アダムスファミリー的日記
11.世の中は公平か?(エネルギー的見地から)
2005/7/27(水) 午後 7:18
「出せば入る」といわれる。勉強をしているところでは、「発顕還元の原理」と習っている。すべては、「自分のはたらき」に見合った収入が得られる。すべては公平に回っている。
といわれると、「ウソだ」というかも知れない。私もあやふやだった。でも、最近はそうなのだと実感することが多い。
エネルギーのまわり方は、寄せ木細工のカラクリ箱のように思える。あっちを押して、こっちを押してと一見まったく開くような方向に見えないものが、最後にはふたが開く。
お金を出したのに、お金も仕事も回ってこない、とぼやく人もいるかもしれない。 一つに、「喜んで」という心持ちが関係ある。見返りを期待しての行動は意味を成さない。喜んで人のために働き、人を喜ばせることをすると、何かが回る。還ってくるものがお金や仕事のこともあるが、もっっと別のものかも知れない。事故に遭うかも知れなかったのが遭わないですんだり、病が重くならなかったり、大事故が軽い怪我で済んでいるのかも知れない。また、子どもが事件に巻きこまれずに済んでいるのかも知れない。 いや、今までに何かしら知らずして犯した罪(法的にではなく)が帳消しになっているかもしれない。 そういう風に考えると、今の生活に感謝の気持ちが出てこないだろうか。
反対に人に意地悪したり、騙したりすれば、それ相当のものが還ってくる。それは本人にではなく、子孫や大事にしているものに還ってくるかも知れない。人生の最後になってみじめな結果という形で出てくるかも知れない。
世間でも、さんざんに不正にいい思いをしていた人たちが、逮捕だの刑に服すなど、新聞の紙面を騒がしているではないか。
個人でなく、家族、一族、国民的、世界的、地球的など、いろいろな規模で、「した」ことに対する「見返り」がきちんと還ってきているのだろう。 人間のレベルで考えれば、「仕方ないじゃないか」「同情の余地がある」ことでも、大宇宙、大自然の法則の下には例外はないのだと思われる。 例えば、野生の動物の世界で、親を失った仔たちが、情状酌量を受けられるだろうか?
起こった出来事に解釈をつけるのは人間である。
この世のどの国に、どの地域に、どうしてそこに生まれてくるのかはわからないが、たぶん、それすら何らかの天の法則に従って行われているのではないかと思ってしまう。

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