エリート回復者からのメッセージ
21.「私の存在」を脅かすもの
2005/11/30(水) 午後 3:54
子ども好きな私ではありません。小さい頃からそうでした。妹も弟も、長女のくせに、自分より幼い子の面倒を見るのが何よりも苦痛でした。
子どもなどというわがままな存在は許せませんでした。愛されている子は、憎たらしかった。でも愛されていない子は、もっと嫌いでした。 妹や弟の面倒見が悪い、という理由で、親からは「自己中心的なヤツ」「わがままなヤツ」「弟妹の面倒も見られないできそこないだ」とずっと責め続けられていて、あっぷあっぷしていました。「私は冷たい、自己中心的なわがままなできそこないの人間なのだ」と、ずっと罪悪感を持って生きてきました。
今ここまできて考えれば、私が冷たい人間な訳ではなく、優しさのない人間だったわけでもなく、自分が親からされてきたこと、してもらってこなかったことを、ただただ自分より弱い存在に向けていただけのことだとわかります。
親を許していなかった頃、わが子を抱きしめることに対しても、どこか嘘くさい自分を感じていました。 可愛くない、というわけではない。だけど、透明な壁が間にあるような、どこか離人的に子どもを見ていました。 父を許せるようになった頃、子どもがわがままであることに対して抵抗がなくなりました。でも、やはり薄い壁は依然としてそこにありました。 私にはわかっていました。「母」というものを受け入れられなければ、この壁が完全になくなることは無いだろうと。1年近く前、ある研究フォーラムで虐待の連鎖を乗り越えたという発表をするために研究員から課題を与えられ、それに取り組んだ結果、私に覆い被さってくるような母はいなくなりました。
そして、子供たちとの間にあった壁はなくなりました。
でも、私の中には、生身の母との「決定的な何か」がまだ起こっていないことには気づいていました。それはもうすぐそこまで来ていそうで、見えていなかったのです。
なぜそう思ったか。
わが子を可愛いと思い、愛しいと思います。でも、よその子に対して、やはり拒否感が残っていたのです。特に、「抱っこ」を求められることは、私には厳しかった。突き放したくなる衝動に駆られました。
夫に話してみました。「相手の持つエネルギーにもよるんじゃない?その子って親から受け入れられていないんでしょ?」 確かにそうでした。可愛いと思って抱きしめられる子もいるのです。何が違うのでしょうか?よその親に抱っこしてもらいたがる子というのは、寂しい思いをしている子が多いですよね。
昨日、「私という存在を差し出す」ということが自分の中に響いてから、何となく、今なら抱っこも嫌ではないかも、と思いました。そして今日、ふと、「私の存在を脅かすのだ」という心の声が聞こえたきがしました。
そうなのだ。受け入れられていない子は、私の中の「私は母に愛されていないのかもしれない」という心の奥底の恐怖感を刺激していたのだと思います。愛されていない(そうでなかったとしても、愛情表現をされていない)子どもたちは、私の中のその恐怖と不安をかき立てるのです。 それじゃあ受け入れられるわけはなかったな。と思いました。
今、私の中には、「自分が愛されてきた」という実感があります。とはいえ、この先、子ども好きに変身するか。と言われれば、もとの資質もあるので、たぶん、そんなこともないでしょうけれど、少なくとも、拒否感はなくなるのではないかな。と思っています。
22.親との問題を解決する
2005/12/18(日) 午後 2:42
16年間やってきたことは、ほとんどそこだけでした。
自分に何が起こって、どういうことを親からされてきたのか。そして、それは本当に必要なことだったのか、私はそんな仕打ちを受けるべき人間だったのか。
根拠なき罪悪感、自己嫌悪、恨み、妬み、嫉妬、羨望、卑屈、自責感、恥、自己卑下、虚栄、プライド、傲慢、空威張り・・・今並べてみても気持ちが沈みそうな、どうにもならないマイナス感情の悪循環の中で、どうやってもそのヘドロから抜け出せないいらだちとあきらめ。そんな中からどう自尊心を持って生きていくことができるのだろうか。当時は予測もつきませんでした。
幸い、巡り会ったカウンセラーは、この道の優れた専門家でした。長年お世話になったけれど、もう少し前に、「卒業にしましょう」という言葉を頂きました。その時は、まだ母との課題が少し自分の中で残っていたのだけれど、機会があって、その課題も少しずつこなせつつあります。
先日世代間連鎖のセミナーで越えた母とのワークで、本当は、母に文句をいい足りない、というところ があったのですが、日が経つに連れて、自分の中の何かが消化できてきたような気がします。
