エリート回復者からのメッセージ
11.どうしても連鎖すること
2005/9/30(金) 午前 7:09
正しい子供の育て方
素晴らしく性格の良い人や、どんな事があっても優しく振る舞える人って、その人も凄いが私はその
親の育て方が良かったんだろうなぁと、最近考えます。
姉の事もあり、また私も子供がいてもおかしくないような年頃になってきたので、どうやったら
『精神的に健全』な子供に育てられるのだろうかと考えます。
母のような母親にはなりたくない、私のような思いを子供にはさせたくない、姉のような子供には
なって欲しくない...とこうなって欲しくない事ばかりで...。 だって言い方は悪いけど、育て方を
間違っちゃうと『姉』のようになってしまうかもしれないでしょ。 私はお陰様で『あんな』事を
言われても立ち直り、強くもなったけれど。 やっぱり少し冷めて見るような所は否めない。
こうなりたくないと思うが故に、逆にそうなってしまいそうで。私がされた事、ヒステリー、暴言を
自分の子供にもしてしまうのではないかと思うと、今から恐ろしいです。
立派に子供を育てた人、今子育て真っ最中の人に尊敬の意を!
転載元: 32歳の人格障害の姉とその家族
上の記事に対する内容です。 こういう恐れを抱いている方は、結構いらっしゃるのではないでしょうか。また、すでに子育てをしながら、どうしてこういう事になってしまうのか、途方に暮れている方なども。
人間は、自分が育てられたようにしか子供を育てられないという自然の法則があるようです。 連鎖にも、「表の連鎖」と「裏の連鎖」といわれるものがあります。簡単に言えば、親に殴られて育てられた場合、自分が親になったとき、その人には子供を「殴る」か「殴らない」かの選択肢しかないわけです。
「殴る」ことを選択したら、それは目に見える暴力、虐待ということになりますが、「殴らない」ことを選択すればよいというものではありません。意識下にため込まれた、自分の中の怒りのパワーはなくなったわけではないので、どうやっても自分より弱い対象、コントロールできる対象に向きます。 言葉の暴力や、冷たい視線、子供を陥れるようなやりかた(罪悪感を持つように)する場合もあります。 少なくとも、「殴らない」ことを選択したとしても、健康的な愛情を与えることはできません。
自分を「殴ってきた」親は、やはり親に殴られて育てられた人でしょう。
気づいた人から、自分の問題に向き合っていくことが大切です。自分の中の怒りを適切な方法で解放する必要があります。怒りは、正しい方向に向けられなければ、決して解放されることはありません。
気づいた人から自分の歴史を振り返る作業に入ることが大切だと思います
12.どうやって連鎖を断っていくか 〜気づき編
2005/10/7(金) 午後 1:20
私は片づけが苦手。自分でもよくわかっています。 確かに、住んでいるアパートの収納力を越える量の物があるのですから、収まるわけはないのですが、それにしても、ごちゃごちゃしていると思います。
特に紙類(新聞様の物、子供の描いてきたり、作ってきたりした作品、広告、試し刷りなど)があちこちに散らばっています。スペースが狭いので、当然歩くところにも新聞があります。大切な印刷物なども、ちゃぶ台の下からはみ出ていたりします。「踏むな!」と叱り、シュンとした顔の子供たちを見ながら、「片づけてないのは私だよなー。」と反省し、「だから片づけなさいっていっているでしょ!」と毎晩怒りながら、散らかっているパソコン周りを見やる・・・。
「矛盾してるよね・・・」わかっているのです。だから、逆に、「ママだって片づけてない」と言われれば、「そうだね。片づけるよ」とは言います。
幼いころ、私は自分を守るのに必死でした。下の妹が病気で障害を持つようになってからは、拍車がかかりました。考えるのも、行動するのも、苦しく悲しく孤独だった自分を守るのも、自分でやるしかありませんでした。誰も守ってくれはしなかったのです。心を許せる人というのもいませんでした。だから、小学校低学年くらいまでの記憶はあまりありません。
頭の中はごちゃごちゃしていました。片づける、整理する、ということは、ある程度ゆとりがあってできることだと思います。追いつめられ続けている時に、そんな余裕はありません。母が一緒になって、こうやって揃えて片づけるのよ。などと教えてくれた記憶もありません。ただ、おもちゃを大きなこおりだか、入れ物に投げ込んでいたことだけ覚えています。
