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エリート回復者からのメッセージ

1.子育てが苦しいお母さんたちへ                           

2005/6/29(水) 午後 5:41

 

 私は、被虐待児でした。肉体的にも多少はありましたが、特に精神的な虐待が主でした。
相当なコントローラー(支配者)だった父と、それを容認し、私をかばうことすらしなかった母の元で、私は数多くの禁止令という鎖に縛られ、身動きが取れないほど追いつめられていきました。

 28歳にしてようやっとそのことに気づいて人生の総点検、修正をしてきた私にとって、「子どもを育てる」というのは、ほぼ100%「親にされたのと同じように虐待する」ことを意味しているのはよくわかっていました。


子どもなんて好きじゃありませんでした。確かに、自分の子どもが欲しいとは思ってきました。ずっと寂しい思いをして育ち、自分の家族が欲しかったから。

 

 本当は、それは恐らく、無意識のうちにも、自分と同じ目に遭わせるために・・・。
 でも、あんなにわがままで私をいらいらさせる生き物を、私がまともに育てられるのか、まったく自信はありませんでした。

 7年前に長女を授かりました。それなりに可愛いと思いました。夫は再婚で、別に3人の子どもがいます。前の結婚では、夫婦逆転のような部分があり、子煩悩な夫が3人の子供たちを育てたといってもよかったのです。訳のわからない生き物を前に途方に暮れる私を、夫はかなりカバーしてくれました。

 

 夫は当時、鬱っぽくなってしまい、あまり働くこともできませんでした。

 周りから祝福されぬ結婚だったので、夫の親族、私の家族とも絶縁状態のまま、経済的には相当苦しかったのです、それが一番大事な「子育て」には必要だったのだと思います。


 夫が、精神的には全面的に支えてくれたお陰で、私は育児ノイローゼになることもなく、育児を放棄したいという気も起きませんでした。

 育児における(特に子どもが小さい場合は)、父親の役目は、妻を支えることだと言われます。私も心底そう思います。
 霊長類である人類は、本来集団の中で子育てをする種だそうです。

 

 戦前は、日本は世界一子育ての上手な国とまで言われたと本で読みまし。そして、それによると、人間の場合は、子育ては学習によるものだといいます。最初の子の子育ては下手でも、数多く育てるうちに上手になっていく。そして最初の子育ての時は、ベテランさんが、「ちょっと貸してご覧なさい。こうするのよ」と指導してくれる。それがだんだんと子どもが増えていくうちに役目が交代し、子育て上手になるのだそうです。

 

 それでも、やはり最初のこと末っ子はうまく育てられないことが多々あったらしいので、そう言う意味では、一人っ子を上手に育てるなどというのは至難の業だろうと思います。

 カウンセラーからは当時、「今のうちは大丈夫でしょう。勝負は3歳以降ですね。あなたのお父さんは、親に逆らうことを許さなかったのだから」と言われました。


 なるほど、そういうことね。

その後は必死で勉強しました。家族問題の本を読み、ワークショップに参加したり、独身の頃、いろいろと講座を聞きにいったりしてきたことの復習をしたりもしました。とにかくわが子に悲劇を繰り返すまい。それだけを考えていました。

 本を読んだり、話を聞いたりして「わかった」というのは、頭で理解しただけのことです。それは単に知識として覚えただけであり、行動や生活が変わるわけではありません。現代は、どうしても知識偏重で、頭でっかちが多いのだと思いますが、でも、それでは問題は解決していきません。

 本当に何かに気づかされたとき、それは大きな衝撃を伴います。しばし身動き取れないほどのこともあるくらいに。

 

 頭の中を引っかき回されるような、何かが自分の中でぐるぐると回っているような、そんなこともあります。


重要な気づきがあると、周りの見え方がまるっきり変わったりもします。涙が止めどもなく溢れるかも知れません。
 人によって感じ方は違うでしょうが、そのくらいの感動が起こるはずです。

 私の下の妹は幼いときの病気が元で知的な障害をもちました。家族問題に関わったのお陰で、乳幼児期からの不適切な子育てによる弊害も数多く見たし、中には、そうそうたる学歴や肩書きを持つ人が、30歳を過ぎて働けなくなったり、閉じこもったりするなどの話も多く聞きました。

