|
|
前を向いて生きる
![]() 目次子どもを授かり、育てさせて頂けるということ どちらかというと、子どもって苦手でした。嫌い、というより、苦手。なんだかよくわからない、生意気なわがままな生き物。うっとうしくて、面倒くさい・・・
そんな私が今とても楽しく子育てをしている・・・。きっと、これは、私に必要な、というより、「この子どもたちを立派に育てて世に出せよ。」と、なぜかわからないけれど、神様が私と夫をを選んでくれたのです。 今までの私の人生を振り返れば、それはとても不思議なことと思われるから。 きっと、子どもたちを育てるために、天は私たち二人にもう一度人生をやり直していいよ。と示してくれたに違いありません。 主人と出会い、子どもができて、私も主人もすべてを無くしました。私は親兄弟とも縁が切れ、主人の仕事も無くなり、本当にあれよあれよという間に、ほぼ周りすべてがゼロに、もしかするとマイナスになってしまいました。まるで、すべてを捨てて、何もないところからスタートしなさいと、指令がでているようでした。 不安の中に生まれた長女は、月満ちて生まれ、とても小さかったのですが、とても元気でした。赤ちゃんなのに、まるで見えているように鋭いまなざしは、普通の子とはどこか違って見えました。2180gで生まれたこの子は、退院が1〜2週間遅れるだろうと言われたのに、最後の3日に1日70gも増やし、奇跡的に母と一緒に退院したのでした。まるで置いて行くなんてとんでもない、という風に。 さて、連れ帰ったはいいけれど、どうしていいかわからない。可愛くないというより、まだそれほど可愛いと思えない心を見抜かれているようで、何だか怖かった。子煩悩な主人が側にいてなかったらいったいどうなっていたことやら。 長女が生まれて半年くらいたった頃、それは突然のことでした。 私は、両親から温かい愛情というものをあまり受け取らないで育ちました。というより、歪んだ愛情を、たくさん受け取った。といった方が正しいでしょうか。 詳しい話は別の機会にするとして、幼いときからできそこない扱いされてきた私は、自分に生きる価値があるということを受け入れられずに36年を生きてきていました。ことあるごとに徹底的にすり込まれてきたので、そう簡単にとれるものではありません。その頃は、もう自分では多くのことをずいぶん受け入れていたつもりだったのですが、やはりそうではなかったのでしょう。私はよく「私がもし事故か何かで死んでも、誰かがきっとこの子を育ててくれるだろう」と、実に勝手なことを思っていました。(今考えれば、もう、この時点で、無意識のうちにも子どもを置いて死んでもいい、すなわち、捨ててもいいと思っていたわけだから、すごい虐待ですよね) その日も娘に添い寝しながら何となくそんなことを思っていました。ふと、まてよ。と私の心の中で何かがつぶやきました。「本当にそうだろうか。」「私以外に、この子の母親になれる人がいるんだろうか。私と同じくらいこの子を愛しいと思い、大事に思って育ててくれる人が、いったいこの世に他にいるんだろうか?」それは、この子にとって、私は、唯一無二の存在なんだと気がつかされた瞬間でした。この子の母は、私以外にいない。私はこの子にとって、かけがえのない、大切な存在なのだ! 普通の人は、きっとそんなこと当たり前に思うのかも知れません。でも、私にとってはこの時が、この世に自分が生きていていい、私は愛されて、大切にされていい存在なのだ、と気がついた、本当に世の中がひっくり返るくらい劇的な瞬間だったのでした。私は、涙が止まりませんでした。 自分を大切にできないということは、人も大切にできないということ。自分を大切にするということは、”私は人から大切にされていい”、という自分を持つことなのだと思います。 この世に生まれての一番の恩返しは、自分の才能を惜しみなく生かし切ること。最高の親孝行は、自分が本当に幸せになることでしょう。 そして私が子どもにするべき一番大事なことは、子どもの人生の邪魔をしないこと。 この「親は子どもの人生の邪魔をしないこと」とは、数年前にある先生から教わったことです。当時は意味がよくわかりませんでした。今は少しわかってきた気がします。少しずつ、そんなことを、この欄に書き足していきたいと思います。 「自分が人から大切されていい」 さて、一歩話を進めます。「自分が大切にされていい」って、どうしたら思えるのでしょう。 当たり前のことですが、私もすべて解決している訳ではないのです。 2000年から、私は「世代間連鎖」という視点から家族の問題を解決するセミナーに参加しています。ほとんどの参加者は、自分の子どもに問題があって参加し、親としての視点から参加し始めましたが、私は、問題のあった子どもの立場で参加しました。でも、皆の思いは同じです。負の連鎖を断ち切り、自分の子供たちを健全に育てることです。ここですることは、まず、自分の親との関係を修復することでした。自分の親にわだかまりを持ちながら、子どもを良く育てようと思ったって、そううまくはいきません。「私はお母さんの宝物である」ことを受け入れられるようになる。これが目指すところになります。 世の中には、虐待されて育っていっても、自分ではそれと気づかずに、また子どもに繰り返している方が、数多くいらっしゃいます。子どもは親を全面的にかばうようにプログラムされているので、人は誰も「親は自分を良くしようと思って鍛えてくれているのだ、私のことを愛しているからこそああするのだ」と思うものであり、自分が虐待を受けているなどと認めたら、精神的に壊れてしまうので、絶対に認めないからです。