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被虐待ネコと私

 

32.さよなら、Bちゃん

 2005/10/2(日) 午後 5:55

 

    5/15(日)、子供二人を連れて、生協で企画された「タマネギ掘り」に行った。無邪気な子供たちには十分楽しませたいと思いつつも、もしBちゃんに何かあったら・・・と思うと気は焦った。
夫から緊急コールも入ることなく、その日は無事に過ぎた。

 翌日は、セラポートさんの女性サロン経営者のためのセミナーもあって一日留守にしなければならなかった。
 講師の、「セラピストは、例えどんなことが自分の身に起ころうとも、それをクライアントに見せてはいけない」という言葉を聞きながら、「私にはとてもできそうもないなぁ」と思た。

そう言うときに限っていろいろと予定が入っている。その週はたびたび家を留守にしなければならなかった。そのたびに、私は「Bちゃん、待っててね。」と語りかけた。この頃、Bちゃんには話しかけても、なでても、ほとんど反応しなくなっていた。

 もう、腐臭が漂い始めていた。内蔵が腐り始めていたのかも知れない。だんだんと死を迎える場合、「死」というのは、その瞬間にやってくるのではなく、「だんだんに」死んでゆくのだ。と思った。

 「このまま逝ってしまうのだろうか・・・」Bちゃんはじっとその時を待っているようだった。

ネコは誇り高い生き物だと思った。(もしかしたら、どの動物もそうなのかも知れないが、)骨と皮になり、生きているだけでも大変なのだろうに、Bちゃんは、ふすまによっかかるような格好にはなっても、りんとした姿勢をとり続けていた。

 5/20(金)Bちゃんは、私の声に、突然反応を示すようになった。人間も、死ぬ直前には、一時回復したように見えるらしい。もう最後が近いのだと思った。
 その日、1件予約が入った。「Bちゃん、待っててくれる?」という問いかけに、Bちゃんは目をつぶった。「大丈夫だからいっておいで」そんな風に言っているように思えた。
何より辛かったのは、次の日が娘の運動会だったことだ。

 その夜、私はBちゃんの側で寝ることにした。口から流れる液体は、腐臭がひどく、ついてしまうと、容易にはとれなかったが、もうそんなことは構わなかった。腕枕をして、話しかけた。Bちゃんは、ずっと目で相づちを打っていた。
 朝方、何度かけいれんするようなことがあり、呼吸が浅くなった。涙が止まらなかった。

 朝が来て、運動会のためのお弁当を作りながら、私は運動会に行くべきかどうか悩んでいた。

 夫には、先に行ってもらった。ふと見ると、Bちゃんの足ががけいれんしている。「Bちゃん!」最後に頷いたようだった。そして大きくけいれんすると、Bちゃんは大きく息を吐いて、もう一度けいれんした。その時になって初めて、私はBちゃんを胸に抱きしめた。名前を呼んで大泣きした。ずっと抱いてあげていればよかった。そんなことにも気づかなかった。
 動かすと苦しそうに思えたのだった。でも、抱いてあげていればよかった・・・。

 Bちゃんはもう2度と動かなかった。本当に逝ってしまったのだ。私を置いて・・・。

 信じられない・・・    それが本心だった。 ずっとずっと一緒だったのに・・・

しばらくの間、私は声をあげて泣いていた。隣の人に聞こえようと、何だろうと構わなかった。かすかに体温の残っているBちゃんを抱いて、泣きじゃくった。

 最後に、Bちゃんをきれいにしてあげることにした。もともときれいなネコだった。近くのペット霊園に電話をし、夕方には連れて行くことになった。

 ひとしきり悲しんだ後、子供の運動会を見に行った。終わってから息子を保育園に迎えに行き、4人で霊園に連れて行くつもりだ。

 7歳になる娘は、Bちゃんがひっかくので怖がっていたが、思いの外、Bちゃんが死んだことを悲しんだ。「4人家族になっちゃったぁ」と娘はわぁわぁ泣いた。彼女にとって、Bちゃんは大切な家族だったのだ。5歳の息子には、やはり「死」ということがあまりわからないようだ。「じゃあ、次は何を飼う?」と言っていた。

 ペットの死をあまり悲しんだり、強い思いを持ってはいけないという。魂が迷ってしまうから。
迷ったが、共同墓地に入れてもらうことにした。自転車で5分くらいの所だし、Bちゃんは、私の心の中にちゃんといるのだから。

 Bちゃんの死から4ヶ月以上たった。今でも側にBちゃんがいないのが不思議な気がすることがある。よく、身近な誰かを亡くした方達が口にするように、「今、ここにいないだけ」のような気がするのだ。
 Bちゃんは空の上で私を見ていてくれるのだろうか。なぜか今、Bちゃんを思い浮かべると、私の中のBちゃんは、穏やかに目を閉じて、気持ちよさそうに昼寝をしている。

 きっと、ネコなりに、人生を生ききったんだろうな。私はあんな風に穏やかな最後を迎えられるだろうか。いや、たぶん、ちょっと呆けて、赤ちゃん返りして、思い切り周囲に迷惑をかけてから逝くような気がする。とにかく、まだ子供も小さいことだし、1日も長く、元気に生きていたいと願うだけである。

 
 最近出てきた写真の日付を見て、Bちゃんは14歳ぐらいだったのかも知れないと思った。まあ、いいか。2年くらい。何かの記録に申請した訳じゃないし・・・
 そこにこだわっていらした方がいたら、ごめんなさいね。

「被虐待ネコと私」は、これで最終回です。最後の方は気が重くて更新が進まず、いらいらされたかもしれません。でも、私にはこれだけの日にちが必要だったのだと思います。
 最後まで読んで下さった方々、ありがとうございました。

 

 

 

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