精神的に追いつめられていた10代後半から20代の頃など、部屋はめちゃくちゃでした。TVでよくやる「片づけられない女たち」のように、物が積み上がってこそいませんでしたが、足の踏み場なんてあったんだろうか、というほどでした。 片づけたい、きれいなところにいたいと思うようになったのは、やはり自分が安定し始めてからです。 目に見える物がモノクロからカラーに変わったような変化が過ぎた頃から、ようやく私は「片づけるべー。」と思えるようになったのです。片づけようと思えばできないことはありませんでした。
ただ、やはり長年の習慣からか、私の空間的センスの問題か、やはり下手な物は下手なのですが・・・。
「ママもお片づけしなきゃ駄目だよねー。」と昨日保育園の帰りに息子に言ったら、「ママ、いつもパソコンの周り、散らかっているもんね。やっぱり片づけた方がいいよ」とおずおずと言いました。 そりゃそうです。やはり子供は見ていても、普段は親にそんなこと言っちゃいけないと思って、矛盾を心の中に持ちながら葛藤しているんですよね。
「うーん、わかってるんだけどねぇ、今日もお片づけしている時間がなくて・・・・」まったく情けない限りです。(息子は保育園では片づけが上手な方らしい。) 子供は親をよく見ています。口で立派なことを言っても、実際はどうなのか、実に鋭く観察しています。この矛盾が大きければ大きいほど、子供は混乱するでしょう。こうして子供は、口では立派なことを言いながら、実際は矛盾することを平気でするような大人へと成長していくわけです。そして、本人はそのことに疑問も持たないのでしょう。 だって、自分を導いたお手本がそうやって自分を特訓してくれたのだから・・・
さて、今からでも遅くはありません。私も修正しましょう。誰にも救いはあります。気づいたら受け入れる。そして修正していくように心がければいいのです。少なくとも子供は、修正しようとしている親の努力は認めてくれるかも知れません。
13.現実は厳しいのよ
2005/10/10(月) 午後 0:40
昨日、2週間ぶりに子供を連れて実家に行ったら、台所に父がいました。私をにらむ目が、昔の目だ。イヤーな感じ。 そして一言「日曜日に子供なんて連れてくるなと言っただろう」「あぁ、そうだった?ごめんなさい」母に聞くと、寒いのと足が痛いのとで機嫌が悪いのだということでした。
子供たちがちょっとでも騒いで入っていこうものなら、「うるさい!でてけ!」と怒鳴ります。
普通だったら、孫だけは可愛いと思うものなのでしょうが、うちの父の場合、孫まで憎しみの対象になっているのです。今さら言っても仕方ないのですが、本当に大人げないです。
昨日は全身から憎しみと怒りのオーラを発していた父。いやー、いくら自分の中の父とは和解したとはいえ、目の前の父とは父が亡くなる日まで平行線のままだろうと思うと悲しくなります。
2Fで子供たちの相手をしながら、自分を振り返ってみました。
私は自らが育った家族の中では、決して安心感をもてることはありませんでした。いつでも緊張が漂う家でした。特に父が家にいる時は、家族中が緊張していたものです。
父も母も私には遠い人です。30年も一緒に暮らした人たちよりも、8年にもならない付き合いの夫や子供たちとの距離の方がずっと近い。そのことには、やはり寂しさを感じます。
うーん。でも、やっぱり何か胸のあたりがもやもやしている。私は自分の気持ちをごまかそうとしている。これではまずい。と思い、自分の気持ちを言葉に表してみることにしました。ほとんど放送禁止用語の世界ヘ(-_-ヘ フフフフフ
自分の持っている何かに響く言葉が出てきた時、「何か」が変わりました。本当の気持ちに気づく時です。
ふと気づきました。今日の父のあの目は、「私」に向いたものではない。あれは、息子(私の弟)との間の葛藤を解決できずに私に向けたものです。つまり、私はゲームの相手、八つ当たりの相手、飛んで火にいる夏の虫、カモだったわけです。
目の前にいる父にはできるだけ近づかないことです。自分がこれ以上無駄に傷つくことは意味がないというか、有害なのですから。
妹が来て、しばし親の悪口(?)に花が咲きました。彼女は、やはりかなりの道を乗り越えています。同じ親を持ち、お互いに良き理解者でもあります。
「けっきょくさー、(職場のトラブルでも)仕返ししてやるっていうのがどこかにあるんだよねー」「そうそう、私もさっき思ったんだけど、今に見返してやる、あなたが一番ないがしろにした娘が実は一番優れていたんだぞって見せつけたいのよねー」「わかるわかる、ざまーみろっていいたいんでしょ〜」
「結局勝ち負けなのよねー」「でもさぁ、それだと、あとが空しいんだよねー」「うん、本当に欲しいものはそうじゃないんだよね〜」「あー、そんな人生はもううんざりだわー」「やだやだ、そんなものに一生つきまとわれるなんて、ねぇ?」大笑い。 「この家の緊張感の中で、大人になってもまだつらいのに、私たちって、よく生き延びてきたよね〜」
