被虐待ネコと私
31.食べなくなったBちゃん
2005/7/20(水) 午後 4:45
5月の10日を過ぎた頃だろうか。Bちゃんは缶詰すら食べなくなっていた。でも、きっとお腹はすいているのだろう。出してやったばかりの缶詰を入れたお皿をじっと眺めていることが何度かあった。軟らかいしらすはちょっともったいないかなと思い、少し堅めのを入れてやっていた。今思えば、けちくさいこと思わずにやっておけばよかった。ふと気づくと、シラスすら口を付けなくなっていた。あわてて軟らかいシラスをやってみたが、ちょっと舐めた程度だった。それならばと削った鰹節をやると、少し食べた。でも、それもほんの1〜2日だった。
Bちゃんは、水以外のものを受け付けなくなった。押し入れの中にいるか、CDデッキの上で日向ぼっこをするか、私の椅子の上で寝ているか。膝に抱いても、少しするともう降りたがった。体勢が苦しかったのだろうか。 それからの一週間、呼んでもあまり返事をすることもなく、私たちが寝るときだけ、布団の所に来たけれど、夜中は一人で休んでいた。 最後が近いのは明白だった。 5月15日に、子供たちを連れて3人で出かける約束をしていた。Bちゃんが食べなくなって2、3日が経っていた。すぐに死んでしまうという感じではなかったが、帰ってくるまで何とか持って欲しいと思った。何しろBちゃんには最後は看取ってあげると約束したのだ。それだけは破りたくなかった。 ちゃんと待っててね、と言い聞かせて、その日は出かけた。そして次の日も、仕事の研修が入っており、夜遅くまで出かけることになっていた。 気持ちはずっとついていてやりたかったが、仕方なかった。夫に頼んでその日も出かけた。 セラピスト向けの研修会で、講師は「どんなつらいことがあっても感情をコントロールして、決して自分の感情を見せないのがプロである」というようなことを言っていたが、私はまったく自信がなかった。 4年前の死産のことを思い出してみても、平常でいることはできないだろうと思った。プロ失格と言われても仕方ないかも知れないな。短時間のことなら切り替えることは可能かも知れないけれど。断れることなら断るのが私にもお客様にもいいことだと思う。
そして最後の時は確実に近づいていった。
32.さよなら、Bちゃん
2005/10/2(日) 午後 5:55
5/15(日)、子供二人を連れて、生協で企画された「タマネギ掘り」に行った。無邪気な子供たちには十分楽しませたいと思いつつも、もしBちゃんに何かあったら・・・と思うと気は焦った。 夫から緊急コールも入ることなく、その日は無事に過ぎた。
翌日は、セラポートさんの女性サロン経営者のためのセミナーもあって一日留守にしなければならなかった。 講師の、「セラピストは、例えどんなことが自分の身に起ころうとも、それをクライアントに見せてはいけない」という言葉を聞きながら、「私にはとてもできそうもないなぁ」と思た。
そう言うときに限っていろいろと予定が入っている。その週はたびたび家を留守にしなければならなかった。そのたびに、私は「Bちゃん、待っててね。」と語りかけた。この頃、Bちゃんには話しかけても、なでても、ほとんど反応しなくなっていた。
もう、腐臭が漂い始めていた。内蔵が腐り始めていたのかも知れない。だんだんと死を迎える場合、「死」というのは、その瞬間にやってくるのではなく、「だんだんに」死んでゆくのだ。と思った。
「このまま逝ってしまうのだろうか・・・」Bちゃんはじっとその時を待っているようだった。
ネコは誇り高い生き物だと思った。(もしかしたら、どの動物もそうなのかも知れないが、)骨と皮になり、生きているだけでも大変なのだろうに、Bちゃんは、ふすまによっかかるような格好にはなっても、りんとした姿勢をとり続けていた。
