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被虐待ネコと私

 

1.Bちゃんの死

 2005/5/24(火) 午後 9:48

 

 平成17年5/21(土)9:45 Bちゃんの魂はお空に帰ってしまいました。
満14歳。自然死だったと思います。毎晩必ず寝床で私の顔を舐めていたのがある日突然舐めなくなったと思ったら、ほどなく食べられなくなり、そして水も飲めなくなりました。粗相をすることもなく、最後まで毅然としていました。

 6年ほど前、ある事情から大変経済状況が厳しくなった私はBちゃんと話をしました。「Bちゃん、これから先、病気になってもお医者様に連れて行ってあげることができない。だから、死ぬまで丈夫でいてね。その代わり、最後は付いていて看取ってあげるから」

 彼女はわかってくれたのでしょう。その後2年くらいの間に数回駆虫剤をもらった以外、一度も医者に連れて行くようなことはありませんでした。

 金曜日から目を離せない状態にまでなりましたが、週末の私の用事の合間を縫うように、また、用事をすべて済ませることができるようなタイミングで彼女は逝きました。金曜の夜は、ほとんど意識のないBちゃんと一緒に寝ていました。約束通り、最後、息を引き取る瞬間は、付いていてやることができました。でも、Bちゃんは、もっと私といたかったことでしょう。ようやっと動けるくらいだったとき、私が用事で離れようとしたら、「待って」というように身体を起こしたBちゃん。片時も離れずについてやっていれば、抱きしめていてやっていればよかったのかもしれない。まだ私は沈む気持ちをどうすることもできません。 

 

 

2.Bちゃんとの出会い〜なんとコタツで!

 2005/5/25(水) 午前 6:38

 

 ちょうど14年と少し前のこと。アパートの塀の上で鳴いている白くて華奢なネコを見かけました。そのころうちに出入りしていた友人が、可哀想だから連れて行こうと言ったのですが、何せアパートは当然動物飼育禁止なので、後ろめたさを感じたものの、すがるようなその目を見ないふりをして部屋に入りました。2〜3日の間、近くで何度か見かけましたが、「誰か助けて」、そう訴えかけているようでした。外では雨が降り始めました。「あのネコどうしたろう」もともとずっと実家ではネコを飼っていましたし、ネコ大好きな私です。どうしても気になって、友人と近くを探すと、近くに止めてあった車の下で心細そうに私を見上げて「にゃー」と鳴きました。弱っていたので連れて帰り、牛乳をやると、少し元気になったようでした。

 

 友人が自分のアパートに連れて帰ると言っていたので、数日は私のアパートに置くことにし、とりあえず名前を”タマ”とつけました。
 ところが・・・
 なんと!数日後のある日、目覚めたら、コタツの中で子どもを産んでいたのでした・・・。

 

 

 

3.Aちゃん、Bちゃん、Cちゃん

 2005/5/25(水) 午後 6:37

 

 子猫は3匹だった。飼うつもりはなかったが、とりあえず里親が決まるまで名前を、と思い、タマの子どもという意味で、A玉、B玉、C玉とつけた。Aちゃんはしっぽが長かった。BちゃんはしっぽがAちゃんの半分くらい。Cちゃんは、どうだったかな。長かったかも知れない。子供が生まれて数時間後、タマは突然Cちゃんをコタツの外に放り出した。Cちゃんは、呼吸が弱かった。もう育たなかったのだ。本能からCちゃんを捨てたのだろう。間もなくCちゃんは息を引き取った。

 

 目も開いていない、子ネズミのような子猫達は、みゃーみゃーと鳴いていた。そうっと出してみても、タマがすぐに気づいて取り返しに来る。しばらくすると産毛が生え、ちょろちょろと歩き出した。その様子のかわいらしいこと。
 最初の頃、子猫の目は青かった。それがだんだんと薄くなり、タマと同じ黄色い目になった。子猫たちは本当に毛糸玉のよう。長く手元に置いたら、可愛くて手放せなくなりそうだった。