というのは、子どもに対して、夫に対して、腹が立つことが格段に減ってきているからです。
特に子どもに対しては、あまりにうるさいのでこちらもカッとする、という、人間として当たり前の感情は出るにしても、以前のような、瞬時に爆発的に怒りを覚える、ということはほぼゼロなりました。
夫に対しては、まだ「母のように私を全面的に受け入れて支えて欲しい」というのが残っているので、つい言いたいことを言ってしまうことがありますが、それでも、言うよりも相手の話に興味を持って耳を傾けることが苦でなくなってきました。
今までひっかかっていたことにもひっかからなくなってきました。
自分の中に住み着いている「親」のイメージを変える。これが、大切なのだと思います。 コミュニケーションを潤滑にさせるためには、確かに有効なテクニックがあるし、それを学んだり、教わったりすることはとても役に立ちます。
でも、相手を変えることはできないので、ひたすら自分の受け取り方を変えていく以外に方法がありません。いえ、自分が変われば相手が変わるのだから、自分の問題に取り組んでいさえすれば、いつの日か周りの環境が変わっています。これは、自分の人生は、自分で責任を取る、ということに通ずると思います。
子どもは、「自分で自分の人生に責任をとれるようになりたい」と思っているのだそうです。私のように責任を取ることができないで、または、それを止められて来た人には、自分で責任を取る、という選択を続けていくことで、自尊心を取り戻すことも可能です。「重症です」と言われていた私だってあきらめずに続けていればここまで来られたのですから。
「あの人の場合は○○だったからできたのよ」
「私には△△がないから」。
弱音を吐くことは悪いことではないけれど、そこにとどまるかどうかは自分で選択している、ということに気づけたらしめたものです。あなたの人生は、誰も代わりに歩いてくれません。「今までよく頑張ったね、今度はあなたが幸せになる番だよ」と言ってくれる白馬の王子様も来ることはありません。 起きてもいない最悪の結果を考えてそのまま年をとるか。それとも、とりあえずできることをして前へ進んでみるか。
やりはじめたら止めない。立ち止まって、後ずさりをしてもいい。でも、また、前に歩こうとすることです。本気で取り組んでいれば、手を差し伸べてくれる人も現れるのです。
「責任」という言葉は重いかもしれません。でも、自分にわき起こってくる感情を受け入れその責任を取る、認めたくないようなマイナスのものでも自分の大切な感情だと認める、自分のしたことの結果を受け入れられる、責任を取れる、ということができるようになると、自分の人生が自分の元に還ってくるのは確かです。今までの、脇役の人生ではない、主役の人生が。
確かに否認していた人生と違って、苦しいことも全面的に体験しなければなりません。でも、生身で生きている、と感じられるあの充実感を体験し、自分に乗り越えられる力があると気づけるようにようになったなら、たぶん、前の生活に戻りたいとは思わないのではないでしょうか。
23.力の逆転(思い編)
2006/1/4(水) 午後 2:44
2日に子どもを連れて実家に行ってきました。当然父はこちらを無視です。子供たちが、「おじいちゃん、あけましておめでとうございます」と言ったって、まるっきり無視。
母方の祖母が隣に住んでいて、これがまた父の気に入らないのですが(実際は向こうの隣にこちらが越してきた)、「あいつらは、○○(母の旧姓)のひ孫か?」と父。「あなたの孫ですよ」と母(苦笑)。「あいつらはどうせろくな人間になどならん」
まあ、延々と実家ではこのような会話が繰り返されています。受け入れられない父を気の毒に思いますが、やはりあの態度を見れば、私だって当然腹が立ちます。まあ、その日は背中に向かってあかんべーをして帰ってきたのですが。
それでもおじいちゃんにわざわざ「さよーなら」を言いに行く子供たちが愛しくもあり、不憫でもあります。この辺は、以前から「あなたたちが悪いのではない。おじいちゃんが病気なのだ」と言い聞かせています(父以外の家族ぐるみで)。多少の歪みは出るかもしれませんが、後々またフォローもできるでしょう。
で、昨夜ふとお風呂につかりながら思いました。今、父はもうよたよたです。下の世話はすっかり母に頼っているし、すっころがったら自分で起きることもできません。本当に憂さを晴らそうと思ったら、簡単なのです。突き飛ばして父を足蹴にし、「悔しいか、惨めだろう?お前はずっと私にこういう仕打ちをしてきたのだ。思い知ったか、ざまあみろ!」とやってみたい思いもふつふつと湧いてくる・・・(-!-;)y。
泣いて悔しがる父を見たら気持ちが晴れるだろうか?
