを教わりました。忙しいお母さんは、つい、「何?何か用なの?」「用なら早く言いなさい」などと言っていることはないでしょうか。実は、このことが子どもにコミュニケーションの能力をつけさせないようにしているのだそうですよ。

 プラスのストローク(愛情、頭を撫でる、抱きしめるなど)を得られない子どもは、マイナスのストローク(叩かれる、怒られる、ののしられるなど)でも構わないから得ようとします。当然、その方法は、親やまわりを怒らせたり、不快にさせたりと、最終的に自分をのけ者にするようにしむけるようなことを
します。そのまま成長し、プラスのストロークを得る方法を知らずに成長すれば、明らかに、社会で問題視されるような、そこまでいかなくても人間関係でうまくいかないような大人になることでしょう。

 そう考えれば、親にできる事というのは、子どもがいかにプラスのストロークをまわりから得ることができるようになるかどうかを教えていくことかも知れません。かといって、それは知識として教え込むというのではなく、親が率先してそのやり方を自ら見せていくことが必要でしょう。

 つまり、親自身がまずプラスのストロークを子どもに与えなければならない、そして、人との関係に置いて、プラスのストロークのやりとりができることが必要ということはおわかりになるでしょうか。「あの子が反抗するから」「あの子があんな態度でなければ」などと、子どもの側が変わってくれることを期待しても、それはまず期待できません。川は、上流から下流に流れるものだからです。

 どうしても親の側にそれができない場合。その時は、親自身が、自分の内面に問題を抱えている可能性が高いです。子どもが精神的に健全に育つかどうか、それは親が自分の問題に向かい合えるかどうかにかかっているのかも知れません。

 

 

 

 

4.問題の重要性〜マル・トリートメント

 2005/8/5(金) 午後 10:46

 

 虐待問題というとかなり悲惨な状況を思い浮かべ、自分のまわりにはあまり関係のない出来事と考える人が多いのだと思います。
 ところが、この枠を少しずつ広げていくと、至る所でこの先深刻な状況になる可能性が高い家庭が多く見られます。

 その考え方に、先日子どもの虐待防止センターの方とお話しをしたときに伺ったのですが、「マル・トリートメント(mal treatment)」すなわち「不適切な取り扱い・適切でない子育て」という言葉が使われるようになっているそうです。たしかに、親が子どもを「不適切」に扱うケースは非常に増えており、そのことに親もまわりも気づいておらず、返ってそういう親に対する世間の評価は「いい親、素晴らしい親、子どものことを考えている親」というものであり、それに従って生きている子供たちは「よい子、素直な子、礼儀正しい物わかりのよい子」などという世間の評価を受けています。
 こういう子供たちが困るようになるのは、かなり年齢がいってからのことが多いでしょう。学校を出たのに働けない。働いたけどすぐ止めてしまう。30歳を過ぎてから引きこもる。結婚しない。子どもをうまく育てられない。それまでまともそうに見えただけに、その後のフォローは大変です。

 根深い問題なので詳細は省きます。子どもの問題と見えるものを解決するのに重要な鍵を握っているのはその親ですが、親自身が自分の問題を直視できないことが多いものです。このことがさらに問題を複雑化、深刻化し、連鎖へとつながっていきます。

 先日もある高校生の子からSOSが来ました。その子の親がちょっと問題をおこしたのです。でも、親は決して自分の問題に向かい合おうとはしません。その子は自分も苦しんでいるにもかかわらず、それ以上に親のことを心配し、思いやり、自分が何とかしてあげたいという気持ちを持っています。自分しか親を支えられない、何より大事な親だから。その思いに、涙が出てきました。

 自分に問題がないと思っている人を治療の場に連れてくることはできません。本人が困って、何とかしたいといってこない以上、こちらにはどうすることもできないわけです。もちろん、相談に来てくれたからと言って問題が解決するかどうかはわかりませんが・・・。でも、気づかないよりはずっとましでしょう。少なくとも、親が現実を見ないような家庭では、なかなか介入ができず、子どもが親の問題に巻きこまれていくのを見ても、止めるということはできません。
 その子の場合は、比較的近くに住んでいる仲間の協力を得られ、苦しい胸の内を聞いてもらうことができました。