 早く里親を見つけようと、動物病院にでもあたってみるつもりでいたのだが、友人が自分が探すから。というのに流され、あっという間に月日が経った。2ヶ月くらいの時だったろうか。とにかくBちゃんは私が好きだった。毎日親ネコのタマは私の布団の中に入ってきていたのだが、Bちゃんはとにかく、タマがいようと何であろうと、私の懐に入ってきた。タマが先にいてもお構いなし。しっかりと親の上にのっかってでも私の側にいた。だんだんと大きくなってくると、タマの方がたまらずに出て行ってしまったほどだ。
 私もなぜかとてもBちゃんが気に入っていた。何か、前世からの縁でもあるのかな、と冗談半分で思ったほどだ。

 

4.ネコの子育て

2005/5/25(水) 午後 8:43

 

 タマにとって、初めての出産だったと思う。どう見ても、1歳にまでもなっていなさそうなネコだった。あまり若すぎると、動物でも子育てがうまくいかないので少し心配だったが、そんな心配はよそに、タマは順調に子育てをした。とても頭のいい優しいネコだった。餌をやると、子供たちが食べ終わるまでじっと待った。これは、子供たちがかなり大きくなって、華奢なタマよりサイズが大きくなっても変わらなかった。親は子育てのためにここまでやるのか、という感じだった。

 

 とはいえ、親の力は絶対だ。これは人間世界とは違う。AちゃんもBちゃんも、タマには絶対服従だった。特にBちゃんは、気が強く、けんかっ早くてバネもあったのだけど、はっきりいってあまり強くなかった。だいたいけんかというか、じゃれつくというか、しかけるのはBちゃんなのだが、まずAちゃんの方が強かった。タマは黙ってじゃれついてくるに任せていたが、うるさくなったり、痛くかみついたりと、目に余る行為があった場合、すらっとした前足で子猫の顔をぱしっと叩いた。すると、身体のサイズの大きい子猫たちも、耳を寝かせてシュンとするのだった。

 

 

5.3匹のネコ

2005/5/27(金) 午前 10:14

 

 親玉、A玉、B玉との生活は大変だけど楽しかった。慎重派のタマは、子どもをなかなか外へ連れて行こうとはしなかった。慎重というのか臆病というのか、掃除機をかけると、小さな仔玉たちが棚の下に隠れるのだが、タマはしっかりとその後ろに入っていた。ほとんど、子猫を盾にしている感じだ。

 トイレトレーニングは順調とは言えなかった。できないわけではないのだが、気に入らないと、3匹とも(子猫だけならまだしも、親まで!)所構わずおしっこをした。狭いアパートで欲求不満もあったのだと思う。
 

  3ヶ月ほどたった頃だろうか、友人はタマたちを連れてアパートに帰った。ほっとしたのもつかの間、やはり気になって友人宅へ見に行ったりしたのだが、その頃は虐待をしているとは気づかなかった。
あとで聞いたところによると、やはり布団の上などにおしっこをするので、怒って壁に投げつけたりしていたらしい。3匹とも雌だったので、とりあえず去勢手術をしなければ、ということになり、私のアパートに戻ってきた。
 

でも、1度私に捨てられたと思ったのだろう、3匹ともちょっとよそよそしかった。その上、手術をしたので、なおさら人間に警戒を抱いてしまったらしい。

 その後、6ヶ月を過ぎた頃だろうか。(ネコが友人宅とうちを行ったり来たりしたので、うちにいた時期が何ヶ月くらいだったのか、時期的なものは確信がないのだが、とにかく6ヶ月過ぎるまでは子猫2匹は外に一歩も出ることはなかった。)ある日、タマは外から帰ってくると、玄関のところでにゃーと鳴いた。すると、仔玉たちが一緒に外に出て行ったのだ。
 これはとても印象的だった。それまで、一度仔ネコを抱いて外に出たことがあるのだが、もう体は大きくなっているのに、腕の中でおびえて震えていたのだから。