5/20(金)Bちゃんは、私の声に、突然反応を示すようになった。人間も、死ぬ直前には、一時回復したように見えるらしい。もう最後が近いのだと思った。 その日、1件予約が入った。「Bちゃん、待っててくれる?」という問いかけに、Bちゃんは目をつぶった。「大丈夫だからいっておいで」そんな風に言っているように思えた。 何より辛かったのは、次の日が娘の運動会だったことだ。
その夜、私はBちゃんの側で寝ることにした。口から流れる液体は、腐臭がひどく、ついてしまうと、容易にはとれなかったが、もうそんなことは構わなかった。腕枕をして、話しかけた。Bちゃんは、ずっと目で相づちを打っていた。 朝方、何度かけいれんするようなことがあり、呼吸が浅くなった。涙が止まらなかった。
朝が来て、運動会のためのお弁当を作りながら、私は運動会に行くべきかどうか悩んでいた。
夫には、先に行ってもらった。ふと見ると、Bちゃんの足ががけいれんしている。「Bちゃん!」最後に頷いたようだった。そして大きくけいれんすると、Bちゃんは大きく息を吐いて、もう一度けいれんした。その時になって初めて、私はBちゃんを胸に抱きしめた。名前を呼んで大泣きした。ずっと抱いてあげていればよかった。そんなことにも気づかなかった。 動かすと苦しそうに思えたのだった。でも、抱いてあげていればよかった・・・。
Bちゃんはもう2度と動かなかった。本当に逝ってしまったのだ。私を置いて・・・。
信じられない・・・ それが本心だった。 ずっとずっと一緒だったのに・・・
しばらくの間、私は声をあげて泣いていた。隣の人に聞こえようと、何だろうと構わなかった。かすかに体温の残っているBちゃんを抱いて、泣きじゃくった。
最後に、Bちゃんをきれいにしてあげることにした。もともときれいなネコだった。近くのペット霊園に電話をし、夕方には連れて行くことになった。
ひとしきり悲しんだ後、子供の運動会を見に行った。終わってから息子を保育園に迎えに行き、4人で霊園に連れて行くつもりだ。
7歳になる娘は、Bちゃんがひっかくので怖がっていたが、思いの外、Bちゃんが死んだことを悲しんだ。「4人家族になっちゃったぁ」と娘はわぁわぁ泣いた。彼女にとって、Bちゃんは大切な家族だったのだ。5歳の息子には、やはり「死」ということがあまりわからないようだ。「じゃあ、次は何を飼う?」と言っていた。
ペットの死をあまり悲しんだり、強い思いを持ってはいけないという。魂が迷ってしまうから。 迷ったが、共同墓地に入れてもらうことにした。自転車で5分くらいの所だし、Bちゃんは、私の心の中にちゃんといるのだから。
Bちゃんの死から4ヶ月以上たった。今でも側にBちゃんがいないのが不思議な気がすることがある。よく、身近な誰かを亡くした方達が口にするように、「今、ここにいないだけ」のような気がするのだ。 Bちゃんは空の上で私を見ていてくれるのだろうか。なぜか今、Bちゃんを思い浮かべると、私の中のBちゃんは、穏やかに目を閉じて、気持ちよさそうに昼寝をしている。
きっと、ネコなりに、人生を生ききったんだろうな。私はあんな風に穏やかな最後を迎えられるだろうか。いや、たぶん、ちょっと呆けて、赤ちゃん返りして、思い切り周囲に迷惑をかけてから逝くような気がする。とにかく、まだ子供も小さいことだし、1日も長く、元気に生きていたいと願うだけである。
最近出てきた写真の日付を見て、Bちゃんは14歳ぐらいだったのかも知れないと思った。まあ、いいか。2年くらい。何かの記録に申請した訳じゃないし・・・ そこにこだわっていらした方がいたら、ごめんなさいね。
「被虐待ネコと私」は、これで最終回です。最後の方は気が重くて更新が進まず、いらいらされたかもしれません。でも、私にはこれだけの日にちが必要だったのだと思います。 最後まで読んで下さった方々、ありがとうございました。

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