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アダムスファミリー的日記7.天網恢々疎にして洩らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず) 2005/7/5(火) 午後 0:02
超常現象という部類に入れるかどうかとも思ったけれど、見えない世界のことではあるので・・・ どんな小さな悪事でも天罰をまぬがれぬことはできない形容 −新明解国語事典より みなさんはどう思うだろう。そんなわけないと思う?
周りで起こることはただ、「起こる」だけであって、それが良いこと、とか「悪いこと」とか、判断をするのは人間である。だから、「起こること」自体に、良い悪いはない。
天の裁きは非情に厳しい。と言われる。その通りだと思う。「しかたなくやった」ことにせよ、「意図せずやった」ことにせよ、したことの報いは良い面でも悪い面でも必ずある。
悪いことの場合、本人に返らなくても、本人が一番大切にしているものや人に返る場合もある。 最近、子育てについて、特に母性のことについての本を読んでいる。小さな子どもを世話するのは大変なことである。大きな怪我もなく、病気の後遺症もなく育てるだけでもかなり大変だ。確かに子育てを母親だけに押しつける風潮はおかしいと思う。「母」という立場の人なら、一度ならず「どうして私だけが」と思ったのではないか。
だけど、世の中を見てみれば、仕事にかこつけて、子育てに悩んでいる妻をないがしろにしてきた夫たちはどうなっているだろう。仕事も定年を迎え、はたと気づいたときには、何も自分に残っていないことがわかって愕然としているのではないか。
妻も同じである。夫が頼りにならないからとないがしろにして子どもに過剰な愛着を持ったり、逆に面倒だからと放ったらかしにし、その数十年後に何が起こっているか。 太陽が東から昇り西に沈むように、宇宙には大きな法則があるらしい。誰にもわからないと思ってしたことも、本当は天の帳簿にちゃんとついていると言われる。
したことのつけは、必ずどこかで支払わなければならない。でも、それは、ほらみてごらん、と、他人や自分を責めるためにあるのではないのだろう。それでは何も解決しない。 起こってくることが自分に何を教えてくれているのか。どこが間違っているのか、それを読み解いていくことが必要なのだと思う。 そして、そんな法則を勉強していると、世の中で起こっていることすべてがその法則に則っていると、毎日感心するばかりである。 とはいえ、すべてそれを守っていくというのは、私のような欲深い凡人にはかなり大変なことでもある。 せめて大筋で間違わないよう、気づいたら修正していけるよう、日々を過ごしたいものである。
トライアングルのセラピスト・小林純子の通信講座。心、体、魂、そしてホリスティックな生活に関する知識や実践法などを紹介しています。 |
不二家、残念ですね。地元のお店もおなじみなのに。
これを最後のチャンスと捉え、前向きにがんばって欲しいと思います。