 

 

 

   6.ネコと思っていないネコたち・・・

 2005/5/27(金) 午後 9:48

 

 

イメージ 1オリジナルのサイズの画像を見る場合はクリックしてください。

 

 さて、子猫たちは一度外に出るようになると、外が大好きになった。でも、部屋の中での生活が長かったせいか、自分たちをネコだと思わないというか、私を人間だと思わないというか、とにかく、同等のものだと思っていたらしい。
 と、ある日、子猫2匹がいつものように玄関を開けてくれと言うので開けると、Aちゃんが「一緒に来て」というような合図をする。「どうしたの?」と言いながらついて行く私。

 2匹とも、私がついてくるのを確認するように振り返りながら歩いていく。アパートの裏手まで回ると、(アパートの建っていたところは坂になっていて、裏手に回ると、隣の屋根が低いところにあるので)そのまま、塀を乗り越えて、屋根へ飛び移った。しかも!
 振り返りながら「にゃー(早く来て)」と合図を送る。「いやー、にゃーと言われても私にはちょっと・・・」(-!-;)
 
 タマと仔玉たちは、よく屋根の上で寝そべっていた。回数は減っていたものの、依然機嫌を損ねると布団におしっこをするのは困ったものだったが、常にアブなさそうなところには、カバーをしていたので、だいたいは何とかなっていた。

 でも、穏やかな日々はそう長くは続かなかった。

写真は4年ほど前のものです。

 

 

7.2匹との別れ

 2005/5/28(土) 午前 10:27

 

 ある日、アパートを管理する不動産会社から電話がかかってきた。「お宅、ネコ飼っていますよね。動物は飼えないのはわかっていますね。」「はい」「一匹くらいなら目をつぶることもできますが、3匹もいるのでは隠しようがないですよ」「わかりました」

 ということで、とうとうネコたちともお別れの時が来た。友人もアパート暮らしだったのだが、大丈夫だと言い張る。Bちゃんだけは手放しがたく、一匹だけは引き取ることにした。
 ネコたちは、お別れの時がわかるようだった。1匹だけのこされたBちゃんは、何となく寂しそうだった。

 人間の都合によって、振り回されているのがわかるのだろうか。Bちゃんは、抱いても拒否はしなかったが、一緒に寝ようと思っても、布団に近づくことはなく、抱いて布団に入っても、話すと弾丸のように飛び出すのだった。そして、いつもタンスの上など高いところに上って、じっと私を見下ろしていた。

 もともとがとても臆病なネコだった。虐待されていた経験もあるし、長期戦でいくことにした。とにかく怒るまい。そう決意した。

 

 

8.タマ、A玉との永遠のお別れ

 2005/5/29(日) 午前 7:07

 

 数ヶ月後、タマとAちゃんを引き取った友人のうちに遊びに行った。アパートの部屋はかなり汚れていた。やはりあちこちおしっこをしたり、爪をといだりしたらしい。友人も、だいぶネコたち、特にAちゃんを痛めつけたようだ。同じ敷地内に住んでいる大家さんが、怒りながらも結構餌をやってくれたりするらしかった。

 2匹の様子を見てとても胸が痛んだ。タマは、それでも私に恩義を感じているのか、私にすり寄ってきた。Aちゃんはといえば・・・
おびえて押し入れの中に入り、抱こうとすると威嚇した。「あんた私を捨てたわね!」「もう絶対に人間なんて信じない!」「近寄らないで!」

 憎悪さえ表しているようなその目は、決して私を受け入れようとはしなかった。
これには本当にショックだった。確かに、3匹を飼うのは無理だったとはいえ、「私はタマとAちゃんを「見捨てた」ということを、はっきりと認識させられた。
でも、あれだけなついていたAちゃんが、私を憎むように見た目。私は今でも忘れられない。

