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被虐待ネコと私 

 

20.前回に関連して虐待のこと

2005/6/13(月) 午後 10:01 

 

ネコのことからちょっと離れてしまうけど、せっかくだから虐待問題に触れておこうと思う。

 子育ては、子どもに自分を投影し、自分が親の立場に代わって、親との関係を再現してしまうものだから、その関係が健康的でなかったとき、悲劇は増幅して繰り返されてしまう。

 虐待しておきながら、その子に何かあったりすると気が動転する親がいる。それなら大事にしてもよさそうなものだけど、そうはいかないものらしい。親は、大事に思う子ほど、負の財産を渡してしまう。それは決して演技でも何でもない。

 親にいたぶられて育ち、親になった子は、何かしらの修正が加えられなければ、そこに何の意味があったのか確かめるように虐待を繰り返すといわれる。親から許されなかった自分を大事なわが子に投影し、虐待し、そしてその子を失ったときに気づく。誰よりも、何よりも大事にしたかったものは、その子であり、そして、その子に投影している、親に受け入れられなかった自分であることに。もちろん、一生気づかない、気づこうとしない人も大勢いるだろう。

 私は今、言いようのない空虚感を感じることがある。それは、Bちゃんに投影していた自分の一部を、Bちゃんと一緒に無くしてしまったような気がしているからである。「胸にぽっかりと穴が開いてしまった。」まさにそんな感じ。そして、抱きしめたときのBちゃんの軟らかく温かい身体、「愛しているよ」と言っているように私の鼻を舐めていたざらついた舌。あり得ないと思いながらもその関係が、どこかで永遠に続くと信じていた私がいた。死が近いこともわかっていたのに、私はどこかでそんなことない気がしていた。Bちゃんだけは、永遠に生き続けるような気がしていた。
 そして、そこに何を見ているか私は知っているはずなのに・・・今は見ないでいる私が、ここにいる。

 

  

 

 

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