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エリート回復者からのメッセージ

21.「私の存在」を脅かすもの                       

2005/11/30(水) 午後 3:54

 

 子ども好きな私ではありません。小さい頃からそうでした。妹も弟も、長女のくせに、自分より幼い子の面倒を見るのが何よりも苦痛でした。

 子どもなどというわがままな存在は許せませんでした。愛されている子は、憎たらしかった。でも愛されていない子は、もっと嫌いでした。
 妹や弟の面倒見が悪い、という理由で、親からは「自己中心的なヤツ」「わがままなヤツ」「弟妹の面倒も見られないできそこないだ」とずっと責め続けられていて、あっぷあっぷしていました。「私は冷たい、自己中心的なわがままなできそこないの人間なのだ」と、ずっと罪悪感を持って生きてきました。

 今ここまできて考えれば、私が冷たい人間な訳ではなく、優しさのない人間だったわけでもなく、自分が親からされてきたこと、してもらってこなかったことを、ただただ自分より弱い存在に向けていただけのことだとわかります。

 親を許していなかった頃、わが子を抱きしめることに対しても、どこか嘘くさい自分を感じていました。
可愛くない、というわけではない。だけど、透明な壁が間にあるような、どこか離人的に子どもを見ていました。
 父を許せるようになった頃、子どもがわがままであることに対して抵抗がなくなりました。でも、やはり薄い壁は依然としてそこにありました。
 
 私にはわかっていました。「母」というものを受け入れられなければ、この壁が完全になくなることは無いだろうと。1年近く前、ある研究フォーラムで虐待の連鎖を乗り越えたという発表をするために研究員から課題を与えられ、それに取り組んだ結果、私に覆い被さってくるような母はいなくなりました。

 そして、子供たちとの間にあった壁はなくなりました。

 でも、私の中には、生身の母との「決定的な何か」がまだ起こっていないことには気づいていました。それはもうすぐそこまで来ていそうで、見えていなかったのです。

 なぜそう思ったか。

 わが子を可愛いと思い、愛しいと思います。でも、よその子に対して、やはり拒否感が残っていたのです。特に、「抱っこ」を求められることは、私には厳しかった。突き放したくなる衝動に駆られました。

 夫に話してみました。「相手の持つエネルギーにもよるんじゃない?その子って親から受け入れられていないんでしょ?」
 確かにそうでした。可愛いと思って抱きしめられる子もいるのです。何が違うのでしょうか?よその親に抱っこしてもらいたがる子というのは、寂しい思いをしている子が多いですよね。

 昨日、「私という存在を差し出す」ということが自分の中に響いてから、何となく、今なら抱っこも嫌ではないかも、と思いました。そして今日、ふと、「私の存在を脅かすのだ」という心の声が聞こえたきがしました。

 そうなのだ。受け入れられていない子は、私の中の「私は母に愛されていないのかもしれない」という心の奥底の恐怖感を刺激していたのだと思います。愛されていない(そうでなかったとしても、愛情表現をされていない)子どもたちは、私の中のその恐怖と不安をかき立てるのです。
 
 それじゃあ受け入れられるわけはなかったな。と思いました。

 今、私の中には、「自分が愛されてきた」という実感があります。とはいえ、この先、子ども好きに変身するか。と言われれば、もとの資質もあるので、たぶん、そんなこともないでしょうけれど、少なくとも、拒否感はなくなるのではないかな。と思っています。

 

 

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