こうやって私たちは互いに気づいたことを話し合って「囚われ」から徐々に解放されてきました。 もらえなかったことを嘆き悲しむより、そのことをどう生かしてこれからを生きていくか、きっと、それが私が与えられた、もしくは生まれてくる時に自分に課した、この世での課題なのだろうと思います。 今日だけ、今日もう一日だけ生きてみよう。そうやって生き延びてきました。苦しかった。誰も助けてなんてくれないとずっと思っていました。でも、本当は救いの手はさしのべられていたのです。いつでも。 ただ、自分はその手に気づくことなく、さらに言えば、気づいても取る気もありませんでした。外から来る何もかもを拒絶していました。自分だけが必死でした。
自分一人の力ではどうにもなりません。その無力感を持てた時からすべてが始まります。そして、限りない孤独感から解放されていくのです。でも、そこにたどり着くためには、「自分が」気づいて、「自分で」始めていくしかないのかも知れません。
14.ゆとりをもって生きたい・・・
2005/11/3(木) 午後 7:32
今日は午前中、品川区の障害者と家族の交流会と称するイベントが区役所前の公園であったので、息子を連れて行ってきました。
私の妹は心身障害者です。母が品川区の「守る会」に入っていて、そこの出店でお餅を焼いて売っていたのです。息子はトランポリンで遊んだり、消防署のゴーカートみたいなのに乗ったり、(消防車のミニカーまで買わされたが・・・しかも声が出るとかで¥800!(;-_-R;))結構楽しんでいました。
お腹がすいたので、焼きそばに磯辺巻き、あべかわもち、そして障害者が作ったパンやお菓子を買って食べたりと結構楽しみました。びっくりしたのはコーヒー。 なんといっても、普通のコーヒーメーカーでコーヒーを入れて売っていました!ちょうど切れてしまったので、しばし待つ。いや〜のどかだ・・・
こういった障害者関係のイベント場所に行くと、時間がゆっくり流れている気がします。皆一生懸命売り子をしたり、呼び込みしたり、テンポもゆっくりで、自分も何となく優しい気になれます。
ここのところ、とっても忙しくて、せっかく夫と出かけた休日も、何だかしゃかしゃかとせかされるように歩き、夫から、そのことを指摘されたばかりでした。 精神的にゆとりがなかったなぁ。
以前カウンセラーに言われたことを思い出しました。「何もせず、ぼんやりと無駄な時間をすごせるようになることがあなたには必要よ。大人はちゃんとそれができるものなのだから」
また、結構最近も言われました。「(あなたの)キーワードは『のほほん』よ」
私の中の『父親』=『世間』は、私に休むことを許しませんでした。まだ足りない、まだ足りない、もっとがんばれ、もっとがんばれ、今のお前では不十分だから・・・。
私はいつでもいつでもがんばってきました。まだ休んじゃいけない。まだ勉強が足りない。もっと苦しまなければ幸せになれない。親の期待に応えられない・・・
でも、それはいつもカラまわり・・・。必死になって努力すればするほど、追いつめられて私は破滅へとひたすら走っていたのです。今あの頃を思い出すと、当時の私がかわいそうで涙が出てしまうほどです。
あんなに苦しまなくても、あなたは充分だったよ。決して誰かより劣っているなんてことなかった。そのままで充分愛される存在だった。生きていていい存在だった。 よくここまで五体満足で生きてこられたね。良かったね(ちょっとした傷はあるけれど・・・ね)。
何年か前、実際にはお会いしたことはない故人です、大変尊敬する方のビデオを見た時のことです。その横顔が映し出された時、すぐ目の前に、その先生がいらして、「ここまで来たんだ。頑張りなさいよ」と私を励ましてくれているような気がしました。実際に、その声が聞こえた気がしたのです。涙あふれて止まりませんでした。
その「ここまで来たんだ。頑張りなさいよ」というその言葉は、決して「足りないから頑張れ」というメッセージでなく、ふわっと苦しかったことを受けとめられて、そして、これまでのことを無駄にしないようにしなさいと、ぽんと背中を押されたような感じでした。とても、優しいメッセージだったのです。全身が温かく包まれた感じでした。
人が信じようと信じまいと、私は本当にメッセージを頂いたと思っています。そして、それは私にとってかけがえのない宝物となりました。
15.隠された感情
2005/11/5(土) 午後 8:14