 本当に子育てに必要なこととは何なのでしょう。

 私は自分の育児に自信がなかったし、この私を育てた母だということを考えれば、母もまったくあてになりませんでした。幸い、民間の社会教育の団体に所属するようになって、子育てや人付き合いなどの指導も細かくしてもらえました。年配の方々にかわいがられ、子供たちはとても大人を信頼する子に育ちました。はっきりいって、私は子どもたちに何もしてあげなかったような気がします。勝手に良い子に育ってくれた。いや、多くの方に育てて頂いたのかな。そんな感じでです。
 そんな中から虐待問題・世代間連鎖の問題に取り組むことになり、私の中のコントロールする親からはだいぶ解放されたと思います。

 私はかなり重症な部類に入るらしいです。それでもここまで来られたのです。ですから、誰もあきらめる必要はないと思うのです。
 地道ではありますが、こうした問題解決に関わっている仲間がこれから全国に広がっていくでしょう。「世代間連鎖を断つ」。最近はこのキーワードも時折目にするようになりました。
 できるだけ連携をとって、輪を広げていきたいと思っています。

 

 

 

2.天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)         

2005/7/4(月) 午後 4:01

 

 僧侶(真宗大谷派)である夫に教えてもらうまで、釈迦が生まれたときに言ったと言われる言葉、「自分が一番この世で尊い」というくらいのことしか知らず、あまりよい意味だとは思っていませんでした。

 実は、夫と知り合うまでは、仏教も釈迦の教えも、宗派の違いもよく知らなかったのです。だいたい実家には仏壇もなかったし・・・。

 だから、上の意味の後に、「そしてひとりひとり、誰もがそういう尊い存在であり、つまりはどの命も皆尊いものだから、他人も自分(が尊いのと)と同じように(尊んで)大切にしなければならない」ということだと聞いたとき、ちょっと感動してしまいました。

 いろいろな方面から親子問題を読み解きたいと思い、最近は「母性神話」についての本(そんなものは本能ではないという方面からの)を読んでいます。

 わが子を可愛いと思えない。子育ては母親のしごとだとは思わない。
一人一人を「個」としてみれば、それは当然そういった否定的な側面が多く出てくるでしょうし、それが大多数になってくる可能性も否定できないことから考えれば、子育てのありかたも当然変わってくるべきなのだろうと思います。

ただし、世代間連鎖の問題に関わっている身としては、眠っている母性はほとんどの場合、呼び覚ますことができると思います。
 子育ては、自分を投影して育てるのだから、子どもを受け入れられないというのは、自分の中の良い子でない部分を受け入れられないと言うことです。


 親が良い子でない自分を受け入れてもらえないで生きてきたということは、大人になるまでに、自分の中の「悪い子」フタをして、もう何でもないふりをして生きてきたのに、「悪い子」の部分を大写しにした「子ども」が、またその傷をえぐるように目の前に見せつけてくれるのだから、「可愛いなどと思えない」というのは、当たり前のことだと思えないでしょうか?

 親から非情な仕打ちを受けた子どもほど、親を理想化すると言われます。あなたは「うちの親は理想的な親だ」と不自然に思っていないでしょうか。親だって人間なのだから、八つ当たりもするだろうし、手抜きもするはずです。そんなに完璧に「理想的な親」なんて、そうそういないものではないのですか?。

 自分をそのまま受け入れる、というのは、言葉では簡単だけれど、そうは問屋がおろしません。背後で牛耳っている存在があるからです。自分の内面に住み着いている「親像」という。

 この内なる親とどう折り合いをつけていくか。そこに、自然体で生きていくためのポイントがあるのかも知れません。

 

 

 

 

3.家族の矛盾                                 

2005/8/3(水) 午後 10:27 

 