 楽観視はできませんが、少しでもその子の苦しい思いが和らげられることを祈っています。
こうして、一人支えることすら大変な労力が必要ですが、支えが必要な人たちはすごい勢いで増えていることでしょう。地道に活動を続ける以外今の私にはできませんが、もっともっと国レベルで考えていかないと、日本は本当に数十年後には大変な状況になることは明らかです。
 国を動かす人たちが、もう少し先見の明を持ってくれたら、こうした問題をないがしろにしないのではないかと思うのですが、皆さん自分の目の前のことばかりに関心が行ってしまうようですね。

 流れを止めるというのは難しいことだと思います・・・。はぁ〜・・・(┐ ̄  ̄┌)。
 

 

 

5.誰に向いた憎しみが解消されていないのか

 2005/9/28(水) 午前 11:20

 

  ある方のコメントにも関連することです。

 今の年老いた両親、目の前にいる両親に憎しみを感じるわけではないが、自分の中の何かが解消されていないと言うことは大変多くあります。


世の中では、「親を許しなさい」「過去のことは流しなさい」「今のご両親は昔のご両親とは違うのでしょう?」「勘違いだったんですよ」「過去に囚われてはいけません」
 などなど、まことしやかに説かれます。
それができるくらいなら、誰も苦しまないのではないでしょうか。


 自分の中にある怒りや憎しみ、屈折した感情は、正しい方向に向けられなければ決して解消されることはありません。
だから、確かに年老いた両親に対して、大人になった自分が怒りをぶつけていじめたり、殴ったりしてみても、まったくその怒りは終わらないわけです。
 そのためには、やはり、苦しかった幼い自分が、年若い、その頃の両親と向かい合ってやり合う必要が出てくるでしょう。


 それはとても辛い作業であり、また自分ではなかなか気づけないところでもあるので、誰かの助けがいるかも知れません。
 それが、カウンセリングであったり、心理分析であったり、ワークショップであったり、自助グループであったりするわけです。


 私がルーツカウンセリングと称して行うのは、そういう作業のお手伝い的なことです。ご希望の方には併せてボディケアもしています。
また、これは根が深すぎてふたを開けるのは危険。という場合は、家族問題専門のカウンセリング機関や、自分で気づいていくためのワークショップをご紹介することも致します(お勧めするだけで、強制はしませんからご安心下さい)。もしご興味がある方がいらしたら、HPを覗いてみて下さい。

 

 

 

6.名古屋にて

 2005/9/29(木) 午後 4:56

 

少し前になりますが、9/18,19日と名古屋の世代間れさのセミナーに御招待頂きました。講師のお話しとシンクロさせながらという形で、自分でもちゃんとコラボできてるのかどうかわからないまま時間が過ぎましたが、概ね参加頂いた方々には好評だったようです。

 あちらのスタッフの方は、以前はメールと電話だけのやりとりで、もうちょっと落ち着いた上品な方かと(ごめんなさいね)想像していたのですが(実際美しい方なのですよ)、思いの外親しみやすく、楽しい方で、本当に近くに住んでいたら一緒につるんでいたいわー。と思いました。残念です。

 ヒーリングにも興味がおありとかで、時間があれば少しそんなこともとおもったのですが、今回はちょっとハードスケジュールで無理でした。

 東京にいらしたら、是非お寄り下さいませね。

 

 

7.生きにくさを感じる方へ

 2005/10/18(火) 午後 1:44

 

 この欄を読んでも、何でそんな風に考えるんだろう、どうしてそんなことにひっかかるの?と思われる方がいらっしゃることでしょう。親から健康的な愛情や承認をもらえている人は、例え親からしてもらっていたことを忘れていてわがままを通していたとしても、何かの機会に気づくと、親に心からの感謝を捧げられる事と思います。

 ところが、そうでない場合、人は、親に対して感謝などとんでもなく、憎んでも憎みきれない、という感情を持ったり、反対にされたこと(虐待)には目を向けず、自分への愛ゆえの行為、また、理想の親だと信じ込んだりします。

 そうでない場合は、どちらにしても、正しい認識がされていないと言えるでしょう。

 人との距離の取り方がわからない、いつも同じパターンで人間関係に亀裂が入る。子供を可愛いと思えない、逆に叱ることができない。また、どう扱っていいのかわからないなど、社会の中での生きにくさを感じる場合、何かしら幼いころの親子関係に鍵があることが多くあります。

 まず第一歩は、自分に何が起こったのかを「気づくこと」です。そして、もういちど、感情を感じ直してみることです。自分を正面から見つめることに取り組み始めると、いろいろなことが変わり始めるでしょう。

 

 