困難なことはいつでもやってきます。むか〜し受けたセミナーのトレーナーが言っていました。「難しいことはいつだって難しい。それはどんな人間にもやってくる。たとえ『あの人は素晴らしい』と思える人にでも、困難な問題は必ずある。でも、「どんな問題が来ても私は簡単に乗り越えられる」という自分を手に入れれば、問題は問題でなくなる」
その日以来、私は、「そうだ、どんなに自分がうまくいくようになったとしたって、問題は必ずやってくるんだ。私も『どんな問題が来ても私は大丈夫』という私になりたい」と思っていました。
あれからもう16年も経ちますが、どんなものやら・・・(´ー`)
ただ、いろいろとご縁があって勉強できたお陰で、何か問題が起きた時、「なぜ今この問題が私の前に現れたのだろう」と思う余裕ができました。自分の人生すべてが、うまくいくように動いている、という視点に立った時、起こってくる困難はすべてチャンスである。この問題は私に何を教えてくれているのだろう?と捉えれば、自ずと取り組む姿勢が変わってきます。そう。そして答えは自分の中にちゃんとある。
ちょうど昨日問題が立て続けに起こったので、ゆっくり読み解くことにしました。最近、『愛と癒しのコミュニオン』鈴木秀子著 に出てくる天使のワークがうまくいくようなので、それに取り組んでいます。自分の中に天使の自分を作り、温かく見守りながら、私を観察して見ていくのです。 起こった出来事と、自分の中にわき起こってくる感情にズレを感じた私は、何があるのか対話をしていきました。そして、出てきた答えは、まったく予期していないものでした。
私の中に怒りとも憎しみとも違うような、腑に落ちない感情は、父のような孤独な老後を送りたくない、成功の後には孤独と悲しみが待っている、と、自分が抱いている恐れなのではないか、気づきました。そして、それは正しい感じ方ではなかった。私は父を見て、「成功=寂しさ、孤独」ということがくっついてしまっていたのでした。私の中にずっとあった、成功に対する恐れは、こんなところから出ていたようです。
この、言いようのない「自分の人生がうまくいくことへの抵抗、恐れ」が、父との関係と深いことはわかっていましたし、父の「お前はできそこないだ。まともなことができるはずはない。劣った人間なのだ」というメッセージが、呪いの言葉のように私を縛っていたこともわかっていました。でも、何かまだひっかかっているものがある気がしていたのですが、どうやっても見えてこなかったのです。
それが、「今」ようやっと答として出てきた気がします。天は、私に答えを出す機会を与えてくれたのでしょう。そしてもう一つは、「信じてお任せ」。この辺は、弟と話しをしていて、はっと気づかされたことです。一生懸命、抜け出たつもりでも、うっかりしていると、いつの間にか悪しき習慣に引き戻されている。
そんなことを感じました。
天はいつでも必要なことを教えてくれている。本当に、心から答えが欲しいと願うなら、必ず与えられている、と思います。でも、そのことを信じ、心を澄ませていないと、なかなかそれは見えてこないかもしれません。
16.ハイヤーセルフ
2005/11/6(日) 午後 8:52
とても久しぶりに、ある宗教を信仰している友人から電話がありました。出会った頃から、ガラスのような魂を持った人だなぁと感じてはいましたが、彼女と話していて澄んだ声になってきたなぁとびっくりしました。 宗教によって人は救われるかどうか、は、よくわかりません。ただ、本当に救われる人には、共通点があるのだろうと思います。「純粋な心」とでもいうのか、それに依存して助けてもらおうというのではなく、結果を期待して信仰するのでなく、人に教えようとするのでもなく、ただ、純粋に信じてすべてをお任せする・・・。
宗教、宇宙、大自然、天、神、何であっても、大きな流れとつながって、信じてすべてを任せる・・・ ああ、私もそういう風に生きられるようになりたい、と口にしたら、夫が「じゅねには無理だよ」と、こともなげに言い放ちました・・・(▼▼)
いやいや、怒るまい。たしかに今の私じゃねぇ・・・
もう少し前にも、同じように素晴らしく魂の成長を遂げた友人がいました。彼女たちが同じように口にするのは、「本当に、すべてに感謝しかない」。そして、その言葉には、心からそう思っているというエネルギーが感じ取れました。
今、「何だろう?」と思う出来事が、いくつも重なって目の前に起こってきています。すべてが何かのつながりを持っているようなのに、まだ私の中ではっきりと結びつかない・・・。喉の所まで言葉がでかかっているのに、どうしても思い出せない、という感じと似ています。
大きな波が近くまで押し寄せている気がします。周りがざわついている。たぶん、何かが大きく変わろうとしている・・・そんな気がするのです・・・
17.悩みは解決(^ー^) 苦難はチャンス!