 Aちゃんが交通事故で死んだと聞かされたのは、それから間もなくのことだった。環八に飛び出して車にはねられたらしい。他のネコに追いかけられたのではないかという話だった。ずっと手元においておければ、こんな寂しい死に方もしなかったろうにと思うと可哀想で、自分の無力さに落ち込んだ。

 さらに1週間後、タマが交通事故で死んだと電話が入ったとき、私は絶句した。
Aちゃんが死んだのとほぼ同じ場所で、車にはねられたというのだった。
タマは、頭のいい、上品な優しいネコだった。いなくなったAちゃんのにおいをたどっていったのだろうか。
 
 ネコにどれだけの感情があるのかはわからないが、人間の目から見ると、まるで親が子供の後を追ったような最後だった。

 私はBちゃんを抱きしめて謝った。「ごめんね。Bちゃん、タマもAちゃんも死んじゃったよ。守ってあげられなくて、ごめんね」

 今でも2匹と最後に会ったシーンは、まるで昨日のことのように鮮やかに蘇ってくる。

 

 

9.Bちゃんの試験?

   2005/6/1(水) 午前 9:32

 

 Bちゃんは、一応私になついていた。そりゃあ、餌もやるし、構ってやるし、タマもAちゃんもいないわけだから、Bちゃんにとって、私だけが相手になったのだから当たり前かも知れない。

 Bちゃんは後ろ肢のバネが強い子で、食器戸棚の上に一はねで飛び乗るほどだった。すなわち、キック力が素晴らしかった。また、タマの産んだ子供たちは皆真っ白だったので、父ネコも白だったのだと思う。それも、少し毛足が長くて、大きいネコ。Aちゃんも、Bちゃんも、中ネコぐらいのときにはもう親より大柄だったから。

 何より、爪がとても長く、鋭かった。まさに凶器である。
Bちゃんを構うとき、まずは頭と身体を撫でる。そうすると、少し興奮してくる。まず、手にかぷっとかみつき、それから前肢で抱え込み、同時にキックを放つ!( ̄□ ̄;)!!
 本人は遊んでいるつもりなのだろうが、私に対しては、親と勘違いしているのか、手加減というものがない。当然手は傷だらけである。

  さすがに「痛いっっ!こら!」と手を振り上げると耳を寝かせて動きが止まる。やり続けるときはあまりに痛いので、さすがに少しお尻のあたりを叩いたが、たいていはそのまま「よしよし」と抱きしめた。そうすると、Bちゃんは安心するらしかった。

 気に入らないとおしっこをするのも相変わらずだった。躾の問題ではない。わざとするのである。後始末をする私をじっと見つめているので、いつも「おいで」といって抱っこしてやった。ごろごろと腕の中でのどを鳴らすBちゃんは、満足そうだった。虐待されて育った子どもと同じである。どこまで許されるか試していたのだろう。

 まだこの頃は、真冬でも夜、私の布団の中に入ってくることはなかった。

 

 

 

10.そういえば

2005/6/1(水) 午前 9:40

 

 話は前後するが、まだ3匹とも私の所にいる頃、子猫たちが外に出始めてすぐの頃だから、半年か少したった頃だろうか、タマが交通事故にあって前肢を折ったことがあった。

 ある日、珍しく、タマがなかなか帰ってこなかった。一晩経っても戻ってこない。近所を友人と探したが、見つからなかった。AちゃんとBちゃんは、不安そうにしていたのだが、「お母さんを捜しておいで」というと、次の日に2匹には何かわかったというような風で帰ってきた。それでも、ネコの言うことは私にはわからない。でも、何か知っているような感じは受けた。

 3日目のこと、タマがアパートの外に寝そべっていた。ようやっと帰ってきた。という感じだった。憔悴しきっていて、前肢を触ると痛がった。急いで病院に連れて行くと、「車にはねられたようだね」という。脚が折れていた。

 とにかく命があって良かった。ギプスが取れても、以前ほどの跳躍力を回復するのは無理だったようだが、それなりに生活できるようにはなった。

 

 

 

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