8.ここでの考え方

 2005/10/21(金) 午前 10:21

 

 今、世の中には心理的問題の解決のためにたくさんの手法が紹介されています。心理カウンセリング、心理分析、家族療法、交流分析、ヒプノセラピー、前世療法、TFT、森田療法、エネルギーヒーリング、などなど、数え上げればきりがありません。

 考え方もいろいろあり、どれが一番とはいいきれないと思いますが、私自身が問題を乗り越える上で一番自然だと思ったのが、やはり親子関係の問題にじっくりとりくむことです。人は誰しも母の胎内に宿って10ヶ月を過ごし、そこから生まれ出てくるのですから、その影響は計り知れないものがあると思われるからです。

 ただ、この考え方は少しマイナーなものでもあります。というのは、人は誰も自分の親を責めるということに抵抗を持ち、そんなことは罰当たりですることは許されないと考えられているためで、実際、こうしたことをメインにされている先生方は、各国で世間からの誤解と非難を浴びてきましたし、これからもそれは続くことでしょう。

 それを承知の上で、私はやはり取り組むことにしました。幼いころ抑えられ、無意識の中に埋もれてしまった怒りは、決してそのままで終わることはないのです。軽いものは自然に解消されるということもあるでしょうが、そうでないものは、意識的に解消しなければ、結局自分より弱い存在へ向くことになります。人間関係のトラブル、夫婦の不和、嫁姑、児童虐待、老人虐待、皆同じ問題から発していると言えるでしょう。

 世間では、たとえ自分がおかしいと思っても、誰かに相談すると、ほとんど誰もが「あなたのところは大丈夫よ」と言うでしょう。誰も本当のことなど言いませんし、常識的な範囲でしかわからないともいえます。
 私だって、周りにいるお母さん方に対して、「子供にそういう接し方をしていると、将来こういう問題が出ますよ」とは口が裂けても言いません。相手から相談を受ければもちろん、それなりにじっくりと向かい合って話しをするということはするでしょうが・・・。

 だから、やはり自分が何かおかしいと気づいた時には、自ら答えを探そうとする努力が必要になる、と私は思います。
 家族のカウンセリングや依存症などの病気では、本人が行かなければ受け付けてもらえません。家族の誰かが精神的に病んでいる時、それは、その家族全体の病であることがほとんどです。気づいた人が始める。そして、気づいた時から変わっていきます。
 周りが変われば、また本人も変わるものです。時間はかかるかも知れませんが、取り組んでみませんか?

 

 


 

9.世代間連鎖のセミナーに参加して 10月

 2005/10/29(土) 午後 8:18

 

月に一度のセミナー。非会員さんも参加できることになり、登録者は70人を超えました。

 今日は初めての研究員が午前中の講義を受け持ち、いつもと少し趣向が違いました。

・私はこんな人間です。  ・私は駄目な人間です。  ・私は価値のない人間です。  ・私は劣っている人間です。  ・私はつまらない人間です。 ・私は心配ばかりしている人間です。  ・私は人の中に入っていけない人間です。  ・私は言いたいことを言えない人間です。  ・私ははずかしい人間です。

講師がパワーポイントで映し出す中の、・私は劣っている人間です という言葉に私は非常に引っかかってしまいました。
 ああ、私のキーワードがここにもある。 「劣っている」 誰に比べて?まったく根拠のない私の劣等感。父は、ある時は、学生だった私と一流のプロを比べました。お前なんか才能もないくせに、そんなことで仕事をしていくつもりか!と叱責されました。幼い時から、「お前は人間として劣っている」というメッセージを浴びせ続けました。 今になってよくよく考えてみれば、どこが周りの人と比べて劣っていたというのでしょう?
 でも、植え付けられたメッセージは私の中に深く刻み込まれ、何か刺激を受けると、突然頭をもたげてきたりします。

 その後、二人ペアになって、片方が立ったまま相手を見下ろし、もう片方が跪いて見上げる。というワークをしました。もちろん、途中で役割交代。

 最初に立って見下ろした時、相手を扱いやすい、コントロールするのが簡単。支配してやろうじゃない。という優越感を持ちました。反射的に出たのです。そして、その直後、それをしてしまいそうな自分に嫌気もさし、少しだけ居心地が悪くなりました。罪悪感。要はそんな自分を受け入れるのが嫌だったのでしょう。

