アダムスファミリー的日記
15.浄化・浄化・浄化・・・
2005/8/18(木) 午後 5:56
ヒーリングに行ってきた。私の今の課題はスピードらしい。「足下からしっかり上げて!」「ばらまいてる!」「無!無!無!」「何も考えなーい!」「丹田はどこ?!」
何も考えていないつもりでも考えているらしい。「はい!今のOKですよ、どんな感じですか?」 わかったような、わからないような・・・浄化がうまくいっているときの感じはわかるんだけど、いつもそれが取れるとは限らないのがまだ未熟な私・・・よね。 それでも、ここのところ子どもにまでは垂れ流さなくなっているようだ。なぜなら、気がついたら子どもの蕁麻疹がよくなっており、私が同じところがかゆくなっているから・・・つまり、私で止まっているらしい。
最近、近くの病院にボランティアに行っているのもとても勉強になっている。ホスピス病棟では特に、リフレクソロジーの技術だけあってもあまり役に立たない場合もあるので。骨と皮ばかりになっている患者さんを前に、最初はどうしようかととまどった。結局毎回がヒーリングに近いものとなった。普段はヒーリングとして仕事をしているわけではないので、実際にヒーリング(浄化)の訓練ができる今はとてもありがたいと思う。何となく、施術をしながら悪いエネルギーを抜いていくという感覚もつかめるようになってきた。 いろいろとヒーリングや気の勉強をしているセラピストも多いと思うのだけど、気を入れるとか、手から気を出す、とかいう以前に、やはりよくないものを「抜く」ことが基本なのではないかと思う。
きちんと訓練を積んだ気功師なら別だが、少しくらい「気」を覚えた程度で人に気を入れることをする、というのは、セラピスト、クライアント双方にとって危険な気がする。世の中に、能力のある人はたくさんいる、というのが、この世界に入ってわかったことである。ただ、それを正しくコントロールしたり、「使える」レベルに達している人はほんの一握りだろう。 見える、という人には特に危険がつきまとうだろう。見えたり、聞こえたり、というのは、惑わされることの方が多いのだから。憎しみ、怒り、嫉妬、不安、プライド、欲望など、感じた時点で揚げ足を取られる。どんなに勉強しようと、反射的に感情は湧き上がってくる。それを、どれだけ早くハイヤーセルフに切り替えられるか。その訓練は、半年や一年で身に付くものではないし、よっぽどの徳に恵まれている人でないかぎり、自然に身に付くものでもない。かなりハードな世界である。
宇宙の真理というものがあり、それはどんなに科学が進歩しようとも変わらず一定の法則にしたがって動いていく。
究極は、(今のところ)どれだけのことが許せるか、自分の中で「これでよい」「これがよい」というところに到達できるか、というものではないかと思っている。 今の自分ができているわけではない。ただ、できていないからこそ、できるようになりたい、そうしたら、自分が楽になるのではないか。と思う。まあ、そう考えると、自分のためなのだけど、でも、自分が変わることによってまわりにも波及していくのだから、人生の意味とは、ある意味、自分の仕事をこなしていくことなんだろうな、と思っている。

こころとからだの関係を学ぶ〜ホリスティックな世界への招待
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