 昨年、移転のため、下の子が保育園を転園しました。個人情報の保護のためか、上の子の小学校に名簿がないのにもびっくりしましたが(仕方ないのかも知れません、日常的にとても不便)、今度の保育園の名簿の保護者欄は、ほとんどが母親名なことにとまどいを覚えました。まず、保護者欄に一人しか名前が載りません。どちらか一方をというときに、父親がいても母親の名前を書く人が多いのだと思われます。また、保護者欄が空欄というのも数名見受けました。

 確かに今の時代、離婚や未婚、またその他あまり外に知らせたくない事情も増えているのかも知れないですが、私としては何だかそこに触れてはいけないものを感じて考えてしまいます。

 自分が問題ある家庭に育ち、同じように問題を起こしている家族に共通するものは、家族に秘密がある、触れてはいけない部分がある、だから他人も中に入れない、という閉鎖的な面があるということです。
 大人同士の間で「聞いてはいけない」雰囲気があれば、子どもは敏感に察知します。そのことは子どもに良い影響は与えないと思えるのです。

 そして、家長という言葉を聞かなくなった現代、家の中の「父親」の位置づけはどうなっているのでしょう。世帯主や子どもの保護者なんて父でも母でもどっちでもいいじゃないかということなのでしょうか。でも、物事がうまくいくために大切な法則の一つに「序列」がある。男尊女卑という視点でなく、父親がいる場合は父を主とする意味があるのではないでしょうか。家族の位置づけというものは決まりが必要だと思うのです。
 
 今の時代、男女のことに言及すると、すぐに男尊女卑だのフェミニズムだの、問題が微妙なところに入り込んで訳がわからなくなってくるので、文字だけの世界ではあまり書かないことにしておきましょう。
でも、本当はシンプルなのだと思うのです。 

 家族の中の序列が乱れるところに子どもの混乱が起きてくると言えるのではないでしょうか。目上や親、教師に対して尊敬の念を持たない。先輩や上司の言うことにも耳を傾けない。そうなる背景には、必ず育った家族の序列に問題が見られるのだと思います。
 
 古くさい慣習など、意味がないと思う人が多いのではないかとは思いますが、その中には、実に大切な要素が含まれていることがあります。物事がうまくいっていないとき、それは今まで過ごしてきた中に、大きなルールを無視して、または知らずしてうまくいく道筋からそれている可能性が高いのです。
 そのことに気づいて本道に戻ることができれば、たいていの場合、自然と修復されていきます。

 夫に問題があって別れたとしても、夫の悪口は子どもに絶対に言わないことです。どんな父親であっても、子どもにとっては自分の中に半分血が流れているのです。ましてや、その相手を一度は自分の責任に置いて選んだのです。その半分の血を否定するようなことは、絶対に言ってはいけません。それは、子どもにとって虐待となるのですから。

 

 

4.リンゴ病                                    

2005/8/8(月) 午後 4:40

 

 上の子のキャンプの後、1週間ほど前、下の子がリンゴ病になりました。幸いほっぺが赤くなった以外は何ともなく、赤くなった時点ではもう感染の心配もないというお医者さんのお言葉でそのまま保育園へ行くことができました。

 さて、昨日は町内会のバスハイクに参加した上の子ですが、実は一昨日身体にまだら模様があるのに気づきました。良く日焼けしていてわかりにくいのですが、どうもリンゴ病のようです。

 

 この子やったことなかったっけかなぁ。日光に当たったり、激しい運動は避けるようにと書いてあったのですが、まあ、夏休みではあるし、あとで休ませればいいか、と参加させました。

 昨日は私もフォーラムで帰りが娘より遅くなったのですが、夫によると「すごくしっかりしてますね」と誉められたようです。

 

「?何が?」

 

何でも、班行動をしたらしいのですが、上の学年の子が班長をやるのをいやだとごねて、一番年下のうちの娘が、「わたし、班長をやってもいいですよ」といってしっかりと役を務めたそうです。一番班長らしくやっていました。と言われたと言っていました。

 言葉をはじめ、同じ年頃の子達より発達が本の少し遅れているのですが、たしかにうちの娘は地に足がついているというか、しっかり者です。このままいってくれれば、何とか小学校は普通級でいけるかな、という感じでしょうか。何とか中学まで普通の学校に行かせてやれたらいいなぁと心から思います。