2005/11/10(木) 午後 10:06
しばらくの間、これといって目の前の困難というのがなかったのだけど、ここ10日くらいの間にいくつもの問題が目の前に提示されました。なぜこんなに一度に・・・と思ったのだけれど、「問題はチャンス。天は私に何を教えようとしているのか、なぜ今なのか?」
「喜んで受けよう(本当はやだけど)」と思い、不快な思いと向かい合いました。なかなか自分の中に答えが見つからず、何日間か悶々としていました。昔と違って、今は「問題を抱えたまま」普通にいられる自分がいます。とても有り難いことだと思います。問題はしっかりと意識し、潜在意識に投げかけておく。「必要な時に答えを出してね。潜在意識さん、お願いね。」あとは、潜在意識が答えを探すべくコンピューター並みに働いてくれるらしいです。
10年以上前、自助グループに通っていた頃、仲間から「神様は必要な時に必要な人を配置して下さる」という言葉を聞きました。 私はほとんどすべてを失っていたので、とてもこの言葉が気に入って、くじけそうになると、呪文のように唱えていました。
その少し後だったか、私は自己啓発のセミナーに2年半ほど関わっていました。いやというほど自分を見つめねばならず、苦しかったのですが、そこではよくトレーナーが、「環境は私たちに何かを教えてくれる、何を教えてくれているのか?」と問いかけていました。
自分を源泉づける。生まれてきたことすら、自分で選んで来たとしたら・・・など、「すべてのことがあって良い、すべての人が存在する価値がある」ということに対し、一生懸命考えてきました。 そういったセミナーに長く参加していると、いろいろなところからお誘いがかかります。成功のセミナー、達成のセミナー、ビジネス関係のセミナーでも、だいたい本質は同じことを言っていました。
カウンセリングに通い、いくつもの心理ワークショップに参加しました。いろいろな角度から物事を見ることができ、おぼろげに、確かに「真理」と言われるものはあるようだ、だということは見えてきました。 数年前に、民間の社会教育団体の勉強会に出るようになった。会を作られた先生はとうに亡くなられていたが、先生のまとめられた「物事の筋道」に触れた時、すべてのことがつながるような気がしました。
先生は、「苦難は幸福の門」「すべてのことを、これが良いと受けとめれば、道は拓ける」ということをおっしゃっています。
「真理」というものは、時と場合によって動く物ではないので、宗教や哲学や、自己啓発セミナーなどが同じようなことを説いている、というのは、それが本当に正しいが故なのだと思います。
さて・・。答えが出ないまま、1週間ほど経った頃、ふうっと抜けました。ああ、そうだったのだ。と、すとんと身体の中に落ち着きました。
今はかなりすっきりとしている。私の課題「のほほんとする」ことにも取り組めそうな感じ。駅の旅行センターを通りかかった時、フィジーだの、モルジブだのの旅行用パンフをたくさんもらってきました。海が大好きな私でした。きれいな写真でも探して、美しいリゾート地でのんびりするイメージでも抱こう。
そう考えて今日もパンフレットをめくってみました。だんだんに私の中にイメージが作られていく。あとは、まどろみながら、このイメージに浸ります。 今夜からとても楽しい夜になりそう(^-^ )。
目の前の「苦難」さん。「幸せ」をどうもありがとうございました。
18.身体が覚えていたやすらぎ
2005/11/25(金) 午後 7:16
富士高原研修所で、「いのちの遡源」という実習があります。平たく言えば、自分が一番お世話になった人とのことを思い浮かべ、深く感謝していく、というものです。
特に母とのつながりに疑問を持っていた私ですが、母との事を思い浮かべようと努力しました。でも、どんなに楽しい思い出を思い出そうとしても、頭を撫でてくれた思い出も、幼い私をぎゅっと抱きしめてくれた思い出も、私の目を見つめて「良い子だね」と言ってもらった思い出も、何一つ私の中には浮かんできませんでした。 感謝どころか、私は、「ああ、お母さんは私とそんなことした記憶はない、と言っていたけど、本当に何もなかったんだなぁ」と、悲しくて悲しくて、涙が溢れて止まりませんでした。そして、幼い私が可哀想で可哀想で仕方ありませんでした。もちろん、赤ん坊の時、記憶のない頃は抱いてもらったのだと思いますが。