・・・そういう部分もあるかもしれない。
でも、やはり私はそれをしないでしょう。それをしたら、同じ所まで自分も落ちてしまうのです。私はそういう生き方をしたくはない。思うことと実行に移すことは、まったく別のことなのです。
思っただけで罪、そういう考え方もあるとは思います。でも、思うことまで抑圧してしまったら、やはり何かあった時にそれは止まることを知らなくなるでしょう。
やり返してやりたいと思った。だけどやらなかった。 というのと、 やり返してやりたいと思った。そして、やってしまった。
のでは、大違いです。
私の場合は、「ある人」にその思い、他の人には知られたくないような思いを綴って吐き出す。という方法があります。自分がしたいということを克明に書き出し、その心情も、奥に潜んでいるものも、自分の言葉で、表現でしっかりと書き表すのです。 そうすることで、自分の中でいろいろな感情が、整理され、落ち着くべき所に落ち着いてきます。
多くの縁があって、この世にはある一定の法則があること、エネルギー的な視点から考えること、ホリスティックな視点で考えることなどを学んできました。どの考え方も、共通しているのは、見える世界も見えない世界も、一つながりである、ということです。なにやら宗教めいて聞こえるかもしれませんが、日本は古来、そうした思想の元でずっと来たのだから、目に見えるモノだけを信じるようになってからの方が、歴史は浅いのではないでしょうか。
子供たちの気持ちを足蹴にしてきた父は、今は自分の足で歩くこともままなりません。家族に暴言を吐いてきたその口は、今はろれつもよく回らなくなってきました。
父は、身体のしっかりした人で、本当ならばこんなに衰えてしまうことはないのだと思います。絶望、落胆、後悔、そんな思いが彼の心も身体も蝕んできたのでしょう。 父にとって、父の思い通りに動いてこなかった他の家族が幸せになることはあり得ないことで、許されないことなのです。だって、みんなが幸せになってしまったら、父の考えは間違っていたことになってしまうから。
でも、敢えて私は父の希望通り不幸になるのではなく、幸せになる道を選びます。植え付けられているその不幸の種を取り除くのは大変難しいけれど、父の期待を裏切って幸せになって良いのだ、という許しを自分の中にしっかりと持てるようになるように、進み続けると決心しました。
私、そして妹も弟も、幸運なことに親を殺したりはしませんでした。殴り返してケガをさせるということもしませんでした。 でも、間接的に親に仕返しをしてきたのかもしれません。私たちの人生がスムースに運ばなかったという点で。
だから、今子育てをしている方たち、そして、今、子供たちが働かない、閉じこもっている、問題を出している、という方たちには、もう一度よく考えて欲しいのです。
力の逆転は必ず来ます。支配されていた者は、支配し返します。虐げられてきた子どもは、親が老いたら虐げるでしょう。力や権力で支配しようとしてきたなら、やはりやり返されるのです。あらゆる形で、それは、直接的な暴力でなくても。
小さい子どもがいるならば、今自分がしていることを、自分が老いて動けなくなった時に、同じようにされても良いかどうか、シミュレーションしてみてください。
24.私は失敗作?