 今までの自分のことを振り返っても、いろいろと問題を抱えている子や問題を起こしている子達を見ても、子どもにとって大切なことは、社会の中で、人との交流を楽しみ、プラスのやりとりができ、協力しあって生きていけるような力をつけていくことだと思います。ちょっとくらい能力的に人より劣るところがあっても、人とスムーズな関係を保って生きて行ければ、何とかなるものです。

 人との付き合いは面倒なものかも知れませんが、意味がないように見える近所づきあい、お愛想、町会の仕事、そんなものが、いざというときに大変役に立つものだと思います。面倒くさいことを避け、快適な毎日を過ごすことはできますが、そのツケは、結局はどこかで支払わなければなりません。

 

 そして、たまりにたまったツケに「しまった!」と気づくのはたいてい支払いの時なのです。

 子育ても面倒くさいものでしょう。この上なく非合理的で、手間がかかって、自分の時間を奪われて、そして見返りも少ない。そう目の前には見えるものです。本当は違うのですが。
 
 子どもを健全に育てたいと思うなら、親は多かれ少なかれ努力が必要です。人一人育てるためには、自分も成長しなくてはなかなか難しいです。それでも「できない」という場合、やはり何年後、何十年後かにはそのツケを払う日が来るだろうと思います。独力でできないのなら、導いてくれる人を探す必要もあるでしょう。


 子どもと一緒にいる「目の前の時」を楽しむことです。できないのなら、できるようになる道を探してみることです。よく考えてみて欲しいのです。要は、「目の前に起こってくる煩わしい」ことが問題なのではなく、そのことを「良しとして受け入れられない」「私の受け入れ方、感じ方」に問題があるのですから。

 

 

 

5.「積み木くずし真相」前編を見て                      

2005/9/3(土) 午後 3:21

 

 夜は子供がいるから見られないので、先ほど夫と一緒に昼ご飯を食べながら、涙ながらにビデオを見ていました。今日は後編ということで、とても楽しみにしています。
 『積み木くずし』出版の時も、そんなもの出して大丈夫なのか?と思っていましたが、やはり、相当に大変だったんだなぁと思いました(そうだろうとは思いましたが)。

 子供の非行(とは現在あまりいわないけど)、閉じこもり、リストカットなど、問題家族はいろいろ見てきていますが、ほとんどの親が、ドラマと同じように、よくなる兆しがみえて、安心してドツボ(こんな言葉も死語?)にはまっていきます。というより、現代は、そこまで努力すらしたくないという親も多いようです。

 私も自分が立ち直る過程を思い出していました。家庭の諸悪の根源扱いを長年されていて、欺かれ続けた後、母が専門機関につながってから、16年、ほぼ最近まで、私は親を信じませんでした。あれだけのことをされてきて、悪かったと言われたからといって、わだかまりがなくなるものではありません。子供はそこまでされてきても、親を傷つけたくないと思うものであるし、年齢もいっていれば、いつまでもあからさまに「許さない」顔はなかなかできません。そこに親はつけこむのです。

 

 そして、ほっとしたところで、また子供は問題を深めていきます。子供はずっと親を試し続けるのですから。そして、少しでも以前のような自分をないがしろにするような態度が見えようものなら、やっぱり親が改心したなんてウソだったんだと、ますます心を閉ざしていきます。経験者が語るのだから間違いありません。

 私の場合は、自らもカウンセリング、ワークショップ、セミナーなど少しでも楽になるために長年通い続けたお陰で、親に期待をかけてもだめだということは悟ることができました。だから、必死になって、自分で何とかしようと思うこともできたのです。穂積さんのように、もう一度自分の犯してきた罪をを見つめるなどということができる親はまれであって、たいていは、しらばっくれるか、うちの父のように呆けていくことで現実から遠ざかっていくか、まったく受け入れないものだと思います。

 私には二人の子供がいます。私と夫は、一緒になってみるまではわかりませんでしたが、「家族の中の仲間はずれ同士」が、「その気持ちよくわかるわ〜」と共感して一緒になった、いわば「仲間はずれ・みそっかす同盟の同志」です。日々努力を重ねているとはいえ、偏りがあることは否めないので、いずれ、子供たちが何かしらのSOS、変な行動をおこすことが無いとはいいきれません。

