エリート回復者からのメッセージ
18.身体が覚えていたやすらぎ
2005/11/25(金) 午後 7:16
富士高原研修所で、「いのちの遡源」という実習があります。平たく言えば、自分が一番お世話になった人とのことを思い浮かべ、深く感謝していく、というものです。
特に母とのつながりに疑問を持っていた私ですが、母との事を思い浮かべようと努力しました。でも、どんなに楽しい思い出を思い出そうとしても、頭を撫でてくれた思い出も、幼い私をぎゅっと抱きしめてくれた思い出も、私の目を見つめて「良い子だね」と言ってもらった思い出も、何一つ私の中には浮かんできませんでした。 感謝どころか、私は、「ああ、お母さんは私とそんなことした記憶はない、と言っていたけど、本当に何もなかったんだなぁ」と、悲しくて悲しくて、涙が溢れて止まりませんでした。そして、幼い私が可哀想で可哀想で仕方ありませんでした。もちろん、赤ん坊の時、記憶のない頃は抱いてもらったのだと思いますが。
ワークが終わってから、私はとても落ち着いていました。母との間に幸せな時間を共有したという思い出が何もないことを、ようやっと自分で認められたからかもしれません。帰ってきてしばらくしてから、浅かった呼吸が深くなっていることに気づきました。
一昨日、世代間連鎖のセミナーがありました。父が入院しているので時間がとれたのと、母が抱えている問題もあり、母も初めて一緒に参加しました。そこでもまた簡単なワークを行っていたのですが、講師の指示で、私が母と抱き合う、という流れになってしまいました。 私の中では、母に触れる、ということもかなりな抵抗がありました。嫌い、というのではないのですが、何となく拒否感が強いのです。とはいえ、流れ上仕方なく、そうして母の胸に抱きついた時、ふっと私の脳裏に、「この感覚を覚えている!」という思いが湧き上がってきたのです。瞬時に私は赤ん坊に戻ったような感じでした。以前のワークで、他の方の胸に抱かれた時とはまったく違いました。「私は確かにここに抱かれていた。幸せな時を過ごしていた。私はここで、自分が幸せになれる、と確信していた。」
イメージワークにも結構参加してきましたが、「リラックスした時を思い浮かべて下さい」と言われても、私には「リラックス」「幸せを感じた時のイメージ」、がなかなか浮かんできませんでした。好きな場所はあったのですが、いつでもどこでも胸の奥にきゅっとしめつけられるような寂しさが必ず一緒にあったのです。
今思えば、四十数年生きてきた中で、私は記憶のある限り、一度も本当に安らいだことがなかったのだと改めて気づかされました。いつでも何か不安、何かに追われているような、何かしていなければいけないような、そんな安らげなかった半生。覚えていなかったのだから、当たり前だったのですね。
でも、私はこの年になって初めて、「最高に幸せで、すべてを委ねていられる」やすらぎを感じました。私は愛されていた。私は幸せになるために生まれてきた。私の中で、それが揺るぎないものとなった気がします。 素晴らしい体験でした。

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