2006/1/9(月) 午後 9:56
一昨日、父が入院中なので、子どもを連れて実家にお泊まりしました。
施設に入っている知的障害者の妹も冬休みで帰っています。その前日には、隣に住んでいる祖母がケガで入院したのを迎えに行っていました。母は、ずっと誰かの面倒を見ています。それが母の幸福なのか、不幸なのかはわかりません。昨日も、母は妹を連れて夕方父の面会に行きました。私としては、孫もいるし、ずっといて欲しかったのですが、そういう訳にもいきません。
母が出かけた後ふと考えました。2歳下に妹が生まれてから、私はただでさえ少なかった母の注目を失いました。5歳下に弟、8歳下に妹。その妹が病気で障害を持ってからは、それこそ一家は妹の都合で動くことになりました。妹の幸せのため、自分の感情はないものとして生きてきました。自分が母を求めて側にいて欲しいと言ったら、「わがままだ」とひどく怒られるだけだったから。感情を素直に出すのはタブーでした。
妹は、高校の時都下にある養護学校の寄宿舎に入り、週末は帰ってきました。20歳を過ぎた頃、近県の成人施設に入って、春・夏・冬の長い休みに帰ってくるようになりました。父は、私たち他の3人の子どもに言い続けました。
「A子は可哀想だ。皆が好きにこの家にいられるのに、A子だけは、離れて一人で生活している。帰っている時はA子を皆で幸せにするべきだ。」
A子は、無条件に愛されて育ちました。家族全員の悪いところ、わがままなところを背負ってくれた、我が家の宝。大事にしなければならない。幼いころからそう言われて育ちました。家族全員が、A子を幸せにするために自分の感情は棚上げにしました。 A子は、大変愛情豊かに育てられ、施設でも可愛がられています。何より、感覚が家族の中で一番健全です。愛されて育った強さがあります。それは、例え障害のあるこでも揺るぎないものなのだということが、A子を見ているとわかります。 そして、他の姉妹弟は、皆不安に育ちました。誰も順調な人生を歩けませんでした。
本当に可哀想だったのは誰だったのでしょう。
父は、私の子育てに失敗したと言いました。あいつだけは間に合わなかった。と。でも、お気に入りだった、父の意を汲む娘、妹は私よりももっと深い心の傷を負って育ちました。充分間に合ったはずの弟も、やはり順調とはいえません。いち早く精神的に立ち直ったのは、皮肉にも間に合わなかったらしい私のようです。
失敗作?私もずっとそのことにひっかかりながら生きてきました。でも、近年それはようやっと脱することができました。 「子育てに失敗しました」などと言うのは失礼な話です。失敗したのは、親であって子どもではありません。
これには言葉が足りないのです。この場合、「子育てに失敗」したという表現は適切ではありません。これは、
「親の思うとおりに子どもが育たなかった」
のです。もう少し深めるならば、
「子どもが親の思い通りになる」と思っていた「親の考え方」に無理があった、もしくは、そもそもそこからして勘違い、大間違いだっただけのことです。
子どもには子どもの人生があるのだし、だいたい子どもが生きているうちに、「失敗作だ」などと言われる筋合いはないと私は思います。
「失敗したのは、私の人生ではなく、あなたの人生だったのでしょう?」
と、今の私は堂々と心の中の親に向かって言うことができます(目の前の父には言わないけど)。
父は、自分の人生の失敗を私で帳尻あわせしようとしました。いかにも私のせいで父の人生がうまくいかなかったのだと。「じゅねのせい」は「家族のせい」「妻のせい」「結婚を勧めた奴らのせい」と矛先を変え、また、皆を巻きこんでいきました。私はずっと、父の人生の責任まで取ろうと必死になってへとへとになりました。でも、もうそれはしません。
私も、自分の人生に責任をとって生きていきます。例え、他に選ぶことができずに流されて落ちていったとはいえ、やはりその人生は私のものであり、深いレベルで考えれば、私が選んできた道なのです。だから、私は私の人生に責任を持って生きていきます。
25.怒りの気持ちを吐きだしてから・・・
2006/1/22(日) 午後 5:54