 でも、困ったときにどうすればいいか、それだけはわかっているつもりです。これは、私が苦しんだ中で得た、貴重な財産なのです。

 大変ではありますが、気づけば修正はできます。細かい修正を重ねていけば、社会で無理せず、孤立せず、人と仲良くやっていくことはできるようになるものだと思います。


 「ほどほどに」やっていけるようになればいいじゃないか。

これが今の私の思いです。

 親を許せないことはつらいことでした。自分の根源を受け入れられない苦しさ。それは、生きづらさにつながります。かといって、さあ、許しましょう、昔あったことなど勘違いだったのだ、親だって悪気なんてなかったのだ、と思って許せるものではありません。それを越えるには、長くて苦しい道のりがあるのです。
 
 親を簡単に許してはいけません。それは、自分の本心を欺くことになるから。

 

 また、「完全に許さなければならない」と思うから苦しいのです。「許す」にも段階があるのです。いろいろやっているうちに、許せる範囲は広がってくるかも知れません。どこまでいけるかわからないけれど、行けるところまで行ってみよう。それでいいのではないでしょうか。


 私も、「まあ、今はここまでだな。よしよし」と思うことにしています。そこから進みたくないときは無理に進まないし、時が経ってまた、少し進んでみようかな、と思ったら進めばいいのです。そして、その時は、必要ならば必ずやってきます。


 「母を、身体の感覚・皮膚感覚で受け入れられるように」なったらいいなと思っています。そうしたら、きっともっと楽になれるのにな。

 

 と思いつつも足踏み状態の今の私です。

 

 

   6.最近思い出していること                         

2005/9/24(土) 午前 10:52 

 

 どうしても思い出せない記憶、母とのことです。先月の世代間連鎖セミナーで、自分が幼いころ、赤ちゃんの頃のことを思い出すというイメージワークを行いましたが、母の胸に抱かれるイメージは、決して私にとって安らぎでないことに気づきました。でも、今まではそのことすら出てこなかったのです。

 赤ん坊の私を見つめる母の顔は険しい。

 

 私は肩の辺りが緊張し、息が苦しくなる。感じるのは、ただただ拒絶感です。
 途中でその顔を父に変えてみました。ぱっと私の中に血が通うのがわかりました。あれだけ私を追いつめた父であるにもかかわらず、私の身体は父の腕の中での安らぎを覚えているのです。父は私が生まれたことを何より喜んでいたのでしょう。子供みたいな人だから。私を腕に抱く父は満面の笑みなのです。


 母に変えてみる。やはり私の中の何かは凍り付く。息をするのを忘れるくらい。

 私はいつの頃からか、顔の前をふさがれるのが苦手です。呼吸ができない、苦しい、という何とも言えない恐怖感に襲われるのです。好きな相手に抱かれているときでさえ、それは我慢できないくらいです。


 乳幼児期の記憶をたぐるため、母に聞いたこともありました。「私の首を絞めようとしたり、何かで鼻をふさいだりしなかった?(かなりストレート)」意識して私を虐待した人ではないし、まったくそんな覚えはないといいます。ずーっと謎だったのですが、やっとそれは解けました。母はきっと、どこかで私を拒絶していたのでしょう。母は幼いころ長く親元を離されています。母は、親に向けられない思いを、私に向けたのでしょう。私はそれを拒絶と受け取ったのだと思います。

 母性を持つ前に母になった私の母は、私が赤ん坊の時、あまり泣くのでつねってみたり、そうすると余計に泣くので自分も泣いていたといいます。父は、仕事に情熱を燃やし、子供が泣いたり騒いだりするのを嫌いました。母は、夜中でも赤子を負ぶって外に出ていました。ごく幼いときの記憶として、父が母や私たち子供に向かって「泣かせるな!」「騒がせるな!」「うるさい!」と怒鳴っていたのを良く覚えています。
こうして今思い出しているときも、呼吸が浅く、息苦しくなるのを感じます。記憶にはないが、身体は覚えているのですね。