私もそうでした。ここでやっかいなのは、親に、虐待をしているつもりが全くないことにあります。 セミナーの参加者は、自分が、親から虐待されてきた(ここの参加者は、精神的なものが主ですが)経験があります。そんな親を、どうしたら感謝して受け入れられるのか。 ここで言う「虐待」は、大変広い意味があります。世の中では「虐待」というより、「親の愛」と見えることもあります。(図書のページに書きましたが、『愛情という名の支配』はお薦めです。)でも、間違った愛情のかけ方が、今、子ども達を確実に蝕んでいます。怖いのは、親にも子にも、そのことに対して自覚がなく、わからないまま病気が進み、思春期以降、30代すぎてから閉じこもったりなど、もう、根っこがどこにあるのか本人に周囲にもさっぱりわからないまま苦しむケースが多いことです。 紆余曲折がありましたが、2年前のセミナーの合宿で、私は、「本当は父に愛されたかった自分」に気がつきました。そして、その時、私の心の底からわき上がってきた言葉は、「このくそ親父、死んじまえ!」でした。私の中で絶対口にしてはいけない言葉、きっと、こんなことを言ったら、罰が当たるのではないかと、恐ろしくて、心に思ってもいけないと、封印していた言葉でした。 さて、こうみんなの前で叫びまくった私のその後といえば、父に対する感謝と愛情で胸がいっぱいになりました。私の中には、今、にこにこと優しい笑顔で幼い私を抱いている、いつも私を励ましてくれる父がいます。 とはいえ、私の父はまだ生きていて、実際には形の上では父は私を拒絶したままです。でも、今の私には、心から信じられるのです。年老い、自分の理想と違った現実を受け入れられない父ですが、そういったいらないものを脱ぎ捨てていった、芯の部分の父は、私への溢れるような愛情でいっぱいであることを。 さて、問題は母です。現実的にはたぶん仲の良い母ですが、私の中にまだ、見捨てられ不安が潜んでいるのです。一応、今の私は、もうそれもいいか、と思う部分があります。こういうのを「受容」というのだそうです。 でも、もちろん、希望は捨てていません。父の件から1年半くらいで、上の「受容」までたどり着けました。今、そろそろ次の段階に入っていけそうな自分がいます。 「受容」 「受容」・・・受け容れることですよね。なかなか難しいことです。
うちのセミナーで、先生が口を酸っぱくして数年間言い続けていました。(らしい)「らしい。」というのは、私を含め、みんな、先生が意味するそのことを体感的に理解するのに2年半もかかったからです。 受け容れるというのは、相手の意見を、なるほどと思って納得するのではありません。相手が違う意見を持っていることを、違っていていいよ。ということを受け容れることです。 夫と妻と、意見が違って良い、親と子どもと価値観が違って良い。ああ、私はこう思うけど、あなたはこう思うのね。ああ、そうなんだ、あなたと私は別物だものね。それでいいよ。あなたはロックが好きで、私はクラシックが好き、私たち全然価値観が違うけど、それでいて、私たち仲良しよね。と、いえる関係、作れるようになるといいですね。 そして、親の不幸と子どもの不幸も違うのです。苦難があることと、不幸なことも別なものなのです。例えば、子どもが何かの試験に落ちた。これは子どもにとって、イコール不幸ではありません。入れなかったことが、後々幸福につながるか、不幸になるか、それすらわからないのです。ましてや、親の不幸とは全く関係ないので、ここを間違えてはいけないのだと思います。 「死産」から学んだこと
3年と数ヶ月前のこと。私は3人目の子どもを死産しました。予定日は過ぎていました。検診で心音が取れない。お腹の中で死んでいるのですぐ入院して下さい。手術です。と言われても、私は何が起きたのかわかりませんでした。
男の子でした。主治医から、「夕べか今朝亡くなったようです。」と告げられました。今にも産声を上げそうな、きれいな身体でした。抱きしめて温めていれば、息を吹き返すのではないか。でも、そんな奇跡は起こりませんでした。
「まだ、悲しみ方が足りませんね。子どもの前でも、もっともっと泣いていいんですよ。子どもを一人失うことが、いのちが一つ無くなることはこんなに悲しいことだと、子どもの前で見せてあげることはとても大切です」とも。 思い当たる答えは私の中にありました。
何となく小雨の降る6月のその日、私たち家族は皆風邪を引いていました。午後には行かなければ行けないところもあり、いつ陣痛が規則的になるかと思いながらいたのですが、痛みは軽くなっていきました。主人と外出した帰り、病院に行こうかと思ったのですが、具合が悪い上に雨は降り、車もないので、ちょっと遠いところにある病院まで行く気になれませんでした。 次第に痛みも出血もおさまってしまい、病院に電話をしようかとも思ったのですが、夜になって1歳と3歳の子どもと具合の悪い主人をを置いて病院に行くことになるのも大変だと思ってしませんでした。 そんなことを考えていました。 子どもが生まれる前から親が子どもの道を決めようとするなんて・・・
何という身勝手な親だったのでしょう。子どものいのちが消えかかっていたときに!
「子どもをコントロールしようとしたらね、子どもは死んでしまうんだよ」
トライアングルのセラピスト・小林純子の通信講座。心、体、魂、そしてホリスティックな生活に関する知識や実践法などを紹介しています。 |