もう少し前、目の前の父の態度に刺激されたのか、眠っていたらしい怒りがこみ上げてきました。
母や妹に気持ちを話し、受け入れてもらい、そして、正直に自分の中の気持ちを受け入れたことで、自分の中で何かが終わった・・・らしい。
土曜日に用事で実家に行ったら(毎度のことですが)、父が、私の顔を見るなり目を見張って、「お前は誰だ?」と言いました。弟が夏に実家に帰ってくる前は、それなりに私にも優しさを見せ始めた父だったのですが、弟が帰ってきた途端に、態度は変わってしまいました。憎しみに満ちた目で私を見ています。だから、さすがに腹が立ったりしたのですが、今回は、バカバカしくて笑ってすませました。
日曜日に息子を連れて実家に行きました。息子は、「うるさい!」と怒鳴られたり、無視されたりといろいろあって、「おじいちゃんなんて嫌いだ」と言いながらも、興味はあるらしく。回りをうろうろしてました。
「根性あるなぁ・・・」と、わが子ながら頼もしく思います。「おじいちゃん、年取ってあんな風になっちゃったんでしょ?そうなる前に会いたかったなぁ・・・」 そうだよね。あなたには全く落ち度はないのに。ごめんね。
突然、母の私を呼ぶ声に行ってみると、父が湯船の中にある腰掛けに座りそこね、母が一人で父を支えています。しかたないので一緒にひっぱりあげました。 こういうときには、私の手も借りざるをえない父は、結構無念の思いがあるのかもしれません。 こっちはちょっぴり優越感・・・かな。
近くにいてまたお互いに腹を立ててもしかたないので、父とは最低限のお付き合いにしています。以前カウンセラーにも言われました。「盆暮れの挨拶、新年の挨拶、そういうときに表面上だけでも上手につきあえるようになれば、それで十分なんじゃないですか?」
私もそう思います。親子であって分かり合えないことは悲しいことではあるけれど、現実の世界で仲直りできないからと言って、別に、父が心底私のことを憎んでいるわけではないのです。 ただ単に、「父の理想に描いた、思うとおりの私」にならなかった、というだけのことなのですから。
僧侶である夫は、「人は、死ぬ時に皆悟って死ぬんだよ、最後の時に気づいて死んでいくんだ」といいます。 父は、自分の言うとおりに子どもが生きていれば、子どもは幸せになれると信じていました。子どもの幸せを何より願っていた父なのだと思います。だけど、私は違う道を選んでしまいました。父にとって、父の規範に入らない私は不幸なのです。自分の力なら幸せにしてやれると思っていた父にとって、今の私を見るのはつらいことなのでしょう。父の「望まない結果」を見せつけられていることになるのですから。
父は、仕事では素晴らしい結果を残しているのに、家族や子供たちが思い通りの結果にならなかったことに対して、自分の人生を失敗だったと決めつけています。 でも、父の人生の失敗上に、まだ未来ある私たち4人の子どもの人生まで失敗だと決めつけるのは止めて欲しいと思うのです。父の人生と、私たちの人生は、全く別のことなのですから。
26.力の落差を縮める
2006/2/22(水) 午後 4:05
恐怖による父の支配が長かったので、現実には父とはすでに力関係が逆転しているにも関わらず、私は父の一挙一動に恐怖を感じてしまいます。
私の中で父はもうこのままで構わない、というものも出来てきてはいますが、それ故実際に会った時も波風を立てまい、とするあまり、私は小さくなっている事が多かったのです。
でも、それは子供たちによくない影響を与えるのではないか、と思うことも最近多くなりました。息子は私の実家系統の顔立ちのため、「おじいちゃんとよく似ているね」と言っていたのですが、そのことが息子の心を傷つけていることに気づいたのも最近のことです。 それと同じ理由で、「パパの子どもの頃によく似てるから・・・」と言っていたのも、実はよくない影響があったようです。 おじいちゃんに似てる→おじいちゃんのようになる(頑固で、恐い顔していて、怒鳴ったり、怒ったりばかりで、誰も近づかない。→孤独→ボクもきっと大人になるとおじいちゃんのようにひとりぼっちになる
