エリート回復者からのメッセージ
24.私は失敗作?
2006/1/9(月) 午後 9:56
一昨日、父が入院中なので、子どもを連れて実家にお泊まりしました。
施設に入っている知的障害者の妹も冬休みで帰っています。その前日には、隣に住んでいる祖母がケガで入院したのを迎えに行っていました。母は、ずっと誰かの面倒を見ています。それが母の幸福なのか、不幸なのかはわかりません。昨日も、母は妹を連れて夕方父の面会に行きました。私としては、孫もいるし、ずっといて欲しかったのですが、そういう訳にもいきません。
母が出かけた後ふと考えました。2歳下に妹が生まれてから、私はただでさえ少なかった母の注目を失いました。5歳下に弟、8歳下に妹。その妹が病気で障害を持ってからは、それこそ一家は妹の都合で動くことになりました。妹の幸せのため、自分の感情はないものとして生きてきました。自分が母を求めて側にいて欲しいと言ったら、「わがままだ」とひどく怒られるだけだったから。感情を素直に出すのはタブーでした。
妹は、高校の時都下にある養護学校の寄宿舎に入り、週末は帰ってきました。20歳を過ぎた頃、近県の成人施設に入って、春・夏・冬の長い休みに帰ってくるようになりました。父は、私たち他の3人の子どもに言い続けました。
「A子は可哀想だ。皆が好きにこの家にいられるのに、A子だけは、離れて一人で生活している。帰っている時はA子を皆で幸せにするべきだ。」
A子は、無条件に愛されて育ちました。家族全員の悪いところ、わがままなところを背負ってくれた、我が家の宝。大事にしなければならない。幼いころからそう言われて育ちました。家族全員が、A子を幸せにするために自分の感情は棚上げにしました。 A子は、大変愛情豊かに育てられ、施設でも可愛がられています。何より、感覚が家族の中で一番健全です。愛されて育った強さがあります。それは、例え障害のあるこでも揺るぎないものなのだということが、A子を見ているとわかります。 そして、他の姉妹弟は、皆不安に育ちました。誰も順調な人生を歩けませんでした。
本当に可哀想だったのは誰だったのでしょう。
父は、私の子育てに失敗したと言いました。あいつだけは間に合わなかった。と。でも、お気に入りだった、父の意を汲む娘、妹は私よりももっと深い心の傷を負って育ちました。充分間に合ったはずの弟も、やはり順調とはいえません。いち早く精神的に立ち直ったのは、皮肉にも間に合わなかったらしい私のようです。
失敗作?私もずっとそのことにひっかかりながら生きてきました。でも、近年それはようやっと脱することができました。 「子育てに失敗しました」などと言うのは失礼な話です。失敗したのは、親であって子どもではありません。
これには言葉が足りないのです。この場合、「子育てに失敗」したという表現は適切ではありません。これは、
「親の思うとおりに子どもが育たなかった」
のです。もう少し深めるならば、
「子どもが親の思い通りになる」と思っていた「親の考え方」に無理があった、もしくは、そもそもそこからして勘違い、大間違いだっただけのことです。
子どもには子どもの人生があるのだし、だいたい子どもが生きているうちに、「失敗作だ」などと言われる筋合いはないと私は思います。
「失敗したのは、私の人生ではなく、あなたの人生だったのでしょう?」
と、今の私は堂々と心の中の親に向かって言うことができます(目の前の父には言わないけど)。
父は、自分の人生の失敗を私で帳尻あわせしようとしました。いかにも私のせいで父の人生がうまくいかなかったのだと。「じゅねのせい」は「家族のせい」「妻のせい」「結婚を勧めた奴らのせい」と矛先を変え、また、皆を巻きこんでいきました。私はずっと、父の人生の責任まで取ろうと必死になってへとへとになりました。でも、もうそれはしません。
私も、自分の人生に責任をとって生きていきます。例え、他に選ぶことができずに流されて落ちていったとはいえ、やはりその人生は私のものであり、深いレベルで考えれば、私が選んできた道なのです。だから、私は私の人生に責任を持って生きていきます。

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