ワークが終わってから、私はとても落ち着いていました。母との間に幸せな時間を共有したという思い出が何もないことを、ようやっと自分で認められたからかもしれません。帰ってきてしばらくしてから、浅かった呼吸が深くなっていることに気づきました。
一昨日、世代間連鎖のセミナーがありました。父が入院しているので時間がとれたのと、母が抱えている問題もあり、母も初めて一緒に参加しました。そこでもまた簡単なワークを行っていたのですが、講師の指示で、私が母と抱き合う、という流れになってしまいました。 私の中では、母に触れる、ということもかなりな抵抗がありました。嫌い、というのではないのですが、何となく拒否感が強いのです。とはいえ、流れ上仕方なく、そうして母の胸に抱きついた時、ふっと私の脳裏に、「この感覚を覚えている!」という思いが湧き上がってきたのです。瞬時に私は赤ん坊に戻ったような感じでした。以前のワークで、他の方の胸に抱かれた時とはまったく違いました。「私は確かにここに抱かれていた。幸せな時を過ごしていた。私はここで、自分が幸せになれる、と確信していた。」
イメージワークにも結構参加してきましたが、「リラックスした時を思い浮かべて下さい」と言われても、私には「リラックス」「幸せを感じた時のイメージ」、がなかなか浮かんできませんでした。好きな場所はあったのですが、いつでもどこでも胸の奥にきゅっとしめつけられるような寂しさが必ず一緒にあったのです。
今思えば、四十数年生きてきた中で、私は記憶のある限り、一度も本当に安らいだことがなかったのだと改めて気づかされました。いつでも何か不安、何かに追われているような、何かしていなければいけないような、そんな安らげなかった半生。覚えていなかったのだから、当たり前だったのですね。
でも、私はこの年になって初めて、「最高に幸せで、すべてを委ねていられる」やすらぎを感じました。私は愛されていた。私は幸せになるために生まれてきた。私の中で、それが揺るぎないものとなった気がします。 素晴らしい体験でした。
19.40数年気づかなかった勘違い!
2005/11/25(金) 午後 8:35
つい最近気づいたこと。 私の父は、子どもたち、特に私に対して、「貴様はだめな奴」「俺の言うとおりに生きないヤツが幸せになれるはずはない。なってはいけない」「貴様は惨めな人生を送っていることにすら気づかないほど不幸なヤツだ」 などなど、「お前は不幸になる」メッセージをずっと与え続けていました。本心は子供たちに「幸せになってもらいたい」なのでしょうけれど、言葉や態度にでるもの、また、受け取る側としては、いつもそのようなものでした。
だから、私には「少しくらいうまくいくようでも、最後は絶対に失敗する。」「どうせ私の人生は失敗なのだ」「私は成功してはいけない」「私は父の教えを守って不幸でなければいけない」などという信念を持って(もちろん無意識に)生きてきました。
ところが、最近、この「厳しい父の目」から逃れることができたはずなのに、どうしても自分の人生がうまくいってもいい、という許しが深いところでできませんでした。
おかしい。何かあるはずだ。まだ見えていないもの・・・ ずうーっと考えていたのですが、何も見えてきませんでした。
・・・のですが、この度ようやっと見えました。
父の口癖「俺は、下の奴らの考えることはみんなわかる。しかし、下の奴らに俺の考えることは絶対わかりはしない」
そして、私たち家族はそれを信じていました。
父は、社会的にはとても成功していた人です。でも、いつも孤独でした。父にとって周りの人間は、自分より上か下かしかありません。そして子供たちは皆、「人生の失敗者」になりました。
父の人生は、「できそこないの子供たち」と、「できそこないの妻」そして「とんでもない見合いを勧めた人、母の両親・親戚、自分の人生を台無しにした周りの人たち」のために、さんざんなモノとなりました。
父は(深く掘り下げれば違うのかもしれませんが)堅くそう信じていたし、私たちもそう信じさせられていたので、私たち家族は常に罪悪感を持っていました。
でも、本当にそうだったの?