パパに似てる→パパは○○(ちょっと内緒)→ボクもいずれはパパのようになる→どうせボクなんか・・・(このあたりは夫を大事にしきれていない私にも多分に責任あり)
子供にしてほしいことは親がその通りのことを実践し、してほしくないことは絶対に親がしない。これが大原則であるのだから、親は大変である。
で、やっぱり私が父の前で小さくなっている姿を見せるのは、良くないのだろうと考えました。人間の存在、魂の重さは対等なのだ。というところを自ら見せたい、と思ったのです。
そのために、やはり私が小さくなっている私の在り方が、父を助長させている、部分もあるのだろうと思います。
とはいえ、凄まれると今でも恐い。椅子から独りで立ち上がることもできない相手なのに、です。
幸い、アサーショントレーニング4回目にその場面のロールプレイをさせて頂くことができました。私が父役。私を演じてくれた方が、自分には全くそういった経験はない、という方で、父役の私がどんなに凄んで暴言を吐いても、にこにこしながら「子供つれてきたよ〜」「ああ、そうよね〜」とまったく相手にせずに言いたいことを言ってくれました。 そして、先生がアドバイスをして下さったのは、「この方(父)はもう変わりません。この辺でさっと退却しましょう」。
実は、以前カウンセラーにも同じことを言われたのですが、なかなかそのタイミングが計れなかったのです。
さわやかに立ち去る。
そして、今独学で学んでいることがあるのですが、そこにも、「怒りをあらわにしてくる人には、怒りで対応するのではなく、でも、強い口調ではっきりと対応する」、とありました。
そこで、たまたま日曜日に実家に息子を連れてでかけたので、試してみることにしました。母は一日留守にしているので、どうしようかと思ったのですが、ヘルパーさんがきてくれていて、父は機嫌が良いようでした。
息子は、家に入る前に、必ずインターフォンを鳴らします。この日も「やめなさい」をいう間もなく押してしまっていました。いつもなら子供に、ごあいさつしなさい、と言うのだが、この日はそれも言わなかったら、息子はさっさと二階へ行ってしまいました。 で、意を決してダイニングにはいると、ヘルパーさんが明るい声で「こんにちは。」と言ってくれたので、こちらもはっきりとした声で、「こんにちは。お父さんもこんにちは。今日も息子つれてきたわ」と言いました。
父は、「何だ、さっき(インターフォンが)鳴ったが、いったい何があった?(良く聞き取れないがたぶんそんな感じ)」ほれ、からんできた、と思ったが、わざと明るい声で、「ああ、ごめんなさい。あれ、私の息子よ。ほら、私の息子が鳴らしたのよ」と言ったところ、ぼそっと「何だ、孫か」と言ったのである(笑)。
「そうそう、それじゃまたあとでね〜」とさわやかに(?)退散。
やはり、一応心の奥底では「孫」だと認めているらしい。
「のれんに腕押し」どうもこれが良さそうだと思いました。何かいわれても、小さくならずに大きな声で「あら、そうだったの」「ああ、そうよね〜」と受けたら、自分の言いたいことをさっさと伝えてさっさと退散する。
昨日のアサーショントレーニングでは、私が小さくなっている態度が、相手に、「自分は偉いのだ」と錯覚させ、力の落差がどんどん開いていく、ということもわかりました。 父の思うつぼ、にはまらないように今後努力しようと思います。
27.家族の誰かが障害を持っているということ
2006/3/16(木) 午後 1:14
私は重い人間なのだと思います。
人生をおおらかに楽しむことができる方でもないし、小さい時に周りから言われたのは、「暗い子ね」「華がないね」「難しい子だね」「かわいげがない子ね」「こどもらしくない子ね」「素直じゃない子ね」「頑固な子ね」などなど。おおよそ、子供らしく天真爛漫ではなかったのでしょう。
ふと記憶がある頃から、我ながらとても大人びた考えを持っていた気がします。
でも、よく考えてみれば、別に私が生まれつき大人びていたわけでも、重いものを持っていたわけでもありません。
遺伝的な器質、要素などはもちろんあったのだと思うけど、育った人間環境があんなでなかったら、私はあまり考えなしに行動する、どちらかというと社交的な人間なのではなかったかと思います。