 逆に相手を見上げた時、相手に威圧感を感じると同時に、私の中の子どもの自分が相手を見上げているような感覚を持ち、何となく居心地が良かったのです。ずっとそうやって親の支配を受けてきた私には、「これこそが私の位置」というなじみ深い感覚を味わったのだと思います。

 「気づいた。」ということは、意識上に上ってきたのだから今後変わってくると思うので、それを期待しましょうo(^-^)o。

 午後はG研究員による、椅子のワークを交えた講義でした。参加者のほとんどが、わが子の閉じこもり、問題行動などで悩んでいる親です。子どもが投げかけてくる言葉、メッセージが、本当は何を意味するのか、そんなところが見えてきました。

 相手が言っていることをそのまま受けとめたら決して解決には向かわないでしょう。そうではなく、何がその奥に潜んでいるのかをきちんと捉えて切り込んでいくので、問題が次々と解き明かされていく。いつもながら鮮やかです。

 最初はとんちんかんなことを言っていた参加者達も、だんだんと的を射たとらえ方ができるようになってきています。私も、5年目になってようやっと、自分が勉強してきたことを「使える」段階になってきたなぁとここのところ密かに(?)思っています。

 

 

10.解消されていない「怒り」に気づく

 2005/11/7(月) 午後 4:07

 

 

まったっく健康的な親子関係を結べた方がこのコラムを読まれる時は、そういうこともあるのだ、と軽く流して下さいね。

 私の場合、親子の関係に問題がありました。それでも随分それを見つめて、自分の中の親に対する「怒り」を解放してきたのだけれど、まだまだ全部が解放されると言うことはありません。

 特に母に対してはそうです。母に「かけがえのない存在だ」と思ってもらえなかった、「私はたいした存在でなかった」などということが丸見えになったら恐いからです。恐くて、死んでしまいそうだからです。ですから、未だにこの問題は、オブラートで包み込むように、少しずつ、少しずつ、確認しながら見ています。

 ただ、確かに、あの幼いころは、それを見たら生きていけなかったでしょう。でも、大人になった今は、そのことが見えたとしても、死ぬことはないのだと思います。


 仕方のないことなのだけど、「育てて頂いた親に文句をいうなんて罰当たり」ということを、私たちの社会ではすり込まれていることが多いし、「産んでやっただけでもありがたく思え!感謝しろ!」と言われて「当然だ」と思わされた人もたくさんいることでしょう。

 大きな声で、「私は親に怒りを感じています」とか、「私は親を恨んでいます」などといえば、「何と恐ろしいことを言う子なんだ」ということになってしまいがちです。
 子どもは、どうしてできるんでしょう?子どもが、生まれてくるために無理矢理親を妊娠させたのでしょうか?

 ばかげたことを書いていると思われるかもしれませんが、結構、自分が生まれてきたことすら、自分がいけなかったかのように思いこんでいる人はたくさんいるようです。


 だから、親に対する怒りを、きちんと表現できない人はとても多いのです。たいていは、それをしたくないために、「親が悪いわけではない」「親にも事情があったのだ」と、最初からきれい事ですませよう、つまり「許してしまおう」とします。
 でも、そんなにコトは簡単にはいかないのです。許しは必要であるけれど、その前に、きちんと自分の親に向く怒りを処理することが大切になります。

 それができていないと、その刃が突然他のだれかに向くことがあります。向けられた方はとまどうことも多いでしょう。そこまで相手に何かした覚えもないのに、その刃の背後に潜む感情に、大変な憎悪を感じ取れるからです。なぜそこまでの事が起こるのでしょう。それは、その人が、親に対する怒りを処理できておらず、それを無意識下に閉じこめてしまうので、普段はそんなことには気づかないのだけれど、誰か親に似た人、親の考えに近い人、または、自分の味方だと思ったのに、自分の考えていることとは違っていた場合などに、親に向くべき矛先が、その相手に向かってしまうのです。

 もともと人間は、相手の悪口を言う時、その90%は自分のことを言っているのだといいます。同じように、相手がどうにも気に入らない、許せない、受け入れられないという時、それは、ほとんどが自分の中にある許せないことを相手に投影しているといえるでしょう。そして、許せない根源は、親との関係に鍵があることが大変多いのです。

 だから、どうにも気に入らない、許せない、受け入れられない、という人や物事がいたりあったりしたら、是非立ち止まって、何が受け入れられないのか、考えてみる時間を持ってみてはいかがでしょうか。
 自問自答しているうちに、意外な答えが見つかることもありますよ。

 

 

 

 

 

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