自分でもできるワークをしながら、ようやっと気づきました。
父は「成功者」として私の中の成功のモデルとしてありました。そしてその「成功者」は不幸でした。私の中では「失敗者=不幸」「成功者=不幸」「成功者=孤独」という矛盾する公式が成り立っていました。 だから、成功することに、いつも不幸がつきまとっていたのです。そして、「成功者は孤独」?本当にそうでしょうか。いえ、成功して素晴らしい業績を上げている人で、人に囲まれ、幸せに過ごしている人はたくさんいます。私の枠組み・定義が間違っていたのです。
こんな単純なことに、私は16年問題に取り組んでいてようやっと気づいたのでありました。
気づいてみれば簡単なことです。でも、それが幼少の頃から何の疑問でもなく自分の一部となって生きている時、それはまったく自分の中で矛盾せず、ただ、「生きにくさ」として存在しているのです。
幼少の頃書かれた脚本は、間違っていることが多いのです。そして、時間はかかり、苦しいこともあるけれど、誰でもその気になれば、その脚本を書き直すことができるはずです。
今の私にとって、「自分が成功」することに対する不安がありません。自分がうまくいって、周りのみんなもうまくいく。昔参加していたセミナーでいつも聞いていた言葉がふっと浮かんできました。
20.深層心理の不思議
2005/11/26(土) 午後 0:13
最近、とても興味深い出来事が2つありました。ネット上での体験なのだけど、どちらも私にとっての「拒絶」です。
一つは、とても言葉優しく、大変に相手を尊重した書き方であったのだけれど、非常に心にぐさっと来る棘を感じました。もう一つは、非常に激しい言葉で相手を非難する書き方で、確かにその失礼な表現には傷ついたのだけど、自分の中の何かに突き刺さることはありませんでした。
私の中の何が何に反応したのか。
なーんて考えていたら、今朝の某新聞の相談室に、弁護士の堀田力さんが答えていた記事がありました。「・・・いろいろ考えているうち、私が彼らを嫌う理由は、自分の中にも彼らに似て他人に嫌な感じを与える要素があり、自分はそうした部分を直そうと心がけているのに、彼らは私の嫌いな要素をムキ出しにしているためではないかと思い付きました」
同じような答えを自分でも持っていたにしろ、こうしてしっかりと表現されているのを見てなるほど、と思いました。
「起こってくる苦難はみなチャンスである」
では何を教えてくれるのだろう((ё_ё)・・・ということで、今回もまた新たな問題に意識を向けてみました。 ふむ、最近、あるコミュニケーションの講座を受けて、ペーシング(相手に合わせる)の仕方ということを教わったのですが、それまでは、たんなる知識でしかありませんでした。けれど、頭の中でシミュレーションしているうちに、それをどう活用するかということがはっきりと見えてきたのです。
そうか、そのために今回の出来事もあったんだなぁ。
反応するものには意味があります。どうしても相手の考えを許せない、という激しい感情がある時、それは、その相手に対して何かを投影しているのがほとんどだと思います。2番目の出来事には、論点が完全にずれていた、という部分がありました。たぶん、相手の方は気づいていないのでしょうけれど。
目の前にあるものを追おうとすると、却って見えなくなることがあります。でも、いったん問題を自分の無意識の中に投げかけてやれば、答えは必ずいつか出てくるのだと思うのです。

こころとからだの関係を学ぶ〜ホリスティックな世界への招待
トライアングルのセラピスト・小林純子の通信講座。心、体、魂、そしてホリスティックな生活に関する知識や実践法などを紹介しています。
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