多分に環境が重かったのです。父という非常に重々しい人間。母という、その父の重さを強化する人間。そして、私は4人兄弟の長女ですが、末の妹が生後半年の時の病気で重度の障害児となったことが、その後随分大きな影響を持っていたと思います。
父は、幼い私たちを並べて言いました。私が8歳頃だろうと思います。当時私はすでに解離的なところがあったので、当時の記憶はほとんどありません。とくに妹や弟に関しての記憶は。
「お前達がわがままばかり言っているから、お母さんもA子の病気に気づくのが遅れたのだ。だから、A子がこうなったのは、お前達にも責任がある。この子は他の家族の悪いところをみんな背負ってくれたのだ。この子はうちの宝だ。だからみんなでこの子を幸せにしなければならない」
外の人が聞いたら、どう思うでしょう。大人になった私たちが、冷静にそう言う話をすると、たいてい後半の部分を聞いて、誰もが「親として立派な育て方だ」と思われるのではないでしょうか。
実際、私たちもそれが当たり前なのだと思って生きてきました。
でも、本当だろうか。
私や妹弟は、幼いころから、加害者として生きてきたのです。いや、それ以前からも父は子供に対して罪悪感を植え付ける才能があったので、私たちは、罪悪感をすり込まれた上に、決して外すことのできない重しを乗せられて生きてきたのだと思います。
父の思いが私に対して特に深かったので、私は集中的に父とパワーゲームを繰り広げることになりました。父は私を踏みつけて益々高みに上がっていき、私は地にはいつくばり続けました。そして、何だか、自ら下の立場に甘んじていなければ、親不孝をしているような気になるほど、私は惨めで不幸で、うまくいかない人生を歩み続けては、父が自尊心を保つのを支え続けたのです。
家族の誰もその歪みに気づきませんでした。
家族全員が巻きこまれていたから・・・
精神的に健全なのは、皮肉にも、みんなに大切にしてもらった、障害のある妹だけでした。
障害を持つ家族がいる場合、ひたすら隠す、という選択か、堂々とつれて歩くか、という選択があると思います。
昔だったら座敷牢にいれられていたこともあったかもしれません。実際、私がよく知っている方で、私より年配の男性ですが、お兄さんに精神的な障害(知的、かもしれない)があり、当時座敷牢にずっと入れていて、外には出さなかった、とおっしゃっていました。
でも、一目で普通でないと分かる子と一緒に外を歩く、というのは、特に子どもにとっては辛いことです。好奇の目にさらされ、自分の家庭は他とは違う、ということを嫌でも胸に刻み込まれてしまいます。
その上、それがお前にも責任もある、などという心の中の親の目があったらなおさら重くなるでしょう。
父が、もう少し子供たちが大きくなって、ものの道理がわかるようになってから話をしていてくれたなら、もっと違った結果になっていたのかもしれません。
ただでさえ、複数の子どものうちの一人に障害があった場合、他の子どもに歪みが出やすいものです。
もちろん、それだけで取り返しのつかない問題が他の子に起きてくるわけではありませんが、複数の子どもの中に障害を持つ子がいる場合、障害のない子に対する配慮がとっても重要になります。
先天的な遺伝的要素。感受性が高いとか、神経質とか、感じやすい本人の要素に加え、生育環境、つまり親の対応のまずさとか、その他のサポートのなさなどが加わり、そして、その後の悪循環体験によって、性格の歪みが強化されていきます。
あとあと大変な問題が出る場合というのは、こうしたいくつかの要素が重なり合って出るものなので、一概に、こういう環境だから悪くなった、という単純なものではなくもう少し複雑なものなのだと思います。
とにかくうちの場合は、すべての悪条件がそろってしまっていました。

こころとからだの関係を学ぶ〜ホリスティックな世界への招待
トライアングルのセラピスト・小林純子の通信講座。心、体、魂、そしてホリスティックな生活に関する知識や実践法などを紹介しています。
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