 私はあまり泣きません。泣けないと言ったらいいのでしょうか。泣いても、いつまでもなくということはなく、とちゅうで感情が止まってしまうのです。軽い退行催眠を受けたことがあるのですが、感情が途中でストップしてしまい、やはりそのことは相当根深いようだと指摘されました。
 赤ん坊が泣くことを許されず、幼い子供が騒ぐことも許されず、そのことでいつも緊張と恐怖を感じていた。私が何も感じないようにして生き延びたであろうことは容易に想像がつきます。

 ここまで鮮明に意識上に出てきたということは、ようやっと私がそこを受けとめられるようになったということだろうと思います。

 「回復はタマネギの皮むき」。その通りでだと思います。どこまで行けるかはわかりませんが、今はこれで十分だと受け入れ続けるだけです。

 

 

 

 7.「不登校児の親の会」って?                      

2005/9/24(土) 午前 11:17

 

 最近、ある地域のそういった交流会に参加されてきた方から聞いたお話しです。

家族問題、負の連鎖問題を解消するために真剣に取り組んでいる私たちのセミナーが東京以外でもあるわけですが、交流会に参加した彼女たちはセミナーのサポーターで、自分の子供が不登校なわけではありません。

自分たちのアプローチの仕方もうまくなかったんだろう、とは話していましたが、そこでは、「それは親が悪いっていうことですか?」「そのセミナーをされている先生は、どんな肩書きを持った方なんですか?」「どんな本を書かれているんですか?」という反応ばかりだったそうです。

 皆さん、それなりに知識人といった方々らしかったですが、その視点で人生を見ていらっしゃるのでは、やはり子供は回復しないだろうなと思いました。

 回復の過程にはあれこれあるのですが、誰が良くて誰が悪い、学校が悪い、親が悪い、社会が悪い、子供の人権を守れ。などというように、何かしら自分の外のものと戦おうとしている間、犯人捜しをしている間、問題の本質は何も見えてきやしません。
たしかにそれは楽なことです。それをやっている間は、自分の問題に向き合わずに済みますからね。

もちろん、不登校の親御さん達が、そんな方達ばかりだとは全然思っていません。そういう場に出てくる人たちにそういう人がたまたまいらしただけなのかも知れません。

 不登校とひとことにいっても、様々なタイプがあり、対処の形は違ってくることでしょう。でも、ひとりひとりができることは、まず、自分自身に向き合って、自分の問題に取り組むことだと思います。気づいた人から始めるしかないでしょう。
 自分には問題はない、と思っている方がいらしたら、それは、子供が代わりに背負ってくれているだけのことです。本当の問題解決には至らないでしょう。

 
 追記
読み直してみたら、少し親御さんにはきつい書き方だったことに気づきました。補足説明が足りなかったですね。失礼致しました。

 子供に問題があるとおもっていらっしゃる親御さん達には、是非「自分と親」の関係を見直すことをお勧めします。子育ては、自分の子供時代をわが子に投影して行われるといわれます。自分が親からいわれてきた言葉、されてきた態度、それは無意識のうちに繰り返され、伝播されます。受け入れてもらえないでくれば、その分だけ子供を受け入れることも難しいでしょう。気づいた人が始める。それが第一歩だと思います。

 

 

 

8.私は親を許したか?                            

2005/9/24(土) 午後 6:13

 

 先日、名古屋のセミナーの中で話しをする機会を頂きました。不登校、閉じこもりの子供を持つ親御さん達を前に、回復とは何か、目の前に何が起こっているのか、何が必要なのかという話しをした・・・つもりです。

 セミナー後、何人かの方から質問をされたのですが、その中で、「お父さんを憎まれたことはないんですか?」と尋ねられました。
「もちろん長年憎みました」
しっかり憎み、怒り、「このくそおやじ、死んじまえ!」とワークショップの中で叫びました。何も悪いことなどしなかった幼い自分を抱きしめ、涙を流した。父を100%悪者にしました。私は100%被害者を味わい、十分、その中に浸りました。
 そして、どんなに自分が父から愛されたかったか、認めてもらいたかったか、父を愛していた自分に気づいたのです。


