被虐待ネコと私
19.Bちゃんの中に見えていた「私自身」のこと
2005/6/13(月) 午後 3:28
「赤ん坊」という新しい家族を迎え、Bちゃんがどう思ったのかはよくわからない。たぶん、「私」という愛する存在を赤ちゃんに取られて寂しかったことと思う。この頃Bちゃんは、私よりも夫になついているように見えた。私は夫にBちゃんの世話を任せ、どこかでほっとしていた。正直言って、どこかで「仕方なく飼った」という気持ちがあったように思う。今から思えば、その「仕方なく飼ったやっかいもの」というのは、私の中に存在していた、(私の)両親から見てやっかいもの扱いされていた「私」を投影していたのだと思う。
私は、私の中の「親のやっかいもの」(わがままな、親から嫌われた部分の私だったのであろう)を、ときに疎ましく思い、ときにこの上なく愛おしく思った。私は親から叱られる以外構ってもらえない子であったから、私は、私の母が私に送っていたのと同じ、「忙しくてあなたを構えないのよ」というメッセージをそのままBちゃんに送っていたのだと思う。そして、同時にBちゃんに対する後ろめたさも感じていた。「もう少し子どもが大きくなるまで待っててね」私は自分とBちゃんに、そう言い聞かせていた。
私にはその頃誰も代わりに頭を撫でてくれる人はいなかったが、夫がその役を引き受けてくれていた。そう思うと涙がでてきそう。(Bちゃんにも、幼いころの私にも、夫に対しても) Bちゃんは、私に見せつけていたのかも知れないね。「私を構ってくれなくても、貴方の大事な人は私をこんなにも愛してくれるのよ。私はあなたなんかより、こっちの人を愛しているのよ」って。
人間は、親に育てられたようにしか子どもを育てられないという。世代連鎖、世代間循環、世代間連鎖などといわれる。私はこの問題に長く関わり、その連鎖を断つためにどうすればいいか。というような仕事をしている。でも、こうしてみると、Bちゃんにも、しっかりとつらかった子どもの頃の私を投影して、私が母親の役をやりながら、Bちゃんに同じ思いをさせていたんだね。
もちろん、その間も、Bちゃんを抱きしめて、かわいがってはいたけれど、きっと、私は自分の子どもたちに向ける可能性が高かった、「こんなひどいことをするのは、わたしのせいじゃないのよ。あなたをかわいがらないのは、わたしのせいじゃないのよ」という、私が母から受け取ったメッセージを、Bちゃんに譲り渡していた。
物言わぬ赤ん坊と違い、Bちゃんは、私があまりに構わないと悪さをして、「ちゃんと私を見て」とアピールをし、私が間違ったことをしていることを教えてくれた。あなたはこんなところでも、私を助けてくれていたんだね。

こころとからだの関係を学ぶ〜ホリスティックな世界への招待
トライアングルのセラピスト・小林純子の通信講座。心、体、魂、そしてホリスティックな生活に関する知識や実践法などを紹介しています。
|