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被虐待ネコと私29.なかなか書き進まない・・・2005/6/28(火) 午前 10:40
やっぱり、「死」の時期が近づいてくると、書くのが重くなってくる。無意識にネコが通れるくらいの間を開けて引き戸を閉めるとき、出かける前や寝る前に、大事なものは大丈夫か、と、ふと引き返そうとするたびに、もうBちゃんのいないその空間を、今さらながら気づかされることがある。
どんなに心の勉強をしようとも、どんなに道理がわかろうとも、悲しいものは悲しいのだ。目の前の悲しみが消えるわけではない。
でも、それでいいのだと思う。 年を取っていくと共に、大事な存在を失っていく。お年寄りが、この世よりあの世の方が知り合いが多くなってしまったから死ぬのは恐くない、と言うのを聞くことがある。普通に平均の寿命を全うするならば、だんだんとそんな心境になって心の準備ができていくんだろうな。
生まれてくるところと、死んで帰って行くところが同じだと考えれば、
生まれることが喜びであったら、死ぬることが又同じくよろこびでなければならぬ 『万人幸福の栞 −死は生なり』より
ということだろう。
生きている中で、深く傷つけらることは多くある。この世に生まれて、生きる、ということは、いかに自分を傷つけた出来事、また自分を傷つけた人を受け入れ、許せるか、そして究極はそれにすら感謝できるか、ということにあるのではないかと最近思う。
反論はあるだろうし、自分ができているわけでもない。できてもいないのに良い子の顔をするつもりもない。ただ、許すことによって、自分を縛る何かから解放され、自分を高めていくことができるのではないかと思うだけのことである。
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