 やがて、私を責め、諸悪の根源に仕立て上げなければいられなかった父の成育歴を思い、その父の思いにも涙しました。子供を産んで、ある日自分がかけがえのない唯一の存在であること、生きているのではなく、生かされている自分に気づかされました。

 自分の中にあるものを、吐きだして、吐きだして、父に対するわだかまりがなくなったのは、かなり最近のことです。

 今私の目の前にいる父にも、母にも、恨みはないし、憎しみもありません。ずっと許せなかった幼い私と若き日の両親がいただけのことです。

 人間である限り、一点の曇りもなく悩みが解消し、ずっと悩みがないままというのはあり得ないでしょう。今を生きることは苦しいことです。
 でも今、私は紛れもなく私の人生を歩いています。私が自分で選んだ人生を。そして、喜怒哀楽、すべての感情を、感じ、引き受けることができます。

 子供は容易に親を許してしまいがちです。そんなに簡単に自分の感情をごまかして折り合いをつけてはいけません。そして、「親」にも同じ事を伝えたいのです。「子の親」でなく、「親の子」としての自分を見つめて頂きたいと思います。自分と親との関係をしっかりと見つめ直すことで、何かしら違う展開が見えてくるはずなのですから。

 

 

9.今の課題〜すでに連鎖されたもの                    

2005/9/25(日) 午後 9:06

 

 私の目の前の課題。それは5歳になる息子のことです。
「アイス食べていい?」「ご飯食べてからね。」「R君(自分のこと)なんて、どうせ何もかもだめなんでしょ!」と部屋の片隅にいって泣き崩れます。いちいちこの反応が出るのです。

 自分が渦中にいると、巻きこまれてなかなか冷静に見られません。
今日は世代間連鎖のセミナーに参加しました。「それは、今目の前に起こっていることに対する反応じゃありませんね」と先生が一言。

 そうなのです。

7歳の長女が生まれた頃、私は子供を「可愛い」というより、異物と感じました。心の底から可愛いと思えないことを見透かされているようで恐かったのです。ですから、その感情をごまかすために「この子って本当に可愛いね」とよく口にしました。

 

 「この子の母親は私しかいないのだ。私はこの子にとって、唯一無二の存在なのだ、私は生きていてもいいのだ」と突然感じたのは娘が生後6ヶ月の頃。それから娘に申し訳なかったと謝り続けましたが、娘はなかなか私を受け入れてくれませんでした。

 娘がしっかりと私を見つめるようになるまでに、6ヶ月はかかったでしょうか。長女である私の虐待の矛先は、同じく長女である彼女に向くだろうと予想していた私は、長女に対して細心の注意を払いました。幸い、身体が小さく、甘えん坊の娘は保育園でも大変にかわいがられ、周りのお兄さんお姉さんからもお姫様のように扱われました。
愛され、受け入れられば、それだけ人も愛せるようになれるのは本当だと思います。今のところ、娘は、どこへ行ってもそれなりに受け入れられています。
 
 2年後に生まれたのが男の子だったとき、父を受け入れられない私は、「男の子」を受け入れる自信がありませんでした。でも、男の子を授かったことは、自分でもびっくりしたのですが、思っていたより嬉しかったのです。半年後くらいに、なぜかしばらくの間息子に対する興味が薄れていたことはあったのですが、それ以外は本当に子どもってかわいいと思って育てていました。

 上の子に少し言葉の遅れがあって、とにかくそのままを受け入れることに集中していたので、息子に対する注意がおろそかになっていたのかも知れません。いつの間にか息子は、「お姉ちゃんの方が大事なんでしょ」という生き方をするようになっていました。

 

 大の字になって眠る娘と、捨て犬の子のように指をくわえて胎児のポーズをとって眠る息子。息子に対しての方が心から可愛いと思え、一生懸命抱きしめて育てたつもりなのですが、目の前の彼を見ると、何かが違っていたようです。

