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アダムスファミリー的日記

 

9.心が自然・・・                                 

2005/7/9(土) 午後 9:59 

 

「心の不自然さ」 ・・・・?では、「心が自然」とはどういう状態をいうのでしょうか?−
という質問がありました。

 心の歪みってなんでしょうか。『万人幸福の栞』に、明朗(ほがらか)、愛和(なかよく)、喜働(よろこんではたらく)そして究極が「ふんわりとやわらかで、何のこだわりも不足もなく、澄きった張りきった心」とあります。

 ここからはずれることを考えれば、怒り、妬み、やっかみ、恨み、恐れ、不安、心配、偽善、虚栄、悲しみなどの感情が考えられます。

 私の言葉でいえば、ということなので、ここから先は今の私の思いです。

 心が自然というのは、一つには、「自分が素直に感じることを自分に許している状態」だと思います。
人は誰も、自分が素晴らしい存在−何もできなくても、失敗しても、欲深い自分であっても、醜い面を沢山持った自分であっても−と受け入れられたいものだと思います。『天上天下唯我独尊』ですね。

 そういう尊い自分が人から傷つけられれば悲しいし、腹も立つだろうし、叩かれればいやだろうし、人が自分よりいいものを持っていたら羨ましいと思ったりねたましく思ったりする。
 その、「その時感じた感情」を、あるものとして、受け入れる。認める。その、自分では持ちたくないと思うような感情も、あっていいんだ、素直に感じていい、という許しが自分にあるとき、自然なのではないかと思います。そして、そのことがあっていい、と受けとめられれば、その感情は、その場で終わる。
 それを自分で「こんな風に感じてはいけない」「そんな風に思うのは自分じゃない」と、受け入れられないとき、その感情がゆがめられ、妬み、嫉妬、恨み、収まらない怒り、というように形を変えて私たちに取り憑くのではないでしょうか。
 例えば、怒りの感情がゆがめられ、腐ったなれの果てが恨みだと言われます。そんな歪んだ感情を自分の中に持ち続けていれば、当然病気になると思いませんか?
 
 それを解消する一つの形が言葉だと思います。自分に向かい合って、問題を見つめ直すと、根っこが見えてくることがあります。その時の感情を、しっかりと自分の言葉で表してみる。適切に表現できれば、その問題はその場で解消すると思います。

 矛盾するようですが、本当に心が自然であるとき、たぶん、人は他人から皮肉を言われたり、意地悪をされたりしても、「ああ、そう」くらいの構えで、気持ちがぐらつかないのだろうと思います。もしくは、相手がそういうことを言う気をなくするのではないかと思います。『大我』とか、『ハイヤーセルフ』とか『平常心』とか言われる状態、つまり最初の方に書いた、「ふんわりと・・・」という心境でしょうか。

 そこまでいくのはなかなか大変なので、まずはやはり、自分に湧き上がってくる感情をすべて喜んで許す。そこが入り口なのではないかと思います。

 

 

 

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