 やはり、親側の思いではなく、受け取る側、子どもの受け取り方の問題なのですよね。
 

 うかつだったことに今日気づきました。堂々としている娘の目の中でなく、私はどこか「どうせ僕なんか・・・」という息子の目の中に自分を映し込んでいました。私はいつの間にか息子に虐待されていた自分を重ねて、自分が感じていた苦しい思いを息子に再体験させていたのかもしれません。いたずらをしたとき、息子に対して発していた無言の否定的メッセージや冷たい視線、眉をしかめて深くため息をつく、など、息子はいつも「何だかわからないけれど自分が悪いのだ」という「理由なき罪悪感を抱く」ようなメッセージを受け取り、受け入れていたに違いありません。


 そして、父を受け入れられるようになって、解消されていたと思っていた、私の男性に対する憎悪の気持ちはまだ残っていることにも気づきました。それは、自分の受けた痛みと怒りを表現することが許されなかった事に対する、「身体が覚えている」怒りです。
 それは、息子が不意に私に何かしら痛いことをしたときに、身体の奥底から反射的に湧き上がってくることにも気づきました。つい先日もそういうことがあり、自分でもとまどうくらい、思い切り息子を叩いてしまったのです。
 言い訳がましく述べておきますが、普段、腹が立ったとしても、私はまず子供に手をあげるということはしません。ちょっとくらい息子が私に痛い思いをさせたとしても、やり返すわけでもありません。ただ、(いままでだって数えるほどしかないにしても)何だかわからないが、「時に」異常なくらいの反応がでることがあるのです。その時、私にわき起こってくる感情は、「憎悪」であり「爆発的な怒り」です。



 今、私の中で動いているものがあります。今まで意識上に上ってこなかったことが、出てきているので、過剰な反応をしているのかも知れません。これに対しては、今日夫に話して協力をしてもらうつもりです。

 まあ、そうはいっても、息子はそれなりに健康には育っています。白に近いグレーゾーンと言うべきでしょうか。親に文句をいい、親が間違えば堂々と指摘し、活発に子供らしく、それなりにのびのびと生きています。 

 すでに連鎖されたものをこれからどう修正していくか。まずは一番影響力の大きい母親である私の意識を変えていくことが第一なのでしょう。しまったと思ったら、気づいたらそこで修正をする。その積み重ねです。ある程度理解できる年頃になったら、私に起こってきたことを話して聞かせる必要も出てくるでしょう。

 0にすることはできなくても、放っておけば−100になってしまうものを、とりあえず−10くらいで止めることはできるはずです。そしたらまた次の手だてを考えればいいのではないでしょうか。完璧にしようと思わないことも大切なことだと思うのです。

 

10.息子のその後                              

2005/9/28(水) 午前 10:55

 

 「今の課題〜すでに連鎖されたもの」に書いた後、夫と話をしました。

 身体に刻み込まれた理不尽な痛みに対する怒り、悔しさ、悲しさが出てきたことに対し、不意に与えられた痛みによって、抑えきれない怒りが出るので、もしまた子供に対してしてしまっていたら、子供をかばってやって欲しい、フォローをお願いします、と。

 そして、「どうせR君なんか・・・」という「根拠のない罪悪感」は、やはり私の中にまだあるものだろうということを話したとき、夫が、「いや、俺の中にあるものの(根拠のない罪悪感)方が強いのかも知れない」と言いました。
 そして、お互いに、「そうなんだねー」と認め合ったわけです。

 さて、その日から3日間、すぐ泣くのは変わっていませんが、息子は一度も「どうせR君なんか・・・」とは口にしていません。ここのところ、一日に何度も口にしていた子が、です。どれが当たったのかはわかりませんし、複数だったかも知れませんが、関係があったようですね。

 無意識の中に抑圧されていたものが意識上に上ってきたとき、そのことは解決していきます。私のこれからがどうなっていくのかはわかりません。ただ、実際に私が日頃自分と向かい合うことを綴り、同じように悩んでいる方達の参考になればと思います。

 

 

こころとからだの関係を学ぶ〜ホリスティックな世界への招待

 トライアングルのセラピスト・小林純子の通信講座。心、体、魂、そしてホリスティックな生活に関する知識や実践法などを紹介しています。